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<title>夢旅人</title>
<link>http://sohachi.morrie.biz/</link>
<description>不動産コンサルタント・森 荘八のホームページ</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Fri, 01 Aug 2008 00:00:39 +0900</lastBuildDate>
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<title>暑くて熱くってアツーーイ！！！</title>
<description><![CDATA[<p>　夏、真っ盛り。暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　『心頭滅却すれば火もまた涼し』と云っても、私、瞑想よりも迷想に耽るのが得意。だから無念無想の境地などなれっこないし、頭に氷枕を乗せて街を歩く訳にもいかないし・・・ウーン、やっぱり暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　街を颯爽と歩く見えそうで見えない超ミニの女の子や、ささやかな布でピチピチプリンの身体を覆った女の子を見ると、そりゃ、そちら様は涼しいでしょうけれど、こちら様のＨ心はカッカと燃えて、暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　今度届いた年金通知書を見たら「長寿医療保険」なる欄が設けられてあって、私はまだ該当しないから「０円」表示だけれど、その内「取りますわよ」というヤル気マンマンの通知書に変貌。<br />
　長寿というのは、長生きしておめでとうと言う意味でしょ。だから、お祝いの品を差し上げますと云うのならともかく、逆に保険を差し引きますというのとは、どだいニュアンスが違う！！！　<br />
　言葉遣いに気をつけろってんだ、とアッタマにきて暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　だから「後期高齢者医療保険」なんてオドロオドロしい名前や「長寿医療保険」なんてトンチンカンな名前でなくって、素直に「年長者医療費一部負担金」とでもすればいいでしょ。<br />
　私、我が国のオエライさんは博学多才の御方と思っていたけれど、ひよっとしたら浅学非才の御方の間違い？　と、思ったら我が国の将来が心配になって、暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　よく考えたら、私、就職して４０余年、若い時は助け合いの精神でいこうと云われて、あまり大病にも罹らず、せっせと健康保険料をウン千万円納めてきたのに・・・ああそれなのに、助け合われる時になったら邪魔者扱いするって、これって、何？<br />
「私のかかった治療費は全額払うから、支払った健康保険料返せ！！！」と叫びたい。でも博学多才の御方から「アホか！」と云われるのならともかく、浅学非才のオエライさんから云われると思うと悲憤慷慨・・・ゼッタイ暑くって熱くってアツーーイ！！！</p>

<p>　はるか宇宙の彼方で地球をウオッチングしているのナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、地球という星が『暑くって熱くってアツーーイ』のは、ヒト科の生物のなせる技だと断言し、この星に棲息している他の生物は文句も言わず黙って我慢しているのだから、<br />
「ヒト科の生物も、自業自得と思って文句を言うな」と云っているらしいけれど、やっぱり暑くって熱くってアツーーイ　！！！</p>

<p>　暑くって熱くってアツーーイから、このコラムで『暑くって熱くってアツーーイ』と悲憤慷慨したら暑さ半減するかと思ったけれど、やっぱ暑くって熱くってアツーーイ！！！<br />
　トホホ・・・残念。</p>

<p>　<br />
　<br />
　<br />
　<br />
　<br />
　</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/08/post_77.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Fri, 01 Aug 2008 00:00:39 +0900</pubDate>
</item>
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<title>私が無駄に過ごした今日は・・・Part 2</title>
<description><![CDATA[<p>　ホント、もうビックリ！　オドロキ！！　　大感激！！！<br />
　というのは、岩波書店が発行する月刊誌「図書」の７月号に、かの有名な哲学者土屋賢二さんのエッセイが載っていたのである。<br />
　それを読むと、ビックリ！　オドロキ！！　　大感激！！！　私が日頃思っていること、実行していることと同じことが書かれてあるではないか！！！<br />
　なんと、東大哲学科を卒業し、御茶の水大学教授で、趣味はジャズピアノの演奏という偉くて偉い人と同じだなんて、私も<strong>エラーーーーーーク</strong>なったような気がして、すこぶる愉快である。<br />
　是非、そのエッセイを読んで頂きたい。</p>

<p>　　買っても読まない本　　　土屋　賢二</p>

<p>　私の家には買っても読まない本が大量にある。原因は向上心が強いことにある。<br />
　暇ができると書店に行くが、そこで本を手に取ると、たいてい読みたくなる。<br />
「社会人として経済に無関心でいていいのか」<br />
「キリンのことをもっと知るべきだ」<br />
「水洗トイレの仕組みも知らないのは恥ずかしい」<br />
「砂漠に一人取り残されたときのために必要な知識だ」などと思えてくる。立ち読みしているうちに向上心はつのり、何が何でも今すぐ読まなくてはならないと確信して買う。<br />
　有益な本ばかりでは人間が偏ってしまうと思い、息抜き用に娯楽書も買う。教育テレビばかり見ているわけにはいかないのだ。<br />
　向上心に燃えて家に帰ってしばらくすると、二つのことに気づく。<br />
（１）有益な本を全部読破するには三百歳まで生きなくてはならない、<br />
（２）いま自分に必要なのは息抜きだ。<br />
　その日は息抜きのために娯楽書を読み、次の日になると向上心はあとかたもなくなり、行きあたりばったり生活に戻ってしまう。<br />
　有益な本はしばらく身の回りに置いた後、目の届かない本棚にしまって忘れてしまう。その本棚には同じ運命をたどった有益な本がつまっているが、その本棚に入れたからといって捨てたわけではない。いつか読むかしれないし、何よりも、捨てると向上心を放棄してしまうような気がして捨てられないのだ。<br />
　だから書店に入るときは、余命はわずかだと言い聞かせ、向上心を抑えている。それでも読まない本は増えていく。向上心がそれだけ強いのだ。それにしてはいっこうに向上しないのが不思議だ。</p>

<p>　ウン、同感同感。私が６月１日のこのコラム「私が無駄に過ごした日は・・・」を読んでもらうと分かると思うけど・・・・<br />
　エ？　何？　ドンパチB級映画愛好者のそう八さんと、哲学者の土屋先生とが同じだなんて、ホントよく言えよねェ・・って。<br />
　そんなこと云われたって、私自身が「同じ」と断言しているんだから、絶対間違いない。ウソじゃないんだって・・・。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/07/7_1.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 00:00:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『駅』で出会って・・・</title>
<description><![CDATA[<p>　先月ＮＨＫＴＶの音楽番組「ＳＯＮＧＳ」で、「ＳＯＮＧＳ　ＢＥＳＴセレクションⅢ」が放映、私好みのチューリップに竹内まりや、森山良子にあみんが出演した。うれしくたのしくほのぼのシアワセ感に包まれて聴いてしまった。<br />
　特に竹内まりやは、今年３０周年ということで、ファンから好きな曲を投票したもらったところ、１位が「駅」２位が「元気をだして」３位が「人生の扉」だったそうである。３曲とも私の好きな曲だけれど、番組で歌ったのはモチ第１位の『駅』<br />
　３０代～４０代の女性の共感を呼ぶ『駅』が１位になるのは当然かもしれないが、私のように、いい加減年を取ると『人生の扉』の歌詞<br />
　　<br />
　　　　　Ｙou　say　ｉｔ'ｓ aｌright to be 70<br />
　　　　　And say still good be 80<br />
 　　　　　But i'll maybe liｖe over 90<br />
　<br />
を聴くと、９０歳まで生きているとは思っていないものの<br />
「ウーン、・・・だったらいいなァ」と感じてしまう。<br />
　そして、後期高齢者とイヤがれる時代に生きていても、生きてることって素敵なことなんだと思はせるこの曲『人生の扉』が、今では私のＢＥＳＴ１になってしまった。<br />
　６月はジューンブライド。ときめいて華やぐ季節である。でも結婚はゴールであるけれど、ときめいてばかりはいられない。人生のスタートでもある。<br />
　そして目出度く結婚した女性でも、ある日ある時、シチュエーションは違っても、誰もがこの『駅』のようなシーンに遭遇したことがあるに違いない。その切ない想いが投票につながりＢＥＳＴ１になったのであろう。<br />
　　<br />
    　　　　　駅　　　　作詞・作曲　：　竹内まりや</p>

<p>　見覚えのあるレインコート　黄昏の駅で胸が震えた<br />
　はやい足取り　まぎれもなく　昔愛したあの人なのね<br />
　<br />
　懐かしさの一歩手前で　こみあげる苦い思い出に<br />
　言葉がとても見つからないわ<br />
　あなたがいなくてもこうして　元気で暮らしていることを<br />
　さりげなく告げたかったのに・・・</p>

<p>　二年の時が変えたものは　彼のまなざしと私のこの髪<br />
　それぞれに待つ　人のもとへ　<br />
　戻っていくのね　気づきもせづに</p>

<p>　ひとつ隣の車両に乗り　うつむく横顔を見ていたら<br />
　思わず涙あふれてきそう<br />
　今になってあなたの気持ち　はじめてわかるの　痛いほど<br />
　私だけ愛してたことも</p>

<p>　ラッシュの人波にのまれて　消えゆく後ろ姿が<br />
　やけに哀しく心に残る<br />
　改札口を出る頃には　雨もやみかけたこの街に<br />
　ありふれた夜がやってくる・・・</p>

<p>　でも、これっきりで幕が降りるのならいいけれど、もう一度出会ったらどうする？<br />
　私などは、たちまち駆け寄って、それからああしてこうしてああなって・・・と、まずはめでたし目出度しとなるに違いないけれど・・・。<br />
「ン？　そう八さんて、惚れっぽくて振られぽいんじゃなかったの？　だから、ああしてこうしてああならず・・・と、まずは残念無念でしょ」<br />
　フン、女性ってなんてリアリスト。この曲を聴いた時ぐらい、ああしてこうしてと素敵な夢に浸ってもいいでしょ。プンプン！！！</p>

