「風に吹かれて 2005」の記事

 もう、アッというまに今年も、もうすぐTHE END。
 あといくつ寝るとお正月といって指おり数えていた子供の頃、人生にはまだまだ先があると夢見ていた青春のあの頃、時はゆるやかに流れていたけれど、今では「光陰矢の如し」というより「光陰ミサイルの如く」時間が駆け抜けてしまう。
 でも、人生の残り時間をカウントする年齢になっても、街にクリスマスソングが流れ光が溢れてくると、心ウキウキ、何かイイことありそうな気がしてくる。
 私は、クリスマスソング大好き。だから少ないながらもクリスマスソングのテープを6本持っている。その中で一番のお気に入りは「1986年・メリークリスマス」とラベルに書かれた古いプライベートテ-プ。
 ここだけの内緒の話だが、このテープはあの人(個人情報保護条例に基づき氏名は非公開とする)が、自分の好きなクリスマスソングをダビングしてプレゼントしてくれたものである。
 このテープの中で、私が好きな曲は矢沢栄吉の「ラストクリスマスイブ」それに薬師丸ひろ子の「クリスマス・アベニュー」
 実は、映画俳優で好きな男性の俳優はいないが、年相応の好きな女優さんはいっぱいいる。言うまでもなく吉永小百合をトップに、田中裕子、大原玲子、薬師丸ひろ子‥‥以下エンエンと続くが紙面の都合で略‥‥である。となれば、物の順序として薬師丸ひろ子の「クリスマス・アベニュー」 ウン、でも薬師丸ひろ子が好きというだけじゃなくって、曲も素敵。
 今、このテープを聞きながらこの原稿も書いているのだけれど、クリスマスソングには、何故か、山下達郎の「Christmas eve」を初めとして、クリスマスというのに別れを歌った歌が多い。ハッピイクリスマスより、ひとりぼっちのクリスマスと切なさを歌った方が、心に訴えるものが多いのかもしれぬ。
 その中でも、浜田省吾の名曲「Midnight Flight-ひとりぼっちのクリスマスイブ」は、好きだと言えなかったばかりにイブの日に別れた男の歌である。

  Midnight Flight-ひとりぼっちのクリスマスイブ

    あの娘乗せた翼 夜空に消えてく
    空港の駐車場 もう人影もない
    “行くな”と引き止めれば 今頃二人
    高速を都心へと 走っていたはず
    失くしたものが あまりに大きすぎて 痛みを
    感じることさえも 出来ないままさ
    ひとりぼっちの クリスマス・イブ
    凍えそうな サイレント・ナイト
    ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

 こんな曲を、降る雪を眺めながら、しみじみと聴くのもいいけれど、でも、この歌のように打ち明けられなかったばかりに別れを迎えてしまった人は、この曲を聴くときっと涙するにちがいないであろう。
 でも、人生、出会いと別れの連続だから、きっと二人っきりのクリスマスに出会うことを信じて、そう、今年もあと僅か。忘れてしまいたいことは、忘年会できれいさっぱりと流し去り、来年に夢を紡いで生きていこうではありませんか。

 今年も 心痛めることばかり起こったけれど、絶望の一歩向こうには明日があることを信じて、たしかな日を積み重ねていきたいものです。
 では、よいお年をお迎えください。

 落ち葉の季節となった。

 「日影さし時雨れきにけりくれなゐの極まる楓散りてやまなく」と、千代國一が詠んだ歌のように、木漏れ日があたり、時雨に舞い散るくれないの紅葉は、華麗に見えるけれど、なぜか寂しく切なさが胸に染みるようでもある。
 と、格好よく言うのは良いけれど、ホント言うと、髪の毛うっすらハゲ模様の私としては、優雅な気持ちに浸る前に、つい「濡れ落ち葉」の方を連想してしまう。
 言いたくはないが「濡れ落ち葉」とは
「定年退職の夫や、出かけようとする妻の後をついて歩いて離れない夫」のことを言うそうである。まあ、「粗大ゴミ」と言われるより、「マ いいか」という気がするけれど、
小樽の久木俊彦さんが詠んだ川柳
「妻の手で 払いのけられ 濡れ落ち葉」を読むと、ついわが身につまされてしまう。
 春の花が散るのと違って、落葉樹は五輪真弓の「恋人よ」のように、失恋や片思いに似合う。だけど、
「たとえば君 ガサット落ち葉すくふように私をさらって行ってくれぬか」--河野 裕子
と言うような歌もある。
 この落ち葉は、舞い散る枯葉とちがって、重い枯葉にちがいない。だから
「あなた 私をさらって行く勇気ある?」と、問われてタジタジとなる男性が目に見えてくるようである。
 ウーン、女性は強い。これじゃあ、男性が、濡れ落ち葉的存在になっても仕方ないよね。 
 
