2007年08月15日
挨拶
挨拶ーー原爆の写真に寄せてーー 石垣 りん
あ、
この焼けただれた顔は
1945年8月6日
その時広島にいた人
25万の焼けただれのひとつ
すでに此の世にないもの
とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の跡もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を
その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ
地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか
しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわけなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前8時15分は
毎朝やってくる
1945年8月6日の朝
一瞬にして死んだ25万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。
※ 石垣りん・・・1920年生まれ、2004年12月逝去。表題の詩は1952年8月にアメリカが原爆被害者の写真の公表を許可した時に作られたものである。
2007年08月01日
スクリーン・ミュージックよ もう一度
海の日の7月16日にNHKBS放送で「黄金の映画音楽館」が放映された。洋画全盛時代の1950年代~1960年代の映画音楽が、当時の予告編の映像と共に流されたのである。
出演した歌手の中に、私のとびっきり大好きな歌手が4人・・・ジャズの阿川泰子にピアノの国府弘子、オペラの塩田美奈子、ポップスの伊東ゆかり。みーんな、昔むかしからのファン。チョッピリ、オバサン化しているけれど、私だってオジーーサン化しているから仕方あるまい。
エ? 何? みんな女性ばかりって? 髪の毛うっすらハゲ模様になっても、私は男性。本能的に女性が好きになるのは当然である。
1950年代~1960年代といえば、私も青春全盛時代。当時、アアしてコウしてアアなった思い出が画面からよみがえって、懐かしさ溢れ気分はハッピイ。
映画の主題歌を聴くと映画のストーリイを思い出すし、映画の題名を聞くと主題歌を思い出すように、当時、映画と音楽は結びついていたものである。
「ティファニーで朝食を」とか「慕情」「愛情物語」「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」と・・・挙げればきりがない。
でも、今は、映画音楽と云えば、ミュージカル映画だけになってしまった。そりゃ、エンド・クレジットの画面で音楽が流れてはいるけれど、ENDマークが出れば、それっきりこれっきりでハイおわり。映画音楽として心に残るようなものは、ありゃしない。
私が今年見た映画は「硫黄島からの手紙」「ラッキーナンバー7」「デバーテッド」「デジャヴ」「ドリームガールズ」「「ブラッド・ダイヤモンド」「ハンニバル・ライジング」「ザ・シューター」「バベル」「ロッキイ・ザ・ファイナル」「守護神」「ラブソングができるまで」「「ソディアック」「ダイ・ハード4.0」。邦画では「犬神家の一族」「武士の一分」。合計16本。
私は、“ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れるけれど、わがヒイローは何故か無傷”という「スカット爽やかB級映画」愛好者だけれど、こうやって挙げてみると、ほとんど、どんなストーリイだったのか思い出せない。
「スカット爽やかB級映画」は、「スカット忘れるB級映画」なのかもしれない。
エ? 何? もう忘れるなんておかしい、それって、そーはちさんの「アホ化症候群」が悪化しつつある証拠じゃないの・・・だって?
とんでもない。大体映画の題名がカタカナ語なのが悪いのデス。昔は、映画を見なくても題名を見ただけで、どんな映画か予想できたのに、私がズラズラーットと挙げた映画のカタカナ題名見て、どんな映画のなのか分かる? 分かる訳ないよね。映画を見た私が分からない位だから、分かる訳がない。
題名さえチンプン・カンプンなのに、おまけに「スカット忘れるB級映画」でしょ。思い出せと云う方が無理である。フンだ!! ニッポンで上映する時は、日本語の題名を付けろ!!ってんだ。
ところで、今年見た映画の中で、主題歌があったのは 「ドリームガールズ」の主題歌と「ラブソングができるまで」の主題歌「愛に戻る道」の2本だけ。これって、音楽映画だから当たり前と云えるけれど、それにしても「映画音楽が素敵」などという話しは聞いたことがない。「スクリ-ン・ミュージック」という言葉は、死語になってしまったらしい。
こうなったら『スクリ-ン・ミュージックをはげます会』でも作って・・・ン? はげます会? ・・・ハゲ増す会・・・エーット、訂正することにしましょう。
『スクリ-ン・ミュージックをはげますことは止めて称える会』
でも、これって、長すぎ?
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