<p><br />
　</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/07/post_76.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Tue, 01 Jul 2008 00:00:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>チンプンカンのプンプン</title>
<description><![CDATA[<p>　ホント、もうびっくりおどろきがっかりしょんぼり！！！<br />
　先日、わが愛するドンパチ映画の最高峰たる『ランポー　最後の戦場』を見に行った時のことである。<br />
　映画は、無論、我が不死身のヒーローが、ドンドンパチパチ撃ちまくりバッタバッタと敵は倒れるものの、相手の銃弾は、なんたってこちとら不死身ときているから避けて通る。<br />
　我が不死身のヒーローは、おまけに正義の味方。相手は命令されて戦っているだけの単なる兵隊さんだから、本来であれば、その兵隊さんを倒したらその妻や子どもはどうやって暮らしていくだろうとか、美人の妻ならば再婚すればいいけれど、不美人だったら結婚できず可哀想だとか、大いに我がヒーローは悩まねばならぬ。<br />
　しかし幸か不幸か映画は１２０分で終わらなければならないので、我がヒーローは悩む暇などありゃしない。ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れて先ずは目出度しめでたし・・・てな訳で映画は終わったものの、問題は私の後のシートに座っている二人の男性の会話。<br />
　私は、映画の始まる１０分前に入ったのだけれど、その間二人がペラペラ話している内容が、まるでチンプンカンで、何を話しているのかまったく分からないのである。<br />
「それで××××なら、＊＊＊＊＊になるし、△△△△でしょ」<br />
「ウン、だって※※※※だし、もう☆☆☆☆☆しているのに、＃＃＃＃＃だよね」　<br />
　私が分かった単語は、「インテル」と「ソニー」の二つの名詞のみ。後は、全て理解不能なカタカナ語を駆使してチンプンカンプン。<br />
　フンだ！！！　我がニッポン国内でニッポン人がニッポン語で話している内容が分からないなんて、そんなバカな話ってある？<br />
　どうも、コンピューターかインターネットに関することを話しているらしいが、私、パソコンもインターネットも駆使していると自負していたのに茫然自失。私って、まるっきり時代遅れになっているらしい。長生きはしたくないもんだ。<br />
　映画が終わって後を振り向いて見たら、フツーの学生さん。コンピューターオタクでもなさそうである。にこやかに<br />
「すごい映画！！」なんてフツーの会話をしている。でも、あのチンプンカンプン会話がフツーの会話なんて・・・信じられない！！！　<br />
　それに、である。若い女の子達が<br />
「あいつ、ウザイからチャッキョしちゃった。今度イタメルしてやる」とか<br />
「彼ってイケメン。それでニケツして行ってアゲアゲなの」なんて話しているのを聞くと、これまた<br />
「ン？」<br />
　フンだ！！！　我がニッポン国内でニッポン人がニッポン語で話している内容が分からないなんて、そんなバカな話ってある？<br />
　私は、もうチンプンカンプン会話に囲まれてプンプンプンのプン。大いに傷つき怒っている。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/06/post_75.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Sun, 15 Jun 2008 00:00:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>切なさを刻んで・・・(掌編小説）</title>
<description><![CDATA[<p> 彼女は行ってしまった。私の知らない何処かに。私の心に深く切ない思いを残して姿を消した。</p>

<p>　５０歳にもなると、青春の頃、夢と希望に輝いていた人生も色褪せてしまう。そして、夢と希望を上手に諦めることが出来るようになると、風に逆らって歩くこともなくなってしまった。<br />
　大学を出ると、私は故郷の福岡県にある建設会社に勤め、身をかわすことが出来なくなるような荒波をかぶることもなく、ほどほどの人生を歩んできたと云えるかもしれない。<br />
　しかし、６０歳の定年まで１０本の指で数えられるようになってくると、これからの自分の行きつく場所が見えてきてしまった。<br />
　そして、自分の人生の持ち時間が、今まで生きてきた時間よりも少なくなってきたことに気がつくと、このままの状態で自分の人生に終止符を打つことに対し、何か物足りなさを感じてならなかった。<br />
　それに、これまでの自分の生きたきた時間の重さを感じることもなく、唯、単に生きてきただけに過ぎないのではないかと疑問を感じ始めてきた。<br />
　言い換えれば、自分の人生から家族と仕事を除いたら何も残らないのではないか、ということに気が付くと寂しくなってきたのである。<br />
　だから、家族と仕事以外にも、私自身にとって自分が生きてきたという証が、何か生きていて良かったと思えるものが欲しかった。とは云うものの、それが何だか分からないままに暦は確実にページをめくり、時だけが流れていった。<br />
　<br />
　１９９８年の秋、私は役員に昇進すると共に、東京支社の開発部長として転勤することになった。入社して以来、転勤したことはなかったので、まさか５０歳になって転勤するとは思わなかったが、東京で初めて大規模開発を手がけることになり、本社で長年開発を担当していた私が東京に行くことになったのである。<br />
　しかし、病気がちの母を抱えていたため、妻と母を残し私だけが東京に行くことになった。長男は就職して広島に、次男は長崎大学に在学中で、家に居るのは母と私たち夫婦だけだったのである。<br />
　東京では、中目黒にある３LDKの会社が所有しているマンションを借りることとなった。一人では広すぎたが、会社が八丁堀にあり日比谷線で乗り換えなしで行けるのが助かった。　<br />
　一通り炊事道具は揃えたものの、帰るのが遅くなると自分で作ることが億劫で、つい外食することが多くなってしまった。　<br />
　東京に着任するや、休日もない程仕事に追い回される毎日が続いた。その年の秋には天皇陛下がご重態となり、そして年が開けると共に崩御されて昭和が終わりを告げた。アメリカの大統領も代わり、ソ連はアフガンから撤退し，何かが終わりを告げ何かが始まろうとしていた。私の仕事も春になると、何とかプロジェクトを軌道に乗せることが出来、一息つけるようになった。<br />
　仕事が楽になると、むしろ休日には一人でいると時間をもてあますほどであった。そこで運動不足を補うためにもと、会社の女性に相談したところ、ヨーガはどうですかと云うことであった。<br />
　ヨーガだと年齢に関係なく無理せずにマイペースで出来るということだったので、電話帳を見て会社の近くにあるヨーガ教室を探し出した。　<br />
　それが京橋にある綿本ヨーガスクールである。<br />
　そして、そこで高校時代の同級生である木村民子と会ったのだった。東京に来て翌年の春、５１歳の時のことである。<br />
　木村皆子と顔を合わせた瞬間、私は彼女の名前を口にしていた。高校を卒業してから会ったこともなかったのに、自然にその人の名前が出てきたのである。そして、驚いたことには彼女も<br />
「あら、尾田さん・・・隆さんでしょ？」と同時に私の名前を口にしたのだった。<br />
　私の心の中で３３年という時の流れがくだけて散り、私は彼女と最初に出会ったあの遠い日に戻ったような気がした。<br />
　高校時代、私は彼女と特に仲が良かったといういう訳ではない。私が入学したのは熊本市にある熊本高校だったが、福岡県行橋市にある京都高校に１年生の時に転校し、その転校してきた最初の日に、校舎の角で出会い頭にぶっつかりそうになって顔を合わせたのが木村皆子だったのである。その時、<br />
「あら、ごめんなさい・・・」と話しかけられたものの、私はただ立ちすくみ口をきくことさえ出来なかった。私が入学した熊本高校は男子校だったから女生徒と話すことに慣れていなかったせいでもあるが、なによりも彼女の笑顔が眩しく、ときめいて胸が一瞬止まったような気がしたのである。<br />
　そして、それ以来彼女の爽やかですがすがしい笑顔は、私の心を捉えて離れようとはしなかった。<br />
　しかし、彼女とはクラスも違っていたし、又、彼女は男子生徒の憧れの的でもあったから、転校生である私にとって彼女は遥か遠い存在であるように思えた。だから、私は、そのときめきを胸に秘めたまま卒業してしまったのである。<br />
　だが、あれから３３年も時が流れているのに、彼女に再会した時、あの遠い日と同じときめきを感じたのはどうしてであろう。それは自分でもよく分からなかった。卒業してからは彼女のことを思い出すこともなくなり、そして、忘れてしまっていたのに・・・。<br />
　思いもよらぬことだが、きっと、私の心のアルバムの一頁に彼女の写真が貼ってあったのに違いない。<br />
　３３年の歳月は、彼女の若い頃のあのときめいてはじけるような笑顔を、あでやかにしっとりとした笑顔に変えているものの、ぬけるように白い肌とやさしく人の心をつつむような眼差しは少しも変わっていなかった。<br />