 ※ 千代國一‥‥1916年生まれ。「国民文学」責任者。歌集「鳥が棲む木」など。
    河野裕子‥‥1946年生まれ。歌詩「塔」選者。歌集に「歩く」「庭」など12冊。

白い一日

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 毎週木曜日に放映されるNHKTVの「音楽・夢くらぶ」と、フジTV系で土曜日に放映される「ミュージックフェアー」は、私のお気に入り番組で、毎回必ず見ている。
 そのNHKTVの「音楽・夢くらぶ」で小椋佳と一青窈が11月3日に出演!!!
 一青窈は、その名を「ひととよう」と呼ぶように、摩訶不思議な雰囲気を持った歌手である。彼女の『もらい泣き』を初めて聴いた時、引き込まれてしまいそうな独特な歌い方に魅せられてしまったけれど、その彼女が井上陽水の曲の中で一番大好きだという『白い一日』を小椋佳と歌ったのである。
 なんとスッゴイ!!! 実は、私も陽水の曲の中で、この曲が一番好きな曲なのである。この一言で、一青窈は私にとって「歌のうまい歌手」から「大好きな歌手」に変身。なんたって、陽水のフアンは多いけれど、『白い一日』が一番好きという人は少ない。彼女と同じ感性だなんて、こちとら髪の毛うっすらハゲ模様にもかかわらず、うれしくなってしまった。

   まっ白な陶磁器をながめては飽きもせず
   かと言って触れもせず そんなふうに君のまわりで
   僕の一日が過ぎてゆく

   目の前の紙くずは古くさい手紙だし
   自分でもおかしいし やぶりすてて寝ころがれば
   僕の一日が過ぎてゆく

   ある日踏切りの向こうに君がいて
   通り過ぎる汽車を待つ
   遮断機が上がり ふり向いた君は
   もう大人の顔をしてるだろう

   この腕をさしのべて その肩を抱きしめて
   ありふれた幸せに落ち込めればいいのだけれど
   今日も 一日が過ぎてゆく

 この曲は、私が東京で華の独身生活‥‥ン? 訂正、華の単身生活をしていた時、目黒のマンションで(勿論、言うまでもないが、誰かさんのマンションではない。私が住んでいたマンションである)、日曜日の午後、FM東京を(勿論、言うまでもないが、誰かさんと一緒にではない。私一人で)つくねんとホンワカ気分で聴いていた時に流れてきた曲である。
 その時、何故かしらねど、この詞が私の気持にぴったりフィット!!! 以来、私の大好きな曲となってしまった。
 ところが、一青窈がこの曲を歌い終わってから、
まっ白な陶磁器をながめては飽きもせず かと言って触れもせず‥‥の歌詞が、とってもエロテイック」と,この曲の作詞をした小椋佳に言ったのである。
 ウーン、なんとエロテイックとは!!! 
 一青窈のこの言葉で、私がこの曲を聴いたとき、何故ぴったりフィットしたのか初めて理解できたのである。
 なんたって、この曲を聞いたとき、しっつこいようだが、誰かさんのマンションで誰かさんと一緒に聴いた訳ではない。私の1DKのマンションで一人寂しく聴いていた訳である。だから、多分、「エロティク憧れ症候群」に感染していて、この曲に共鳴したに違いない。自分でも気がつかなかった私の深層心理まで解き明かしてくれるなんて、一青窈はエライ。「だーーーい好きな歌手」にすることにしよう。
 藤井文弥が、ある音楽番組で「タイムマシンって、本当にあるんだよ。懐かしい歌を聴いたら、その時代に戻るでしょ。だから、音楽はタイムマシン」と言ったが、その通りである。『白い一日』を聴くと、目黒の1DKの部屋が蘇ってくる。言うまでもないけれど、これは私の住んでいたマンションで、それも一人で‥‥。

