2005年12月01日

悲しき濡れ落ち葉

 落ち葉の季節となった。

 「日影さし時雨れきにけりくれなゐの極まる楓散りてやまなく」と、千代國一が詠んだ歌のように、木漏れ日があたり、時雨に舞い散るくれないの紅葉は、華麗に見えるけれど、なぜか寂しく切なさが胸に染みるようでもある。
 と、格好よく言うのは良いけれど、ホント言うと、髪の毛うっすらハゲ模様の私としては、優雅な気持ちに浸る前に、つい「濡れ落ち葉」の方を連想してしまう。
 言いたくはないが「濡れ落ち葉」とは
「定年退職の夫や、出かけようとする妻の後をついて歩いて離れない夫」のことを言うそうである。まあ、「粗大ゴミ」と言われるより、「マ いいか」という気がするけれど、
小樽の久木俊彦さんが詠んだ川柳
「妻の手で 払いのけられ 濡れ落ち葉」を読むと、ついわが身につまされてしまう。
 春の花が散るのと違って、落葉樹は五輪真弓の「恋人よ」のように、失恋や片思いに似合う。だけど、
「たとえば君 ガサット落ち葉すくふように私をさらって行ってくれぬか」--河野 裕子
と言うような歌もある。
 この落ち葉は、舞い散る枯葉とちがって、重い枯葉にちがいない。だから
「あなた 私をさらって行く勇気ある?」と、問われてタジタジとなる男性が目に見えてくるようである。
 ウーン、女性は強い。これじゃあ、男性が、濡れ落ち葉的存在になっても仕方ないよね。 
 
 ※ 千代國一‥‥1916年生まれ。「国民文学」責任者。歌集「鳥が棲む木」など。
    河野裕子‥‥1946年生まれ。歌詩「塔」選者。歌集に「歩く」「庭」など12冊。

投稿者 荘八 : 2005年12月01日 00:00

夢旅人 » 風に吹かれて » 悲しき濡れ落ち葉