　二人並んでヨーガをした。私と違ってもう１５年もヨーガをやっているという彼女は伸び伸びと、とても５０代の身体とは思えず眩しく思えた。<br />
　その日は、土曜日だった。土曜日のヨ－ガは１２時から始まり１時半に終わる。ヨーガをする前の食事は禁じられていたので、ヨーガが終わると<br />
「おなかペコペコ。私、終わって食べるのが嬉しくってヨーガをやっているようなものだわ」と言い、彼女の行きつけの店に行くことになった。<br />
　ヨーガ教室は京橋の交差点の近くにあった。そこから環状１号線の下を通り抜け、銀座１丁目に出ると、そこにドイツ料理店「つばめ」がある。そこで食事することとなった。<br />
　彼女のお気に入りはハンブルグ風ステーキ。<br />
「これって、コレステロ－ルの固まり。あなたは別のものが良くってよ」と、云われたものの同じ料理を注文した。<br />
　この料理はアルミホイルに包まれた熱々のハンバーグに，添えものとして皮のついたままの大きなジャガイモが一つ付いて出てきた。彼女はこのほかほかのジャガイモが大好きだったのである。<br />
　食事が終わると、銀座三丁目の角にある銀座カネボウのティルームでお茶を飲んだ。<br />
「不思議だわ。私達、ずっと昔からの知り合いみたい」<br />
「そう、あのぶっつかりそうになった出会いだけなのに」<br />
　彼女もそのことを覚えていた。<br />
「だけど、尾田さん、あの時、この野郎って顔をして何も云わず私を睨みつけたでしょ。そして、それから後は、廊下ですれ違っても、女の子なんて眼中にない顔をして、目線は私を通り越して遥か彼方。まるでツンツンのツンだもの」<br />
「そんなことないよ。それは木村さんの方」<br />
「なんだ、二人とも同じように思っていたのね」<br />
　二人とも吹き出した。そして、過ぎ去った時と共に、あの切なく甘い想いが戻ってきたような気がしたものである。<br />
「今、考えると信じられないみたいだけど、二人とも若くて純情だったんだ・・・」<br />
「そうね、あの頃に帰りたいわ。純情だなんて言葉、セピア色に色褪せて・・・そう、私の世界からなくなっちゃった」<br />
　またたく間に時は流れ、気が付くと黄昏がティルームのガラスに広がっていた。彼女の家は恵比寿、私は中目黒だったので帰る方向は一緒だった。こうして、彼女との出会いが始まったのである。<br />
　それからは、毎週土曜日になるとヨ－ガに行き、彼女と出合った。ヨーガが終わって夕方別れるまでのほんのひととき、私は切なくきらめいていたあの時代に戻り、時までも豊かにゆったりと流れていくように思えた。<br />
　しかし、気持は青春時代に戻っているようにみえても、話すことといったら、お天気の話に始まって、いつもたわいのないよもやま話ばかりだった。云ってみれば、私達の年代にありがちな不朽にして無難な話題ばかりである。<br />
　お互いに家族のことはあまり話さなかった。私にとって彼女だけが私の知りたい全てであり、彼女以外のものに対しては興味がなかった。だから、彼女の家や夫のことについては、一切聞かなかった。いや、聞きたくもなかったと云った方が正しいのかもしれない。<br />
　彼女も多分私と同じ考えだったのだろう。私の妻のことも話題にのぼらなかった。二人とも、会うときはあの時代に戻って家族や仕事と切り離された世界にいたい、という同じ気持を持っていたのだろう。お互いに自分の生活を匂わして会いたくなかったのである。<br />
　ただ、彼女が日立系のコンピューターソフトの会社に勤めている娘さんと大阪の大学に行っている息子さんの話を一度だけしたことがある。そして、<br />
「私って子供のことになるとつい一生懸命になっちゃうの。だから、今までの私の人生って子供のためにあったようなものよ」と話した。そして<br />
「だけど、２人とも私の手から離れてしまったでしょ。もう私の家では、私いなくってもいいの。もうこれからは、自分で私の人生を生きたいわ」と言ったことがある。<br />
　彼女は結婚生活が幸せなのかどうか、ほのめかしたことなど一度もなかった。だからその時、私は彼女が言った意味を図りかねたのである。単に束縛されず振舞うということなのか、それとも家族から離れて自分独りで生きてゆきたいということなのか分からなかった。<br />
　と、云うのは、彼女の場合独りで生きていくということが可能だったのである。彼女は宝石のデザイナーをしていた。彼女の仕事場は銀座２丁目にある銀座貿易ビルの角を曲がり昭和通りに行く途中にあった。宝石加工会社「ルブエ」である。仕事の性格上、会社で必ずやる必要もないため家にも仕事場を持ち、会社には必要な時にだけ行くということになっているらしかった。<br />
　好きなことをして、それが仕事になるという羨ましいほどの環境で、原石をカットするためのデザインもさることながら、古い宝石をカットしなおすためのデザインの仕事も多いようであった。私はまったく知らなかったが、宝石のリホームの方ではかなり名が知られているようだった。だから、<br />
「私、一人で生きていく位の収入はあるのよ」と云って、食事する時はいつも割り勘を主張し私を困らせたものである。　<br />
　私の会社は八丁堀にあり彼女の仕事場は銀座１丁目、住まいも中目黒と恵比寿。偶然とはいえ、いずれも近くにあって、それで京橋のヨーガを二人とも選んだことになったのであろうが、私には何か見えない糸で結ばれていたのではないかという気がした。<br />
　しかし、彼女は<br />
「私達、１８じゃないのよ。５０にもなってそんなこと云ったら笑われるわ」と云って取り合わなかったが、私は会う度ごとに彼女の笑顔のとりこになり、そして彼女への想いを強くしていった。<br />
　私はそれ迄妻に対し何も不足はなかったし、家族を大事にしたいという気持に変わりはなかった。妻も子供たちも愛していると云っても過言ではなかったのである。だが、妻に対する感情は恋とは異質なものであった。<br />
　結婚した男が妻以外の女性を好きになった時、浮気と一言で決め付けられてしまう場合が多いが、私はこれが浮気とは思いたくなかった。浮気と恋心とは違うと・・・。<br />
　私は、浮気心を起こしたことはあっても、恋心を抱いたことなど一度もなかった。恋心を持つことが出来るのは、青春だけが持つ特権だと思い込んでいたのだる。<br />
　それが、この年になって、そういう気持ちを持つようになろうとは自分でも信じられなかった。そして、私の心の中で妻に対する愛情と彼女に対する恋心とは、お互いに矛盾することなく存在し得たのである。<br />
　彼女と会って１ヶ月もたつと、ヨーガの時に会うのではなく映画やコンサートにも一緒に行くようになった。誘うと彼女はいつも出てきた。彼女が夫に何と云って出てきているのか知らないし、又、聞こうともしなかった。彼女の夫が寛大なのか、それとも冷え切っていて断って出てくるまでのこともないのか、私には見当もつかなかった。<br />
　しかし、会う時間が増えたからといって私達の関係が進んだかというと、まったく変わらなかった。<br />
　私の方は、会う度ごとに彼女の手を握りたい、彼女の顔を両手でそっと包んでみたい、そして、この腕でしっかりと抱きしめてみたいという想いを強くしていった。<br />
　だが、私の手が触れようとすると、彼女はいつもさりげなく外してしまうのだった。<br />
　恋をすると、人はいつもその人の側に居たい、触れてみたいと思うものである。私は５０歳になってと笑われそうだが、本当にそうだった。そして、私の気持ちは彼女にも伝わっていたと思う。それに、彼女の素振りや私を見詰める目、話し振りから考えると、彼女も私と同じ感情を抱いているように思えた。<br />
　しかし、彼女は心では私を受け入れているように思えたが、それが実際に行動で示されると・・・手を触れようとしたり、肩を抱こうとするだけでも・・・いつもさりげなく、私を傷つけないようにそっと外すのだった。私にはそれが理解できなかったが、そっと外されるともうそれ以上のことは出来なかった。５０歳という分別もあったし、彼女から嫌われるようなことはしたくなかったのである。<br />
　彼女は柔らかくカールさせた長い髪を後で括っていた。だから、耳からうなじにかけての白い肌がいつも私の目を惑わせたものだった。しかし、いつもきちんと括られている髪を見ていると、たまには彼女の頬にかかる長い髪も、風にそよぐ長い髪も見たいと思ったものである。<br />
　しかし、彼女はリボンで結わえた長い髪を決してとこうとしなかった。私には、固く結わえられたその長い髪が、私を拒む心の象徴のように思えたものである。<br />
　彼女の星座は水瓶座で私は獅子座だった。ホロスコープのとおり二人とも考えも好みもまるで違っていた。私にとってそれが面白く感じられたし新鮮に思えた。彼女の意見を聞くのが楽しく、性格の違いがかえって二人の間を引き付けたといってもよかった。ただ、音楽については、二人の好みが一致した。<br />
　そこで、その年の初め、そう、彼女に会って半年が過ぎた頃である。谷村新司のコンサートに行くことになった。その年のコンサートツアーが始まり私の好きな曲というか、それよりもむしろ私の彼女に対する気持ちを歌に託したような曲がプログラムに入っているのを知っていたのである。<br />
　だから、彼女に聞かせようと私が誘ったのだった。彼女にその曲の名前は教えなかった。コンサートが終わった後で、当てて欲しいと云ったのである。<br />
　コンサートは渋谷のNHKホールであった。私が聞いて欲しいと思ったのは「海猫」という曲である。</p>