 今はもう秋。そう、もの思う秋である。
 さまざまな出会いがあって、そして
 
 もう少し早く出会っていたら、とか
 もう少し若かったら、とか
 あの人と付き合っていなかったら、とか
 あの一言が云えなかったばかりに、とか
 
 そして、結婚していなければ、とか
 
 そんな想いの残る別れがあって‥‥

 遠いあの日は戻らないけれど、心のアルバムの片隅に、そっと貼ってあったあの人が、ふと浮かんでくるのも、秋だからです。

 そんなあなたに、若山牧水の歌を‥‥

 「うら恋し さやかに恋をとならぬまに 別れて遠きさまざまの人」 
 

 秋である。スポーツの秋と言うわけで、私の住む地区の「南丘体育大会」が小学校の校庭で10月9日に行われた。
 私にも「グランドゴルフ」なるゲームに出ろという長老からのお達しがあったが、グランドゴルフなんてやったことがない。
 「なに、誰でもできる年寄りのゲーム。やったことがなくっても大丈夫」と簡単に言う。「年寄りのゲーム」には、内心忸怩たるものがあるが、ボスには逆らえない。やむを得ず出ることにした。
 だけど、こう言っちゃあなんだが、ゴルフは私が40代の華やかりし頃,15回ほどコースに出たことがある。
 「1回もゴルフの練習場には行かなかったっけれど、最初にコースに出たときから、ほとんど平均して90前後でコースをまわる」というと、皆さん
 「エッツ、最初から90なんて、スゲー!!! 」と、尊敬の眼差し。
 「ウン、ハーフで90前後」
 ここで、ゴルフを知らない方に言うけれど、ハーフは9ホール、1回のラウンドで18ホールまわる。普通、18ホールで90前後でまわることができれば「うまい」人と言われる。
 と、言うことは、普通の人の倍以上、即ち1ホール180回もボールをブッ叩たきながら、私はコースをまわっているということになるのである。
 私は、天性の運動バカなので、少年時代、野球をしても、球がバットに当たったためしがない。大体、飛んでくる球に当てるなんてアホなことが出来る訳がない信じている。しかし、ゴルフは止まっている球を打つだけである。こんなに簡単なことはないだろうと思っていたが、これが大誤算。
 大体、球も、球を打つクラブも小さすぎる。球もせめてソフトボ-ル位の大きさで、クラブも、スコップ位の大きさがあれば、私も軽々打てると思っているが、とかくこの世はままならぬ。 
 それに、大体、私が打ったボールは、空を飛ばない。地球の上をゴロゴロ。どうも、素直な私の性格をボールも見習って、地球の引力に逆らってまでは飛んで行かないらしい。
 そして、ヤットコサとボールが芝生にたどり着いても、穴の前後左右を行ったりきたり忙しくって、穴に入る暇などある訳がない。すると声あり。
 「もう、穴に入ったことにしよう」
 以来、私のボールが穴に1メートル以内に近づいたら、入ったことにするというルールが出来てしまった。
 そういう訳だから、私のスコアーは、驚異的な数字となり、計算するために電卓が必需品となる。
 ゴルフコンペでは、いろいろな賞が出されるが、普通は1~5等に加えて「ブービー賞」なるものがある。この賞は、ビリから一つ上の人に与えられる賞である。1度でいいからこのブービー賞を取りたいというのが、私の夢であったが、1回も取ることが出来ず、全部ビリばかり。しかし、バカにしてはいけない。15回連続オールビリなんて、世間広しといえども、私だけであろう。貴重な記録保持者といえる。
 「ゴルフの練習場に行ったら、きっとうまくなるよ」と言うけれど、私は、1回のゴルフで、2回分のゴルフが出来るなんて、なんと素敵と思っている位だから、練習などする訳がない。すると、皆さん、私がイヤイヤ付き合ってくれていると誤解して、次第に誘わなくなり、私のゴルフ人生は15回で終わりを告げてしまった。
 さて、今度はグランドゴルフである。これは、球もクラブもチッピリ大きい。距離も20メートル位先の目標に向かって球を転がすだけでいいというわけで、転がすのは私の得意技である。1回きりの勝負で、目標に一番近いボールを打った人が1等となる。
 これなら大丈夫と、得意満面、打ったところが意気揚々と打ちすぎてなんと、私の打ったボールは遥かに目標をオーバーして、観客席まで転がってしまった。本大会最大の飛距離である。これが、ゴルフなら、大いに称えられるところであるが、ホント残念。遅きに失した感じである。悔やまれてならない。
 これだから、スポーツの秋は嫌いである。やはり、食欲の秋と言いたいけれど、固いものは噛むと歯が痛むし、読書の秋と言っても2時間も本を読むと目がチラチラするし、失恋の秋と言いたいけれど、失恋するためには恋をしなければならない。
 ホント、私、67歳。きらめいて秋どころではない。秋は遠くなりにけりである。

