ホント、もうびっくりおどろきがっかりしょんぼり!!!
先日、わが愛するドンパチ映画の最高峰たる『ランポー 最後の戦場』を見に行った時のことである。
映画は、無論、我が不死身のヒーローが、ドンドンパチパチ撃ちまくりバッタバッタと敵は倒れるものの、相手の銃弾は、なんたってこちとら不死身ときているから避けて通る。
我が不死身のヒーローは、おまけに正義の味方。相手は命令されて戦っているだけの単なる兵隊さんだから、本来であれば、その兵隊さんを倒したらその妻や子どもはどうやって暮らしていくだろうとか、美人の妻ならば再婚すればいいけれど、不美人だったら結婚できず可哀想だとか、大いに我がヒーローは悩まねばならぬ。
しかし幸か不幸か映画は120分で終わらなければならないので、我がヒーローは悩む暇などありゃしない。ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れて先ずは目出度しめでたし・・・てな訳で映画は終わったものの、問題は私の後のシートに座っている二人の男性の会話。
私は、映画の始まる10分前に入ったのだけれど、その間二人がペラペラ話している内容が、まるでチンプンカンで、何を話しているのかまったく分からないのである。
「それで××××なら、*****になるし、△△△△でしょ」
「ウン、だって※※※※だし、もう☆☆☆☆☆しているのに、#####だよね」
私が分かった単語は、「インテル」と「ソニー」の二つの名詞のみ。後は、全て理解不能なカタカナ語を駆使してチンプンカンプン。
フンだ!!! 我がニッポン国内でニッポン人がニッポン語で話している内容が分からないなんて、そんなバカな話ってある?
どうも、コンピューターかインターネットに関することを話しているらしいが、私、パソコンもインターネットも駆使していると自負していたのに茫然自失。私って、まるっきり時代遅れになっているらしい。長生きはしたくないもんだ。
映画が終わって後を振り向いて見たら、フツーの学生さん。コンピューターオタクでもなさそうである。にこやかに
「すごい映画!!」なんてフツーの会話をしている。でも、あのチンプンカンプン会話がフツーの会話なんて・・・信じられない!!!
それに、である。若い女の子達が
「あいつ、ウザイからチャッキョしちゃった。今度イタメルしてやる」とか
「彼ってイケメン。それでニケツして行ってアゲアゲなの」なんて話しているのを聞くと、これまた
「ン?」
フンだ!!! 我がニッポン国内でニッポン人がニッポン語で話している内容が分からないなんて、そんなバカな話ってある?
私は、もうチンプンカンプン会話に囲まれてプンプンプンのプン。大いに傷つき怒っている。
2008年6月アーカイブ
彼女は行ってしまった。私の知らない何処かに。私の心に深く切ない思いを残して姿を消した。
50歳にもなると、青春の頃、夢と希望に輝いていた人生も色褪せてしまう。そして、夢と希望を上手に諦めることが出来るようになると、風に逆らって歩くこともなくなってしまった。
大学を出ると、私は故郷の福岡県にある建設会社に勤め、身をかわすことが出来なくなるような荒波をかぶることもなく、ほどほどの人生を歩んできたと云えるかもしれない。
しかし、60歳の定年まで10本の指で数えられるようになってくると、これからの自分の行きつく場所が見えてきてしまった。
そして、自分の人生の持ち時間が、今まで生きてきた時間よりも少なくなってきたことに気がつくと、このままの状態で自分の人生に終止符を打つことに対し、何か物足りなさを感じてならなかった。
『私が無駄に過ごした今日は、昨日 死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』 ドキッ!!!
これは、先日北九州市小倉区にある浄土真宗本願寺の小倉御坊・永照寺で行われた「引上会報恩会」で頂いた大型マッチに書かれていた文章である。
そういえば、我がヒーローが撃って撃って撃ちまり、自分には敵の弾が絶対当たらないという「ドンドンパチパチバッタバッタ映画」を見て、いつもスカッと爽やかコカコーラ的気分に浸っているけれど、これって、ひよっとしたら無駄に過ごした時間?