<p>　　　いつか憩える時が来たなら<br />
　　　貴方の手をひいて　汽笛のきこえる<br />
　　　町へ行きたい<br />
　　　<br />
　　　その時がくるまで<br />
　　　私は生きていたい</p>

<p>　　　その時がくるまで<br />
　　　私は生きていたい</p>

<p>　　　潮風にゆれる　長い黒髪を<br />
　　　この目にみるまでは　生きていたい・・・</p>

<p>　　　いつか笑える時が来たなら<br />
　　　貴方と二人きりで　汽笛のきこえる<br />
　　　町へ行きたい<br />
　　　<br />
　　　その時がくるまで<br />
　　　私は生きていたい</p>

<p>　　　その時がくるまで<br />
　　　私は生きていたい</p>

<p>　　　海の雪のように　群れ飛ぶ海猫を<br />
　　　この目にみるまでは　生きていたい</p>

<p>　　　この目に見るまでは<br />
　　<br />
　　　生きていたい・・・</p>

<p>　コンサートが終わりＮＨＫホールを出ると、公園通りを下りパルコの角を右折してスペイン通りに出た。そして、その通りの階段を下りきった所にあるスペイン料理の店「ピイドロ」で食事をした。ワインと野菜のマリネにイカの墨煮、それにパエジャを頼んだ。そして、ワインが出てグラスを会わせ、彼女が口をつけようとした時、私は<br />
「ストップ。曲を当てたら飲んでいい」<br />
「当たらなかったら？」<br />
「その時は、罰ゲームとして僕の頬にキスをする」<br />
「いやね。隆さんてずるいわ」と睨んで<br />
「大丈夫。当てちゃうから」とにっこり微笑んで<br />
「でも、ヒント頂戴」<br />
　私はこの微笑に弱い。<br />
「そう・・・僕の想い。皆子さんに対する想い。だけど、何故か口に出せなくって・・・」<br />
「そう・・・」と、真剣な顔をした。そして、しばらくたってから<br />
「本当は聴いたときにすぐ分かったの・・・海猫でしょ」と、まっすぐ私を見詰めながら云った。<br />
　そして<br />
「隆さんの気持ち分かってるの。だけど・・・」<br />
　後は言葉がなかった。目が潤んで見えた。それから料理が配られてきたが彼女は口数が少なかった。そして、しばらくして<br />
「日本海の沿岸にいるんですってね。海猫」<br />
　島根県の日御岬。私は思い切って心に思っていることを話した。二人でそこに行き海猫を見たいと・・・。彼女が承知する訳がないと思っていたが、口に出さずにいられなかったのである。彼女は<br />
「そうなの・・・。どうしても？」と訴えるような目をして私を見つめた。<br />
　そして彼女は黙り込み、私は料理を食べることに専念する振りをしたが、どんな味がするかはまったく分からなかった程である。<br />
　食事が終わると店を出た。渋谷駅前の人通りの少なくなったスクランブル交差点を渡る。ところが、その交差点の真ん中で、彼女は急に私の手を引いて立ち止まり、私を見つめて<br />
「いいわよ。行きましょう。日御崎」<br />
　私は、一瞬周りの動きが止まったように思えた。立ち止まっていたのは、ほんの数秒だったに違いないが、わたしには永遠の時が流れたような気がしたのである。<br />
　<br />
　１ヶ月後の秋も終わりに近い土曜日の朝、JAS２７１便で出雲空港に向かった。１時間２０分の空の旅である。早朝の第１便なので彼女がお弁当を作って持て来てくれた。少し大きめの折箱に二人分のお弁当。小さなおにぎりと私の好きな玉子焼き、鳥の唐揚げにブリの照焼、それにアサリ貝の佃煮と奈良漬が少しずつ入っていた。<br />
　一つの弁当を二人で分け合って食べていると、通りかかったスチュワーデスがお仲がよろしいのですね、旧婚旅行ですかと云いながらお茶を持ってきてくれた。すると、彼女は<br />
「ええ、そうなの。わかります？」とはしゃいだ声を出した。いつもより彼女は明るく屈託がなく、そしてきらめいて見えた。その都度、彼女のぬくもりが私に伝わり、私の心をとかしていくような気がした。<br />
　JASのジエット機DC９は青く澄み切った空を駆け抜け、９時過ぎには出雲空港に到着した。時間が早いので、まづ出雲大社に行くことになった。空港から車で４０分たらずで行く。車を降りると、彼女は私の腕に手を廻し私を見て微笑んだ。<br />
「ね、ご満足？」<br />
　そしてゆくりと杉並木の参道を歩き銅鳥居をくぐった。時々、彼女の胸のふくらみが私の腕に伝わり、私の心は波立って、その鼓動が彼女に伝わるのではないかと心配した程である。鳥居をくぐると拝殿に着いた。出雲大社は縁結びの神様である。彼女は<br />
「私達、来るのが遅すぎたみたい。ザーンネン」と笑いながら云ったが、私は遅すぎたとは思わなかった。まだ、今からでも間に合うと・・・。そして二人でお参りした。<br />
　それから、参拝順路に従って４９社、氏社・・・と周り最後にベンチに座って肩を寄せ合って休んだ。境内は人影も少なく晩秋の透き通った陽ざしの中で、私は幸せだった。このまま秋の空気の中に溶け込んでいけたらと思った。彼女も<br />
「静かね。時間が止まったみたい。ずっとこうしていたいわ」と溜息をついたが<br />
「だけど、おなかもすいちゃった」と云って私を笑わせた。<br />
　そこで、出雲大社の近くにある創業１８０年という手打ちそばの老舗「荒木屋」に行き、三段重ねの朱の器に入った割子そばを食べた。さすが本場だけあって<br />
「おいしい。おなかいっぱい。又、感動しちゃった」と彼女は目を輝かせた。<br />
　そこから、バスに乗り島根半島の西端にある日御崎に行った。稲佐浜を過ぎ崖の上を走りトンネルを抜けると海の向こうに三瓶山がすっきりと見えた。それから日御崎道路を走り３０分足らずで日御崎のバス停に着いた。<br />
　日御崎では旅館は１軒しかなく、あとは民宿である。旅館は団体が入っていたので敬遠し、グラスボートの乗り場の近くにある民宿を予約していた。「おおみや荘」である。<br />
　宿に荷物を置き外に出ることにした。宿の近くにある日御崎神社にお参りした後、鳥見台展望所から海猫を見て、それから日御崎灯台に行き夕日が沈むのを見ようということになった。<br />
　バス停の側にある朱塗りの美しい楼門をくぐると正面に日御崎神社の下の宮の本殿と拝殿が、右手の小高い所に上の宮がある。下の宮は天照大神を上の宮は須佐之男命をお祭りしてある由緒ある神社である。<br />
　そこでお参りしてから海岸に出て鳥見台展望所に行った。展望所の目の前にある小さな岩礁・経島が海猫の繁殖地である。飛来したばかりでまだ数は少なかったが、深く青い空をすべるように白い翼を広げて海猫が飛びかっていた。そして、その鳴き声を聞くやいなや彼女は<br />
「本当だわ。ネコの声にそっくり。でも、なんだか悲しい声ね」<br />
　二人ともその声を聞きながらあくこともなく海猫と経島と日本海を見入った。さすがに海の風がひんやりと感じられ、そして海猫の声が心にしみるように聞こえた。<br />
「海の雪のように群れ飛ぶ海猫を・・・」と、彼女は口ずさみ私を見上げて笑ったが、何故か寂しげに見えた。それは、谷村新司がこの曲を切なく哀しく歌っているせいであるかもしれない。この曲は、海猫を見に行きたい行けない切なさを歌った曲であるが、しかし、私達はそうでない。寂しいはずがなかった。<br />
　だけど、私には彼女が切なそうに見えて仕方なかったのである。私はその時初めて、私と一緒に来てくれているものの、彼女の心の内では、まだ何か吹っ切れないものが残っていて、それが切なさとなって表われているのではないかという気がしたのである。<br />
　それから日御崎灯台に行った、松林の緑の中に真っ白な灯台が鮮やかに青い空に映えて見えた。石積みの灯台としては東洋一だそうである。高さ３８ｍ。１６３段の階段を上がると展望台がある。<br />
「なんたって、もうダメ。やはり私達ダテに年取ったみたい」<br />
　息をきらして昇ると展望が広がった。限りなく拡く青い海が空と交じりあい溶け合って私達を圧倒した。<br />
　陽が落ちようとしていた。空と海を茜色に染めて太陽が沈もうとしていた。刻一刻と微妙に空と海の色が彩られ変わっていった。そこにあるのは圧倒的に迫る自然だけだった。私達は言葉もなくたたづみ、風に染まって永遠の時の中に溶け込んでしまったように思えた。夕日とともに、さまざまな想いがゆるやかに漂いそして消えていった。そして静粛だけが残った。<br />
「人間で、はかないものね」<br />
　陽が落ちると寒さが戻ってきた。月明かりの中で漁火が点々とともり、それを見ながら私達は宿に戻った。<br />
　民宿「おおみや荘」に泊まっているのは私達だけだった。８畳の間に応接セットを置いた広縁があり、その向こうに海が見える。先にお風呂に入りそれから食事をすることとなった。風呂上りの浴衣を着た彼女は、すがすがしさが香り立つように思えたものである。美しかった。そして廊下の端にある洗面台の前に立ち、後ろで結わえた髪をほどき<br />
「どう？」と、肩に掛かった髪を後ろに払いながら私に笑いかけた。その仕草が艶かしく私は目にやり場に困ったほどである。<br />
　それからすぐに料理が運ばれてきた。鯛の生き造りに磯の香りがする料理がテーブルいっぱいに並べられた。<br />
「あなたと一緒にいることに乾杯」<br />
　彼女はそう云って微笑んだ。その笑顔が私の心にしみた。<br />
　食事が終わると料理が片付けられ、二組の布団がひかれた。私達は応接セットに座り、月の光に浮かぶ海を見ながら波の音を聞いた。二人とも布団の方を見るのが憚れたような気がして、私達はまるで１８歳の頃に戻ったようなものだった。ぎこちなく時が流れ遠くで汽笛が鳴り二人の静けさを破った。<br />
「もう寝ましょうか」<br />
　私が廊下のカーテンを引こうとすると、彼女が<br />
「月の光の下で寝たいわ」と云ったので、部屋の障子も開けたまま寝ることにした。<br />
　二組の布団に横たわり、月の明かりに仄かに浮かぶ彼女の顔を見詰めた。すると、彼女が<br />
「手を貸して」と私の手を握り、浴衣の襟を少し開け、そっと乳房に導いたのである。<br />
　私の指が、その固く尖った乳房にふれ、そして手のひらが、たよやかに弾む乳房を包んだ。私の手のひらと乳房は、初めからなじんでいるかのように一つになり、そしてその込めた想いを伝えあって熱く燃え・・・そう、二人で見たあの日本海に沈む夕日のように私の心を溶かした。<br />
　すると、彼女は一瞬身体を震わせ私の手をそっと乳房から外した。そしてその手を握ったまま私の方に向き直り私を見つめた。そして云った。<br />
「ごめんなさい」<br />
　月の光の中で、彼女の瞳がきらめき潤んだ。瞳からあふれた涙が、頬に伝わり流れた。私は「ごめんなさい」という意味を瞬時にして理解した。しかし彼女の瞳は、そして頬に流れる涙は単に「ごめんなさい」という以上のことを意味しているように思えた。限りなく寂しく深い悲しみがそこにあったような気がしたのである。<br />
　それが、私の熱く燃えた身体を除々にさましていったものの、彼女の瞳にうつったメッセージはいくら考えても分からなかった。彼女の流した涙の数だけ、私も涙を流したかった。しかし、それは出来なかった。そして、波が紡ぐ調べと時々聞こえる海猫の声を耳にしながら、彼女の心の扉を開くことが出来ないままに夜を明かしたのである。<br />
　しかし、明け方には少し寝たのであろう。翌朝、目が覚めた時、彼女はきちんと洋服に着替えて私の枕元に座り私の顔を見ていた。<br />
「おはよう」<br />
　昨夜のことはまったく忘れたかのように明るい声を出した。そして昨日と同じようにはしゃぎ笑顔を見せた。それが、昨夜のことは触れたくないということのように思われ、私は何も聞かないことにしたのである。<br />
　食事が終わると民宿に荷物を預けて、福性寺の根元の周りが４ｍもある大ソテツを見ておわし浜に廻った。昨夜より少し寒く感じられ、そのせいか彼女は私にぴったり寄り添って歩いた。昨夜の涙が嘘のように思われたほどである。それから荷物を受け取ると出雲空港に向かった。ＪＡＳ２７４便に乗ると東京には３時に着く。こうして私達の旅は終わった。<br />
　次の週末はもう１２月である。綿本ヨーガスクールに行くと，担当の先生から一通の手紙を受け取った。彼女からの手紙である。そして、彼女がヨーガを止めたということを聞かされたのである。私は、うわの空で食事も取らず銀座カネボウのテイルームに行き彼女からの手紙を読んだ。</p>