逝く夏の‥‥

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 アツクって、あつくって、暑い「ながーーーーい夏」が終わった。
 今年の夏は、9月になってもまるで「夏気分」。若い人は、渡辺美里が「夏が来た!」で歌ったように

   本当の夏が来た 生きている眩しさ
   本当の夏が来た まっすぐな目をした君がいる

と、夏を謳歌できて「素敵気分」だろうけれど、髪の毛うっすらハゲ模様年齢となっている私などは、ホント「ウンザリ気分」
 私にとっては、鮮やかにきらめいて心はずませた夏は、遥かな遠い日となってしまった。
 それに、今年の夏は、暑いばかりではなく、この地球のあちこちで、
「こんな被害に合うなんて、生まれて初めて‥‥」とお年寄りが嘆くような大雨や台風の災害が続出。世界に敵なしと、エラそうな顔をしていたアメリカさえも、ハリケーンに敵前上陸されてもろくも敗戦。世界に恥をさらしてしまった。

 1935年に亡くなった物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は、「天災は忘れられたころにやってくる」と言ったけれど、最近は「天災はひっきりなしにやってくる」という感じである。どうも、地球は怒かり狂っているらしい。
 でも、それも分からぬことではない。と、言うのは、寺田寅彦は、こうも言っているのである。
 『文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。こうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当でないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているのは誰であろう文明人そのものなのである。』と。
 この文章は、1934年に発行された「寺田寅彦随筆集第5巻」から抜粋したものであるが、今から約70年も前に書かれたものである。
 それから70年、人間はカシコクなったのか、アホになりつつあるのか分からぬが、ここらで中休みして、アタマを冷やした方がいいのかもしれない。
 
 そこで、私の高校時代の友人で、2003年5月に早すぎる死を迎えた歌人安光隆子さんが詠んだ一首を、紹介したい。

 『逝く夏の雨に頭を叩かれて石は静かに冷えはじめたり』

 夏の終わりの情景をしみじみと詠んだ句であるが、「石は静かに冷えはじめたり」と、ずしんと心に重く響く言葉で結ばれている。切れ味のよいこの句は、生前の彼女を思い出させて私の好きな句であるが、つい、人間もかくありなんと考えてしまった。