ウン、そう云えば、私は読書が趣味だったので「後期高齢者」になった時・・・ウーン、「後期高齢者」って政府推奨の言葉だけれど、馴染まないなァ。ヤッパ政府のオエライさんに申し訳ないけれど、言い方を変えて・・・私が老いて悠々の時を持てるようになった時、無駄に過ごすことがないようにと、若い頃から本を買いためていたのである。
いわく「世界ミステリ全集全18巻(早川書房)」「世界SF全集全35巻(早川書房)」「異色作家短編集全18巻(早川書房)」。
カタイ本では「漱石文学全集全11巻(集英社)」「谷崎潤一郎新々訳源氏物語全11巻(中央公論社)」「世界教養全集全34巻(平凡社)」「日本の歴史全18巻(集英社)」「叢書 文化の現在(岩波書店)全13巻」。それに極め付きは「世界の文学 ナント全100巻((中央公論社)」
これ全て、ハードカバーの函入りのブ厚い本である。他に新書版で「メグレ警視シリーズ全49巻(河出書房新社)」文庫本で「日本探偵小説全集全12巻(東京創元社)」
これって、自慢じゃないけれど、買った時ペラペラと頁をめくっただけで1頁も読んでいない。今、ため息をつきながら数えてみると、全部で318冊。
それに、である。あまり大きな声で云えないが、リタイヤしてから聴こうと若い時からFMをエアーチェックして、せっせと録りだめしていた60年~80年代のオールデイズやフォーク&ニューミュージックの500本あまりのカセットテープを、後生大事に保管している。
私は、広縁でデッキチェアに横たわり、一日中録りだめしていたカッセトテープをBGMで聴きながら、待望の全集モノを片っ端からコオヒイを飲みながら読むというのが、私のあるべき素敵な未来像であった。
ところが、我が息子達は、早くから
「その頃はテープは劣化しているし、目はかすんで本など沢山読める訳ないから、ムダムダ」と、エラソウな口をきいていたけれど、どうも、息子達は先見の明があったような気がする。
と、云うのは、今、読んでいるのはミステリィの翻訳ものが多いけれど、カタカナ名前は「登場人物」の欄を何度も見直さなければチンプンカンになるし、4~5日後に続きを読もうとしたら、ストーリイを忘れてしまい10頁くらい前にさかのぼって読み直さなければならぬ。
それに、若い頃は文庫本なら、わき目もふらず3時間位で最後まで読みとおしていた私が、なんと、今や2時間も読んだら、オシッコに行きたくなったり、うちのカミさんとどうでもいい会話を取り交わしたくなったり、普段は見ないTVを見たくなったりして、最後は
「読むのヤーメタ」となってしまう。それに、私は本屋さんに行くと、つい本を買ってしまうという悪癖があるものだから、机の横にツン読された本の標高は一向に低くならない。
ホント、私の素敵な未来像はどこに行ったの?
私が、カタイ本を買ったのは、「後期高齢者」・・・エーット、すみません。訂正させて頂くことにして・・・素敵な老後を迎えたら「知性と教養」にあふれた人間に変身して、若い人から憧れの眼差しで見られようと思って買った訳だけれど、この際、野望は捨てて、カタイ本は永久保存版として本箱に飾っておくしかあるまい。
エ? 何?
『私が無駄に過ごした今日は、昨日 死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』でしょ。無駄に過ごさなければ、読めるはずよ・・・って。
ウーン、そう云われても、スカッと爽やかコカコーラ的気分になるし、無駄も人生に必要なんだと思うけどなァ・・・。
「だってソウハチさん。無駄な映画ばかり見て読みもしない無駄な本を買って聴きもしない無駄なテープをためこんで、無駄ばっかり・・・」
だってねェ・・・・。