<p><br />
　突然のことで驚かれたと思います。でも、お会いしたら私の心、きっと揺れるにちがいありません。だから、こうして手紙をしたためることにしました。<br />
　私は、あなたにお会いする迄は、夕暮れの坂道を転がっていくような色褪せた毎日を送っていたのです。でも、あなたにお会いし、あなたが私を見詰める度に、私の心にかかっていた魔法が溶けていきました。心凍らせていたものが溶けて、どこかに置き忘れていた笑顔が戻ってきたのです。そして、あなたが私に恋した以上に、私はあなたに恋をしていることが分かったのです。<br />
　あなたが私にちょっとでも触れる度に、あなたの指先からあなたの想いが伝わってきました。私を欲しいというあなたの想いが、そして私も同じ気持ちでした。あなたの腕の中で、忘れかけていた温もりを確かめたいと・・・。<br />
　でも、それが出来ませんでした。あなたは私を夢見ているのです。誤解しているのです。それも美しく・・・。私はもう５１歳。私には若さも、豊満さも成熟さもありません。私の身体にあるのは、そう残念ながら５１年にわたって刻み込まれた歳月の襞だけなのです。私は風呂上りの鏡の前で、せめてもう１０年早くあなたとお会いしていたらと、何度唇をかみしめたことでしょう。でも、それが現実なのです。<br />
　そんな私をあなたに見せたくなかった。私の身体を知れば知るほどあなたはショックを感じるに違いありません。私はあなたを失いたくなかった。<br />
　そんな時、谷村新司のコンサートで海猫の曲を聴きました。この曲を聴きながらあなたの痛いほどの気持ちを知り私の心はぐらつきました。<br />
　そして、海猫をあなたと見に行く決心をしたのです。そこであなたに一度だけ抱かれよう、そしてお別れしようと・・・あなたに嫌われない内に。<br />
　そう、今までの人生で、数々の過ちを繰り返しているのだから、それに一つ加えるだけだから、神様許してくださいと・・・。<br />
　でも、あなたの手が私に触れた時、鎖に繋がれていた私の秘められていた感覚が目を覚まし、私の心は底なしの闇に落ちていきそうになりました。その時、私は分かったのです。私のさがの恐ろしさを。そして、私があなたを受け入れた途端、私の身体はあなたから離れられなくなることを。そんな私をあなたが嫌いになっても、あなたを追いかけていくことを・・・。<br />
　だから、私は私の身体に逆らって、めくるめくような感覚に逆らって必死にあなたの手を払いのけました。こんなにあなたが好きなのに・・・どうして抱かれたらいけないのって・・・。涙が止まりませんでした。<br />
　私達、もう恋をする年齢をとっくに通り過ぎていたのですね。お友達・・・そうお友達だったらと何度思ったことでしょう。でも、好きになってしまったことは後悔していません。あなたと見つめ合った日々を抱きしめ、とうの昔あきらめていた今迄の人生に句読点を打って、これからの新しい人生を自分のために生きてゆきたいと思います。私に素敵な思い出を下さってありがとうございます。<br />
　もうお会いすることもないと思いますが・・・でも、いつかどこかでお会いすることを夢見て、その時は笑顔でお会いできますように・・・・。</p>

<p><br />
　手紙を読み終えると、ガラス越しに銀座通りを歩く人々が霞んで見えた。そして、初めて私は、あの夜、彼女の流した涙を理解したのである。<br />
　そう云うことだったら・・・と、私は思った。私だって同じだと。私も同じ年、見るに耐えないのはむしろ私の方だと。心さえ通じれば顔や身体は関係ないんだと叫びたかった。<br />
　そして、彼女が欲しいなんてもう云わない、手を握りたいとも云わない、唯、会って貰うだけでいいと云いたかった。もう一度会いたい会って話をしたい、友達でいいからと・・・。<br />
　翌日、彼女の所属していた宝石加工会社「ルビエ」に電話した。彼女は辞めていて、連絡先は分からないということだった。そこで、意を決して彼女の家に行くと表札は掛っていたものの人の気配はなかった。<br />
　すると、隣の家からおばさんが顔を出して話してくれた。奥さんはいないわよ、別居している娘さんのマンションに行って一緒に住むって。なんでも、独立してお仕事をやられるみたい。ご主人は、めったに見かけることはないから連絡のとりようはなわね、と。<br />
　それからというものの、私は眠れぬ夜を重ねたが、彼女が居ないのにもかかわらず近くに感じるようになった。過ぎた日は帰らないけれど、彼女は私の心の中で鮮やかによみがえり、彩を加えていった。<br />
　そして、彼女の手紙にさようならの言葉がなかったことに気がつくと、私の消えかけていた心のともしびがほのかに瞬き始めた。<br />
　私は、一つだけからっぽのまま残されていた心の引き出しに、その想いをそっとしまい込んだ。<br />
　　　　　　　　京都高校同窓会誌第２号掲載（１９９３年発行）</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/06/one_way.html</link>
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<category>心　紡いで</category>
<pubDate>Thu, 05 Jun 2008 20:48:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私が無駄に過ごした今日は・・・</title>
<description><![CDATA[<p>　『私が無駄に過ごした今日は、昨日　死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』　　ドキッ！！！<br />
　これは、先日北九州市小倉区にある浄土真宗本願寺の小倉御坊・永照寺で行われた「引上会報恩会」で頂いた大型マッチに書かれていた文章である。<br />
　そういえば、我がヒーローが撃って撃って撃ちまり、自分には敵の弾が絶対当たらないという「ドンドンパチパチバッタバッタ映画」を見て、いつもスカッと爽やかコカコーラ的気分に浸っているけれど、これって、ひよっとしたら無駄に過ごした時間？<br />
　ウン、そう云えば、私は読書が趣味だったので「後期高齢者」になった時・・・ウーン、「後期高齢者」って政府推奨の言葉だけれど、馴染まないなァ。ヤッパ政府のオエライさんに申し訳ないけれど、言い方を変えて・・・私が老いて悠々の時を持てるようになった時、無駄に過ごすことがないようにと、若い頃から本を買いためていたのである。<br />
　いわく「世界ミステリ全集全１８巻（早川書房）」「世界SF全集全３５巻（早川書房）」「異色作家短編集全１８巻（早川書房）」。<br />
　カタイ本では「漱石文学全集全１１巻（集英社）」「谷崎潤一郎新々訳源氏物語全１１巻（中央公論社）」「世界教養全集全３４巻（平凡社）」「日本の歴史全１８巻（集英社）」「叢書　文化の現在（岩波書店）全１３巻」。それに極め付きは「世界の文学　ナント全１００巻（（中央公論社）」<br />
　これ全て、ハードカバーの函入りのブ厚い本である。他に新書版で「メグレ警視シリーズ全４９巻（河出書房新社）」文庫本で「日本探偵小説全集全１２巻（東京創元社）」<br />
　これって、自慢じゃないけれど、買った時ペラペラと頁をめくっただけで１頁も読んでいない。今、ため息をつきながら数えてみると、全部で３１８冊。<br />
　それに、である。あまり大きな声で云えないが、リタイヤしてから聴こうと若い時からＦＭをエアーチェックして、せっせと録りだめしていた６０年～８０年代のオールデイズやフォーク＆ニューミュージックの５００本あまりのカセットテープを、後生大事に保管している。　<br />
　私は、広縁でデッキチェアに横たわり、一日中録りだめしていたカッセトテープをBGMで聴きながら、待望の全集モノを片っ端からコオヒイを飲みながら読むというのが、私のあるべき素敵な未来像であった。<br />
　ところが、我が息子達は、早くから<br />
「その頃はテープは劣化しているし、目はかすんで本など沢山読める訳ないから、ムダムダ」と、エラソウな口をきいていたけれど、どうも、息子達は先見の明があったような気がする。<br />
　と、云うのは、今、読んでいるのはミステリィの翻訳ものが多いけれど、カタカナ名前は「登場人物」の欄を何度も見直さなければチンプンカンになるし、４～５日後に続きを読もうとしたら、ストーリイを忘れてしまい１０頁くらい前にさかのぼって読み直さなければならぬ。<br />
　それに、若い頃は文庫本なら、わき目もふらず３時間位で最後まで読みとおしていた私が、なんと、今や２時間も読んだら、オシッコに行きたくなったり、うちのカミさんとどうでもいい会話を取り交わしたくなったり、普段は見ないTVを見たくなったりして、最後は<br />
「読むのヤーメタ」となってしまう。それに、私は本屋さんに行くと、つい本を買ってしまうという悪癖があるものだから、机の横にツン読された本の標高は一向に低くならない。<br />
　ホント、私の素敵な未来像はどこに行ったの？<br />
　私が、カタイ本を買ったのは、「後期高齢者」・・・エーット、すみません。訂正させて頂くことにして・・・素敵な老後を迎えたら「知性と教養」にあふれた人間に変身して、若い人から憧れの眼差しで見られようと思って買った訳だけれど、この際、野望は捨てて、カタイ本は永久保存版として本箱に飾っておくしかあるまい。<br />
　エ？　何？　<br />
『私が無駄に過ごした今日は、昨日　死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』でしょ。無駄に過ごさなければ、読めるはずよ・・・って。<br />
　ウーン、そう云われても、スカッと爽やかコカコーラ的気分になるし、無駄も人生に必要なんだと思うけどなァ・・・。<br />
　「だってソウハチさん。無駄な映画ばかり見て読みもしない無駄な本を買って聴きもしない無駄なテープをためこんで、無駄ばっかり・・・」<br />
　だってねェ・・・・。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/06/post_74.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Sun, 01 Jun 2008 00:00:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>素敵に百歳　Ｐａｒｔ２</title>
<description><![CDATA[<p>　昔、むかし、その昔<br />
「お年寄りをいたわりましょう」と云っていたものである。<br />
　しかし、時は移り、我がニッポンの頭脳明晰なオエライさんは、お年寄りのことを、「後期高齢者」というクールな言葉で表現して、頭脳明晰なれど「思いやり欠乏症」にかかっていることがバレてしまった。<br />
　どうも、我がニッポンのオエライさんは、お年寄りを邪魔者扱いにしているらしい。<br />
　戦争で夫を亡くし３人の子供を、多くの多くの多くの・・苦労を背負いながら女手一つで育て上げて生きてきた私の叔母が、百歳のお祝いの席で<br />
「生きてて良かった」と流した美しい涙を、我がニッポンのオエライさんに見て貰いたかったと思う。<br />
　そして、川崎洋さんの詩の最後の一節を、我がニッポンのオエライさんに捧げたいと思う。</p>

<p><br />
　　　老年について　　　川崎　洋<br />
　<br />
　　　　年をとった美しい森で<br />
　　　　生まれて初めて<br />
　　　　詩を書いてみたい</p>

<p>　　　　そのあとで<br />
　　　　渇いているからおいしい<br />
　　　　というのではない水を<br />
　　　　一口飲みたい</p>

<p>　　　　生きてることが<br />
　　　　岩の間から<br />
　　　　清水が湧いている<br />
　　　　というふうであれ<br />
　　　　という祈念</p>

