2005年10月15日
秋は遠くなりにけり
秋である。スポーツの秋と言うわけで、私の住む地区の「南丘体育大会」が小学校の校庭で10月9日に行われた。
私にも「グランドゴルフ」なるゲームに出ろという長老からのお達しがあったが、グランドゴルフなんてやったことがない。
「なに、誰でもできる年寄りのゲーム。やったことがなくっても大丈夫」と簡単に言う。「年寄りのゲーム」には、内心忸怩たるものがあるが、ボスには逆らえない。やむを得ず出ることにした。
だけど、こう言っちゃあなんだが、ゴルフは私が40代の華やかりし頃,15回ほどコースに出たことがある。
「1回もゴルフの練習場には行かなかったっけれど、最初にコースに出たときから、ほとんど平均して90前後でコースをまわる」というと、皆さん
「エッツ、最初から90なんて、スゲー!!! 」と、尊敬の眼差し。
「ウン、ハーフで90前後」
ここで、ゴルフを知らない方に言うけれど、ハーフは9ホール、1回のラウンドで18ホールまわる。普通、18ホールで90前後でまわることができれば「うまい」人と言われる。
と、言うことは、普通の人の倍以上、即ち1ホール180回もボールをブッ叩たきながら、私はコースをまわっているということになるのである。
私は、天性の運動バカなので、少年時代、野球をしても、球がバットに当たったためしがない。大体、飛んでくる球に当てるなんてアホなことが出来る訳がない信じている。しかし、ゴルフは止まっている球を打つだけである。こんなに簡単なことはないだろうと思っていたが、これが大誤算。
大体、球も、球を打つクラブも小さすぎる。球もせめてソフトボ-ル位の大きさで、クラブも、スコップ位の大きさがあれば、私も軽々打てると思っているが、とかくこの世はままならぬ。
それに、大体、私が打ったボールは、空を飛ばない。地球の上をゴロゴロ。どうも、素直な私の性格をボールも見習って、地球の引力に逆らってまでは飛んで行かないらしい。
そして、ヤットコサとボールが芝生にたどり着いても、穴の前後左右を行ったりきたり忙しくって、穴に入る暇などある訳がない。すると声あり。
「もう、穴に入ったことにしよう」
以来、私のボールが穴に1メートル以内に近づいたら、入ったことにするというルールが出来てしまった。
そういう訳だから、私のスコアーは、驚異的な数字となり、計算するために電卓が必需品となる。
ゴルフコンペでは、いろいろな賞が出されるが、普通は1~5等に加えて「ブービー賞」なるものがある。この賞は、ビリから一つ上の人に与えられる賞である。1度でいいからこのブービー賞を取りたいというのが、私の夢であったが、1回も取ることが出来ず、全部ビリばかり。しかし、バカにしてはいけない。15回連続オールビリなんて、世間広しといえども、私だけであろう。貴重な記録保持者といえる。
「ゴルフの練習場に行ったら、きっとうまくなるよ」と言うけれど、私は、1回のゴルフで、2回分のゴルフが出来るなんて、なんと素敵と思っている位だから、練習などする訳がない。すると、皆さん、私がイヤイヤ付き合ってくれていると誤解して、次第に誘わなくなり、私のゴルフ人生は15回で終わりを告げてしまった。
さて、今度はグランドゴルフである。これは、球もクラブもチッピリ大きい。距離も20メートル位先の目標に向かって球を転がすだけでいいというわけで、転がすのは私の得意技である。1回きりの勝負で、目標に一番近いボールを打った人が1等となる。
これなら大丈夫と、得意満面、打ったところが意気揚々と打ちすぎてなんと、私の打ったボールは遥かに目標をオーバーして、観客席まで転がってしまった。本大会最大の飛距離である。これが、ゴルフなら、大いに称えられるところであるが、ホント残念。遅きに失した感じである。悔やまれてならない。
これだから、スポーツの秋は嫌いである。やはり、食欲の秋と言いたいけれど、固いものは噛むと歯が痛むし、読書の秋と言っても2時間も本を読むと目がチラチラするし、失恋の秋と言いたいけれど、失恋するためには恋をしなければならない。
ホント、私、67歳。きらめいて秋どころではない。秋は遠くなりにけりである。
2005年10月01日
逝く夏の‥‥
アツクって、あつくって、暑い「ながーーーーい夏」が終わった。
今年の夏は、9月になってもまるで「夏気分」。若い人は、渡辺美里が「夏が来た!」で歌ったように
本当の夏が来た 生きている眩しさ
本当の夏が来た まっすぐな目をした君がいる
と、夏を謳歌できて「素敵気分」だろうけれど、髪の毛うっすらハゲ模様年齢となっている私などは、ホント「ウンザリ気分」
私にとっては、鮮やかにきらめいて心はずませた夏は、遥かな遠い日となってしまった。
それに、今年の夏は、暑いばかりではなく、この地球のあちこちで、
「こんな被害に合うなんて、生まれて初めて‥‥」とお年寄りが嘆くような大雨や台風の災害が続出。世界に敵なしと、エラそうな顔をしていたアメリカさえも、ハリケーンに敵前上陸されてもろくも敗戦。世界に恥をさらしてしまった。
1935年に亡くなった物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は、「天災は忘れられたころにやってくる」と言ったけれど、最近は「天災はひっきりなしにやってくる」という感じである。どうも、地球は怒かり狂っているらしい。
でも、それも分からぬことではない。と、言うのは、寺田寅彦は、こうも言っているのである。
『文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。こうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当でないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているのは誰であろう文明人そのものなのである。』と。
この文章は、1934年に発行された「寺田寅彦随筆集第5巻」から抜粋したものであるが、今から約70年も前に書かれたものである。
それから70年、人間はカシコクなったのか、アホになりつつあるのか分からぬが、ここらで中休みして、アタマを冷やした方がいいのかもしれない。
そこで、私の高校時代の友人で、2003年5月に早すぎる死を迎えた歌人安光隆子さんが詠んだ一首を、紹介したい。
『逝く夏の雨に頭を叩かれて石は静かに冷えはじめたり』
夏の終わりの情景をしみじみと詠んだ句であるが、「石は静かに冷えはじめたり」と、ずしんと心に重く響く言葉で結ばれている。切れ味のよいこの句は、生前の彼女を思い出させて私の好きな句であるが、つい、人間もかくありなんと考えてしまった。
※ 安光隆子ーー1939年生まれ。福岡県立京都高校卒。「牙」同人。引用した句は遺歌集 「蒼馬」による。
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