<p>　　　　肉体の愛についても<br />
　　　　たしかに<br />
　　　　２０代の頃より<br />
　　　　熟してきているのでから</p>

<p>　　　　決して決して無理でなく<br />
　　　　ふいに思うのだが<br />
　　　　齢を刻むことが<br />
　　　　何かを失っていくというのは<br />
　　　　肯定できない</p>

<p>※川崎洋・・・１９３０年生まれ。詩集「海を思わないとき」（１９７８年思潮社刊）より。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/05/5_1.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Thu, 15 May 2008 00:00:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>素敵に百歳</title>
<description><![CDATA[<p>　我が岡原家一族はいとこがいっぱい。なにしろ父の兄弟は１３人もいる。その内、１１番目のみゆき叔母さんは１００歳で健在。かくして、叔父叔母の子は総数３１人。その内２６人は、皆、いいかげん年寄りであるけれど、「岡原家いとこ会」を結成して、毎年打ち揃って旅行などに行き、年寄りなにするものぞと、元気を振りまいている。<br />
　と、思っていたが、世間はそう甘くない。我がニッポンのク－ルにして頭脳明晰なるオエライさんが、年寄りは年寄りたる自覚症状が足りないと怒り狂って、７５歳以上のお年寄りは「後期高齢者」という呼び名をつけてしまった。ドキッ！！！<br />
　どうも、６５歳以上は「前期高齢者」、７０歳以上は「中期高齢者」、８０歳以上は「末期高齢者」、８５歳以上は「終末高齢者」と呼ぶことにしているらしい。<br />
　そして、ここだけの話だけれど「前期高齢者には、まあまあの薬」を、「中期高齢者には、ほどほどの薬」を、「後期高齢者には、いいかげんな薬」を、「末期高齢者には、どうでもいい薬」を、「終末高齢者には、名前だけの薬」を投薬させ、膨大する治療費を抑えるために<br />
「延命治療なんて問題外、短命治療に徹せよ」と激を飛ばすことにしているに違いない。<br />
　しかし、我が「岡原家いとこ会」のメンバーは、いずれかの高齢者レベルに所属するけれど、なんたって、百歳の叔母さんがいる。それにあやかって、ニッポンのオエライさんに悔し涙を出させようと<br />
「百歳万歳、皆も百歳」をモットーにすることにした。<br />
　と、云う訳で、今年は熊本県甲佐町に住む百歳になったみゆき叔母さんの祝賀会をすることになった。叔母は長男の中嶋敬介さんと一緒に暮らしていて、足は弱って車椅子に乗っているものの「見たり聞いたり話したり」と、何でも平気。<br />
　今年は、さいたま市、北九州市、福岡市それから熊本県下の４市から、いとこ２１名が熊本駅に集合。<br />
　一同車５台に分乗して叔母さんの家に行き、笑顔でしわくちゃの叔母さんに抱きついたり、手を握ったりして、百歳のエネルギーのおこぼれを頂戴する。<br />
　それから、車で「かみましき阿蘇観光サザンルート」を通り、１５０年前に作られた日本最大級の石造りアーチ式水道橋「通潤橋」に行き、壮大な放水を見て近くにある「通潤山荘」に到着。<br />
　ゆっくり温泉に入って、それから盛大に祝賀会。漢詩をたしなむ下山八州夫さんが『百歳万歳』と題して漢詩を詠み、それを奥さんの書道家・公子さんが条幅に筆を振るい、掛け軸にしてプレゼント。</p>

<p>　　　　<strong>百歳万歳</strong><br />
　　　亀齢鶴算興天長<br />
　　　百福千祥萬壽觴<br />
　　　一談一笑開盛宴<br />
　　　岡原眷属有輝光</p>

<p>　そして、いとこの若手を代表して６５歳の大村紀代子さんが、にこにこ顔の叔母さんに花束を渡すと<br />
「ありがとう」と云ったきり涙で顔をぬらし、後は言葉にならない。そして、みんなで「ふるさと」を歌うと、叔母さんも一緒に歌って、又もや涙、涙。<br />
　笑顔も素敵、涙も素敵。とっても素敵なお年寄りぶり、おばあちゃんぶりである。けっして素敵な高齢者ではない。<br />
　フンだ！！！　我がニッポンの頭脳明晰のオエライさんなんて<br />
「クソくらえ！！！」<br />
　エ？　我が岡原家はそんな下品な言葉遣いはしないって・・・。ウーン、そうか、反省、反省。それなら<br />
「クソくらってくださいませ」<br />
　ネ、これならいいでしょ。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/05/5.html</link>
<guid>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/05/5.html</guid>
<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Thu, 01 May 2008 00:00:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>春うらら</title>
<description><![CDATA[<p>　春、春ですね。コートを脱いだ女性が、颯爽とピチピチプリンと胸をはって、街を闊歩する素敵な春である。<br />
　そう、そして、春はなんたって、キャンデーズの｢春一番」<br />
　<br />
　もうすぐ春ですねぇ<br />
　恋をしてみませんか<br />
　<br />
　この曲を聴くと、賞味期限の切れた私でさえも、恋をしたくなるような気がする。ナーンて云っても、<br />
「フン！」といわれるのがオチだから、せめて、俵万智の句にあるように</p>

<p>「ふうわりと並んで歩く春の道誰からも見られたいような午後」</p>

<p>　とあるような、恋にならないまでも、幸せ感じる人がいれば最高であろう。<br />
　ところで、先月の末、博多に住む高校の恩師・大塚精一先生が入院しているというので、お見舞いに行くことにした。<br />
　大塚先生は、大学を卒業してすぐ私たちの高校に赴任。だから、年齢があまり離れていないので、お友達気分でお付き合いしている先生である。そこで、恩師見舞いという大儀名分をつけて、我が青春のマドンナを誘い<br />
「ふうわりと並んで歩く春の道誰からも見られたいような午後」を再現しようとしたところ、なんと、我が青春のマドンナは、他に３人も誘ったという。<br />
　ウーム、下心付きお見舞いは、いとも簡単にバレてしまったようである。とかく、この世はままならぬ。<br />
　かくして、JR小倉駅から乗った特急電車は満員状態。せめて我が青春のマドンナと一緒に座ろうと思ったのに、なんとバラバラ。<br />
　病院についたら、先生はすこぶる元気。今日は外泊の許可を取ったので、<br />
「皆でお花見をして帰ろう」という先生の嬉しいお言葉である。<br />
　そこで、近くのスーパーでお花見弁当を買い、博多の桜の名所・舞鶴公園でお花見。３月末ということで、まだ桜はチラホラ状態だったけれど、なんたって<br />
「花よりマドンナ」だから、<br />
「マ、いいか」<br />
　でも、<br />
「ふうわりと並んで歩く春の道」の目論見は無残にくずれ、<br />
「ぞろぞろと並んで歩く春の道」になってしまったのは残念である。<br />
　行く途中、バカチョンカメラを買いパチパチ写したので、帰ってから現像して見たところ、会っている時は、ピンとこなかったけれど、写真で見たら、先生、すっかりオジイチャン化。<br />
「先生、白髪で年取ったなァ」と、感歎したところ、うちのかみさん、それを見て<br />
「あなた達とちっとも変わらないわよ」とのたまった。<br />
　どうも、ヒトは私を見たら年寄りと思うらしいが、困ったものである。まだ、<br />
「ふうわりと並んで歩く春の道」に憧れているのに・・・。<br />
　それじゃあ、誰も歩いてくれないってこと？　</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/04/post_73.html</link>
<guid>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/04/post_73.html</guid>
<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Tue, 15 Apr 2008 00:00:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ホントにホント</title>
<description><![CDATA[<p>　ＩＴ業界の異端児とされているＵＳＯ800－ＮＥＴＷＯＲＫのホームページを覗いていたら、びっくりするようなニュースが掲載されていたので、その一部をご紹介したい。</p>

<p>　マデランス製薬が、画期的な発毛剤を開発した。それによると、男性がハゲになる原因は、女性のＨホルモンの不足によるものとして、女性のＨホルモンが多く含まれているあるアソコの皮膚２ｃ㎡を男性の頭に移植した後、マデランス製薬が開発したクローイ発毛剤を塗れば<br />
「すっかりハゲ模様」が「うっすらハゲ模様」に<br />
「うっすらハゲ模様」は「ほのぼのハゲ模様」になることが判明した。<br />
　そこで、コンピューターで無作為に選んだ女性１００人に<br />
「あなたのアソコの皮膚を、愛するハゲのダンナに提供しますか」というアンケートを取ったところ<br />
「フン！」とか<br />
「アホか！」とか<br />
「バッカじゃないの！」とか、意味不明の回答しか得られなかったため、クローイ発毛剤の販売に踏み切っていいものか苦慮しているとのことである。</p>

<p>　わが国の賢明なるソーリ大臣は、アレもコレも参議院の反対にあって立ち往生してしまった。<br />
　平々凡々人は、反対に合えば「足して２で割ればいい」と思ってしまうが、わが国の賢明なるソーリ大臣は、平々凡々人でないので、２で割ることを知らない。そのため、１＋１＝１＋１＝１＋１・・・を繰り返して、一向に解決の目処が立たない。<br />
　かくして、アアでもないけどコウでもないと悩みぬいていたところ、先月の９日（土）の朝、目が覚めたら一夜にして円形脱毛症・・・要するにカッパ風の頭になってしまった。<br />
　賢明なるソーリ大臣が、ストレスに負けてハゲ頭になったということが分かると、世界に恥をさらす事になるので、三連休を利用して、世界に冠たるかつらメーカーにかつらを注文。メーカーも技術の粋を傾け夜を徹して製作、２月１２日(火）には賢明なるソーリ大臣は、一見ソックリ頭で国民の前に顔を出すことが出来たとのことである。<br />
　ただ、最近、賢明なるソーリ大臣は、<br />
「皆がいじめるから、ハゲてしまった」と白状し、天下の同情を図って、現状打破を図ろうかと考えているそうである。<br />
　<br />
　アメリカのリサーチ会社・チキインアソシエーションが、カルフォルニア州の１２番目の都市トーランス市で１９９７年から１０年間にわたり実施していた人口動態調査のデーターを発表した。<br />
　その中で、ハゲ頭の人の平均寿命が、同市の平均寿命より１０年長いというデーターが含まれていたため、トーランス市での養毛剤の販売が約６０％減少したそうである。<br />
　そのため、アメリカ最大の養毛剤メーカー・ケハエールカンパニーが、「それは、統計上のデーターであって、医学的データーではない。誤解をまねくので、データーの削除を要求する」と強硬に抗議したため、公表データーから取り消された。<br />
　しかし、すでにネット上でも公表していたため、ケハエールカンパニーは、全米に影響が現れるのではないかと心配している。</p>

<p>　今日はエプリルフール。だから、このニュースはウソだと思われるかもしれないが、それは大いなる誤解である。これはウソのようなホントの話である。清く正しく美しく生きている私が云うのだから間違いない。<br />
　エ、何？　清く正しく美しくと云うのがウソなんでしょ、て・・・・。ホント、もう、しょうがないんだから・・・。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/04/post_72.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Tue, 01 Apr 2008 00:00:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>時空をこえてポカーンと・・・</title>
<description><![CDATA[<p>　昨年、残念というか遺憾というかアッタマにきたというかトンデモハップンというか、我が愛する冥王星が惑星から失格してしまった。<br />
　冥王星は、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道９９９に登場する由緒ある惑星だし、火星とか水星とかカレンダーまがいの味も素っ気もない惑星の名前と違って、冥王星という夢のある素敵な名前が付いているのに、それを惑星から抹消するなんて<br />
「アホか！！！」と、私は怒り狂っていたのである。<br />
　ところが、なんと嬉しいことには、先月、冥王星に代わって、第９惑星が誕生するかもしれないというニュースが飛び込んできた。<br />
　このニュースは、神戸大学の向井正教授とパトリック・リカフィカ研究員が発表したもので、コンピューターでシュミレーションした結果、海王星よりはるか遠くに大きな軌道を廻る星が存在することが証明されたということである。<br />
　その星は、主に氷で出来ていて重量は地球の３～７割、直径は地球並みの１万～１万６０００キロとみられ、今後１０年以内に発見される可能性が強いらしい。　<br />
　私などは、北海道くらいなら、日常感覚でとらえることが出来るけれど、海王星は、太陽からなんと４５億４４０万Ｋｍ彼方。新惑星は、それからはるか遠く、と云うから<br />
「フーン」と言うだけで、終わりである。想像を超えてしまう。<br />
　その想像を絶するほどバカでかい太陽系は、我らが属する銀河から見ればほんのちっぽけな点でしかなく、そのバカバカでかい銀河は、バーカバーカでかい宇宙から見れば、点にもならない存在らしい。<br />
　だから、宇宙は無限であると言えば、なんとなく分かったような気がするけれど、なんと、その宇宙は猛烈な勢いで膨張していると云う。<br />
　それが、分かるくらいなら、宇宙とその外側の境界は何で出来ているのか、宇宙の外はどんな世界か分かりそうなものだけれど、誰も、教えてくれない。<br />
　しかし、難しく考えるから分からないのであって、日常感覚で考えれば良いのである。<br />
　無論、宇宙の外は文字通り天の国。だから、宇宙との境はピンク色のエアーカーテンで仕切られ、スケスケの羽衣を着た天女が、エロっぽく・・・　ン？　訂正、エーット、イロっぽく・・　ン？　これまた訂正、エロイロ抜きで・・・これってつまらない世界だなァ、なんて思っては困る。羽衣はスケスケで・・・フワフワ舞っているのに違いないのである。<br />
「バッカみたい」なんて、云って貰っては困る。見に行って確認した訳でもないのに<br />
「バッカみたい」なんて、無責任なことを云って貰っては困る。<br />
　だけど、私の血液型はＡ型。Ａ型は几帳面とも云われるけれど、私はどちらかと云えば「どうでもＡ型」だから、ここは<br />
「マ　いいか」と、深く詮索しないことにしよう。<br />
　そして、東京の三木谷美和さんの<br />
「果てしなき　時空をこえていまどどく　星かげさやか　われはささやか」という句のように、日常感覚は捨てて、ただ<br />
「ポカーン」と星空を見上げている方がいいのかもしれぬ。<br />
　え？　何？　都会はネオンの海で、星なんか見えないって？<br />
　そうか、ネオンの海で、スケスケの方なんだ！！！　ウーン、やっぱ、日常感覚に戻ることにしよう。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/03/post_71.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 00:00:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>そこで、しつっこくコマーシャル</title>
<description><![CDATA[<p> 　２００５年３月に始まった、待望の飽きないコマーシャルシリーズ第６回。<br />
　ン？　コマーシャルが待望される訳がないって？　そりゃ、他のどうでもいいコマーシャルは、そうだろうけれど、これは特別仕立。コマーシャルを出している私が言っているのだから間違いない。<br />
　<br />
　1回目は「ここで、コマーシャル」<br />
　２回目は「そこで、再びコマーシャル」<br />
　３回目は「そこで、も一度コマーシャル」<br />
　４回目は「そこで、又もやコマーシャル」<br />
　５回目は「そこで、何度もコマーシャル」<br />
　<br />
　それで、コマーシャルだから<br />
「ハイ、×をクリック」なんて、残酷無比なことは云わないで、<br />
「ホント、しつっこいんだから」とボヤきながらでも結構ですから、最後まで読みましょう。感動のあまり、涙ウルウルになるに違いありません。<br />
　そう、これって、作詞栗原一登、作曲團伊玖磨による合唱組曲「北九州」定期演奏会のコマーシャル。これに出演する合唱団「「北九州をうたう会」の１５０人のメンバーの一人が私。<br />
　今年は、スッゴイ年です。私たちが歌う合唱組曲「北九州」が誕生して３０周年、「北九州をうたう会」が結成されて１５周年、私が合唱団に入会して１０周年、私の花粉症暦２５周年。周年オンパレード。と、思いきや、ナント、花粉症暦２５周年がなくなってしまった。ホント、今年は花粉症なし。これ、ウソのようなホントの話、ユメのようなホントの話。<br />
　それで、毎年、２月から飲み薬１種類、目と鼻と喉の薬はそれぞれ２種類、７種類の薬を駆使して演奏会に備えていたのが、ナント、今年は薬代タダ！！！<br />
　かくして、身もポケットも晴ればれ。ウーン、これって私の日頃の行いが良いせいであろう。<br />
　今年は合唱組曲「北九州」が誕生して３０年。これを記念して、演奏会の第一部に作詞家栗原一登さんの娘・女優栗原小巻さんと北九州在住の作家佐木隆三さんの対談がある。ね、スッゴイおまけ付きでしょ。そこで感動のコマーシャル第１弾。<br />
『チケット、たった２０００円。感動満載の我が演奏会へどうぞ』　<br />
　そして今年は、「北九州をうたう会」１５周年という訳で、何故か、私が１５周年記念誌を編集.。パソコン相手にうっすらハゲ模様の頭と老眼を酷使して、堂々６０頁の記念誌を作成しました。そこで感動のコマーシャル第２弾。<br />
『定価、タッタ１０００円。素敵満載の我が記念誌をどうぞ』<br />
　エ？　何？　ゼーンゼン感動しないって？　そう八さんだけ勝手に感動してるのじゃないかって？　おかしいなァ。　本当？　信じられない！<br />
　ウーン　それじゃあ、演奏会に来て感動して・・・。ね。<br />
　<br />
　　合唱組曲「北九州演奏会」～３０周年記念公演～<br />
　　　　<br />
　　　　日　時　　　３月９日（日）　開演１５時<br />
　　　　場　所　　　九州厚生年金会館（ウエルシテイ小倉）<br />
　　　　入場料　　 ２０００円</p>

<p>　　　プログラム<br />
　　　　第一部　　チャイコフスキー　<br />
　　　　　　　　　　バレー組曲「くるみ割り人形」ｏｐ.71ａ<br />
　　　　　　　　　　　　指　揮／増井信貴<br />
　　　　　　　　　　　　朗　読／栗原小巻<br />
　　　　　　　　　　　　管弦楽／九州交響楽団<br />
　　　　　　　　　　３０周年記念対談<br />
　　　　　　　　　　　　栗原小巻・佐木隆三</p>

<p>　　　　第ニ部　　合唱組曲「北九州」<br />
　　　　　　　　　　　　指　　　揮／増井信貴<br />
　　　　　　　　　　　　管 弦 楽 ／九州交響楽団<br />
　　　　　　　　　　　　合　　　唱／「北九州をうたう会」<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　市内中学校合唱部<br />
　　　　　　　　　　　　児童合唱／市内少年少女合唱団<br />
　　　　　　　　　　　　祇園太鼓／小倉祇園太鼓保存振興会<br />
　　　　　　　　<br />
　　演奏会の詳細は主催者（財）北九州市芸術文化振興財団のホームページをご覧あれ。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/03/post_70.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Sat, 01 Mar 2008 00:00:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>義理チョコだって・・・</title>
<description><![CDATA[<p>　昨日は、バレンタインデイ。<br />
　ニッポン全土津々浦々に本命チョコ、告白チョコ、義理チョコ、ファミリーチョコ、自分にご褒美チョコ、友チョコ、感謝チョコ、励ましチョコ、母心チョコ、夫婦チョコ、癒しチョコ、二股三股チョコ、海老鯛チョコ、男性の見栄っ張りチョコと、チョコが飛びかって喜怒哀楽のシーンが展開されたはずである。<br />
　しかし、最近は<br />
『義理もまた　愛に変われと　願いつつ』という義理チョコならいいけれど<br />
『義理チョコの　価格談合　女子社員』となるくらいなら、人道支援まがいの義理チョコなんて、<br />
「ヤーメタ」という、理性に目覚めた女性が多くなってきているようである。<br />
　かくして、チョコが少なくなった男性は<br />
『自慢チョコ　レシート出てきて　妻にバレ』となり、オカワイソウな場面が展開されたにちがいない。<br />
　しかし、私のように<br />
『チョコ貰い　脳年齢が　若返る』人もいるのだから、義理チョコだって捨てたものじゃないのである。特に、青春真っ只中の女の子などの<br />
『チョコを抱く　少女に恋の　気配する』義理チョコなんて、<br />
「いいな」って思ってしまう。<br />
　これって、きっと、はかなく消えた恋になってしまうのだろうけれど、貰った男の子は、心の引き出しにそっとしまっておくはずである。<br />
　<br />
そう、そして大人になって、飯島耕一の詩「鉄橋」のように・・・。</p>

<p><br />
　　　　鉄橋　　　飯島耕一</p>

<p>　　昔　ずっと昔<br />
　　好きだった女の子が<br />
　　今住んでいる町の鉄橋を<br />
　　急行電車が通過した<br />
　　旅行中のこと</p>

<p>　　その子も今は子供もいて<br />
　　どこかの会社の課長<br />
　　夫人くらいだろう</p>

<p>　　が　瞼に浮かぶのは<br />
　　１６歳のセーラー服の彼女のこと</p>

<p>　　時が経った</p>

<p>　　鉄橋が高鳴っているあいだ<br />
　　胸がつまった！</p>

<p><br />
※　引用した川柳は㈱メリーチョコレートカンパニーが、今年募集した『バレンタインどきどき、ワクワク川柳募集』第１０回入選作品。作者は引用した順から<br />
　　・男性/５０歳／会社員/埼玉県所沢市<br />
　　・男性/５６歳／Ｇデザイナー/大阪府吹田市<br />
　　・男性/６８歳／無職/愛知県瀬戸市<br />
　　・男性/５０歳／自営業/鳥取県米子市<br />
　　・男性/６４歳／無職/大阪府摂津市</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/02/215.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Fri, 15 Feb 2008 00:00:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>長い旅路の果てに・・・</title>
<description><![CDATA[<p>　私が見るＴＶは、ニュースと音楽番組と映画。バラエティ番組は苦手である。美人で可愛いタレントさんが大勢出てくるのは良いけれど、笑う時は、何故か一斉に手を叩く。昔は、手を口にあててヒン良く笑っていたものである。<br />
  だから、笑う場面に拍手は馴染まない・・・てな事を言ったら<br />
「それって、オジサンまるだし」<br />
　ウーン、でも、私が手など叩いて笑ったりしたら<br />
「バカまるだし」って云うんでしょ。フン！<br />
　でも、私の周囲のフツーの人たちは、まだ手を叩いて笑うようなヒンのない人はいないけれど、ＴＶに出る人たちは、目立たなければならぬという宿命を帯びているから、その内に、だんだんエスカレートしてきて、ピョンピョンと跳ねがら笑うようになるかもしれぬ。<br />
　ところで、私がＴＶで見る音楽番組は、ＮＨＫは総合ＴＶの「ＳＯＢＧＳ」と教育ＴＶの「Ｎ響アワー」、それにフジテレビ系の「ミュージックフェアー」<br />
　この「ＳＯＮＧＳ」で1月16日にリクエスト集があり、私の大好きな高橋真梨子と竹内まりやが出演。この中で、竹内まりやが歌ったのは『人生の扉』<br />
 　この曲は、昨年5月に発売された彼女のオリジナルアルバム『Ｄｅｎｉｍ』の中で、一番私の好きな曲である。<br />
　このアルバムのタイトルは、時間の経過と共に色あせていく“デニム”から発想を得たということである。このタイトルにぴったりのこの曲『人生の扉』は、若い人たちにとっては、人生の応援歌として受け取られているようであるが、７０代の扉を開けて人生のカウントダウンが始まった私にとっては、<br />
「長い旅路の果てに　輝く何かが　誰にもあるさ」というフレーズを聴くと、もう８０代の扉を開けることはないかもしれないけれど、<br />
｢人生って、捨てたものじゃないさ｣と、思ってしまう。<br />
　そう、年を重ねるってことは素敵なことだよ、と言えるように生きて行きたいものである。</p>

<p>　　　　　人生の扉　　　作詞作曲　竹内まりや</p>

<p>　　春が　また　来るたび　ひとつ　年を　重ね<br />
　　目に映る　景色も　少しずつ　変わるよ<br />
　　陽気に　はしゃいでた　幼い日は　遠く<br />
　　気がつけば　五十路を　越えた私がいる<br />
　　信じられない　速さで　時は　過ぎ去ると　知ってしまったら<br />
　　どんな　小さなことも　覚えていたいと　心が言ったよ</p>

<p>　　I say it's fan to be 20 <br />
　　You say it's great to be 30<br />
　　And they say it's lovely to be 40<br />
　　But I feel it's nice to be 50</p>

<p>　　満開の桜や　色づく　山の　紅葉を<br />
　　この先　いったい何度　見ることになるだろう<br />
　　ひとつ　ひとつ　人生の扉を開けては　感じるその重さ<br />
　　ひとり　ひとり　愛する人たちのために　生きてゆきたいよ</p>

<p>　　I say it's fan to  be 60<br />
　　You say it's alright to be 70<br />
　　And say still good to be 80<br />
　　But I'll maybe live over 90<br />
　<br />
　　君のデニムの青が　褪せてゆくほど　味わい増すように<br />
　　長い旅路の果てに　輝く何かが　誰にでもあるさ</p>

<p>　　I say it's sad to get weak<br />
　　You say it's hard to get older<br />
　　And they say that life has no meaning<br />
　　But I still believe it's worth living<br />
　　But I still believe it's worth living</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/02/131.html</link>
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<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Fri, 01 Feb 2008 00:00:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>古希に乾杯！！！</title>
<description><![CDATA[<p>　私、福岡県行橋市にある京都高校（無論キョウト高校ではない。九州の古き由緒あるミヤコ高校である）を卒業をしているが、同窓の高城義行君から「古希の集い」の案内が届いた。最初、その手紙を見た時、“古希って恩師の？”　と思ったところが、とんだ勘違い。古希って７０歳のお祝いだそうである。だから、今年７０歳を迎える私たちの祝いをしようという手紙だったのである。<br />
　<br />
　<strong>『人生七十古来稀』</strong><br />
　防空頭巾を手にして校門をくぐった春の日々、初めての夏休みに原爆は投下、そして終戦です。６歳、７歳の夏でした。まだまだ幼くして、その現実を理解できないまま、元気に駆け抜けて過ぎました。<br />
　京都高校、そこは望んでも出来ない出逢いの場でした。切磋琢磨した青春の日々、そして学校へ社会へと、道はそれぞれ分かれて５０年が過ぎました。<br />
　幾多の悲哀、困難も「負けられません勝つまでは」です。息災に又病を乗り越えて、今、平穏に古希を迎えます。<br />
　元気に生きて来たことに感謝して、これからの健康な生を祈願するため、宮司廣瀬文夫さんのお祓いを受け、引き続き京都ホテルでお祝いの会を開きます。<br />
　<strong>あの日の出逢いを大切に　皆さまご参集ください。</strong></p>

<p>　この手紙の文章を書いたのは、我らがマドンナ小田美奈子さん。なんたる不公平と思うけれど、天は三物を与えて、彼女は美人で文章がうまくて字がきれい。「そう八さんだけ来てください」でないのは残念だけれど、彼女からのお誘いとあればホイホイと行かざるを得まい。<br />
　でも、古希といえば、私、白い口髭をして杖を突いた水戸黄門風のおじいちゃんのことだと思っていたのに、なんと私が古希の祝い？<br />
　私は、ジーパンに冬はセーター、夏はＴシャツが定番なのに、ああそれなのに水戸黄門風だなんて・・・と、絶句すると、<br />
　うちのかみさん、曰く<br />
「あなたが勝手にそう思っているだけのことで、世間は甘くないわよ。あなたって、立派な老人」<br />
　そんな訳で、１月１２日(土）に行橋市にある「正の宮　正八幡宮」に行く。午前中は雨模様なれど、私は、日頃の行いが良いことになっているので、当然ながら晴れ。<br />
　ここの宮司さんは、同窓の広瀬文夫君である。境内に人いっぱい。なんと７０人ほど。よくぞ、こんなに沢山古希の人ばかり集めたと思ったけれど、なんてことはない、みんな同級生だから同じ７０歳。当たり前である。<br />
　広瀬君が、うやうやしく祝詞をあげてお祓いをする。いつも会う時は、宮司抜きのフツーの人だけど、神主の衣を装うと、厳かに別人みたい。何故かありがたみ溢れ、皆、頭を垂れてお祓いを受ける。<br />
　終わると、京都ホテルでパーティ。私たちは、＊青春旅行（老春旅行ではない）を毎年２回（１回は日帰り、もう１回は１泊で）しているので、ほとんど顔見知り。だけど、“エ？”　という顔の人も居る。それに、うれしいことには、あまり見かけなかった３番目と５番目の初恋の君も来ている。<br />
　エ　何？　初恋の人は一人なのにって？　だって、私は、フラレぽくってホレ易い体質でしょ。だから、フラれては初心に戻って、初恋をし直している訳。これを称して浮気っぽいって言う人がいるけれど、とんでもない。真面目な証拠である。<br />
　パーティの前に、集合写真を撮る。「ハレーションを起こすから、フラッシュは焚かない方がいい」と、誰かが叫ぶ。うっすらハゲ模様のスネにキズ持つ私は、一瞬ドッキリするが、冗談である。<br />
　パーティが始まると、あちこちウロウロ廻っておしゃべりして廻り忙しい。ドリンクコーナーに「初恋の味　カルピス」があったので、それを持って３番目の初恋の君に行く。そして<br />
「これを一緒に飲みたかった」と云ったら「アッハハ」と笑われて終わり。仕方ないので、５番目の初恋の君の所に行って、同じ台詞をはいたら<br />
「女の人に、同じこと云って回っているのでしょ」と、何故かミエミエである。<br />
　これだから、何度も初恋をするはめになったに違いない。<br />
　なにしろ、我がマドンナ小田美奈子さんが書いているとおり、卒業して５０年、なにしろ半世紀に亘る付き合いをしている訳である。昔むかしは知らないけれど、幸か不幸か、今や、男女の区別もなくなって、下心もなく清く正しく美しいお付き合いをしている訳だから、おしゃべりは弾んで尽きることがない。<br />
　でも、やがてお開きの時間となり、今度は７７歳の喜寿のお祝いのパーティで会いましょうと約束して散会。シブシブ帰途についたものの、家に帰ったらお腹がグウグウ。だから、<br />
「しゃべるのが忙しくって、少ししか食べられなかった」と、お茶付けを頼んだら<br />
「食べる暇もないくらい、何のお話しをしたの？」<br />
　ウーン、そう云われれば、ウジャウジャしゃべったけれど、何をしゃべったのか覚えていない。でも、楽しかったなあ・・・。会って話しただけでシアワセ感じるなんて、ウン、やっぱ７０年生きてて良かった！！！</p>

<p>　＊２００５年２月１５日号掲載の「ああ　青春！！！」もご覧ください。</p>]]></description>
<link>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/01/1_2.html</link>
<guid>http://sohachi.morrie.biz/archives/2008/01/1_2.html</guid>
<category>風に吹かれて</category>
<pubDate>Tue, 15 Jan 2008 00:00:38 +0900</pubDate>
</item>


</channel>
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