 ※ 安光隆子ーー1939年生まれ。福岡県立京都高校卒。「牙」同人。引用した句は遺歌集 「蒼馬」による。

ああ 無情‥‥

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 選挙が終わった。自民党の‥‥って言うか、コイズミ党のバカ勝ちである。
 郵政民営化法案に反対したセンセイ達を、公認しないというのは理解できる。だけど、そこの選挙区に今が筍の女性や、キンキラキンのエリートを立候補させてしまった。ホント、反対したセンセイ達のハートは、伸身回転、うしろ宙返り、屈伸回転したに違いない。
 かくして、「アアでもないけど、コウでもない」が当たり前の魑魅魍魎にして百鬼夜行のセージの世界を、単純明快スッキリクッキリ、丁半博打の世界に変えてしまった。
 分り易いのはいいけれど、セージの世界は
「良い」か「悪いか」で決まる訳でもなく、「全てハッピィ」なんてあり得るはずがない。「あちらが立てば、こちらが立たず」の世界だろうから、喧々諤々、仲良く喧嘩してもらわなくては困る。
 しかし、コイズミさんのハートが、まさか装甲板で覆われ絶縁体を備えているとは思いもせずに、我がニッポンの誇る義理人情を頼りに立候補したセンセイ達は、この世の無情を嘆いていることであろう。

 かくして、衆議院定員480人の49%にあたる237人の前議員・元議員が落選して、タダの人になってしまった。
 よほどの大事件でも起こらない限り、今後4年間は選挙はないであろう。すると、当選したピッカピッカのセンセイは、4年もたてば権勢を身に装ってギンギラギンのセンセイに変身しているにちがいない。
 そうなると、落選してタダの人になったセンセイは、片隅に追いやられて出る幕をなくし‥‥
 そう 「夏草や つわものどもが夢の跡」 にならないように、今回は風に流されただけと思い、もう一度人生のリセットボタンを押して、ウン、刻苦勉励のほどを‥‥。

ま、行くか‥‥

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 選挙がはじまった。

 アタマが良い人は「君子危うきに近寄らず」と思っていたけれど、今度の選挙は、魑魅魍魎にして百鬼夜行のセ-ジの世界などには関係ないと思っていたアタマの良さそうな人が、「先生」になるために続々立候補する。
 「先生」の世界は、フツーの人の常識が通らない世界だと、私は信じているが、どうも、アタマの良い人たちは、フツーの人とアタマの構造も違うみたいである。
 でも、いくらアタマがよくっても、「先生」になったら豹変するらしい。そこで、ジョークをひとつ。

 脳の移植が可能になった。そろそろボケが始まったと思い込んだ男が移植専門の病院に行くと、ストックが3人分あった。
 一つは死んだ科学者の脳で移植費用は1万ドル、次は弁護士のもので2万ドル、3つ目は政治家で3万ドルということだった。
 「政治家の脳はどうしてそんなに高いんです?」男が聞くと、医者は答えた。
 「ほとんど使ってないから、新品同然なのですよ」

 という訳で、もうひとつ、ジョ-クをどうぞ。

「今度の選挙は行きたくないね。知っている候補者は1人もいないんだ」
「その気持ちは俺のほうがずっと強いよ。だって、候補者はみんな知っているけど、どれもいまいち‥‥」

 皆さん、そんなこと言わないで、投票に行きましょうね。

          ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

それから、これは私のとってはビッグニュース、あなたにとってはどうでもいいニュース、などと言わずに、もうすぐ秋ですから素敵気分で読んでください。

 Museum Consert

 ・ 日時ーー9月4日(日)14時~15時
 ・ 場所ーー北九州市立美術館エントランスホール
 ・ 出演ーー指 揮  中山 敦     ピアノ  松本 郁子
         合 唱  北九州をうたう会(勿論、私も出ます)
         
      プログラム
   1 女性合唱 「落葉松」より
      a)あなたとわたしと花たちと
      b)瞳
      c)落葉松
   2 男性合唱 「雨」より
      a)武蔵野の雨
      b)雨の日に見る
      c)雨
   3 ピアノ独奏 松本郁子
      リスト作曲 『巡礼の年』」より
   4 混声合唱 合唱組曲「北九州」より
      a)序章
      b)早鞆の瀬戸を渡り給え
      c)風
      d)石の羊==平尾台断章   

どうぞ、素敵な芸術と音楽であなたの心を彩らせてください。

弔詞

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弔 詞    石垣 りん

[職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて]

 
 ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

 ああ あなたでしたね。
 あなたも死んだのでしたね。

 活字にすれば4つか5つ。その向うにあるひとつのいのち。
悲惨にとじられたひとりの人生。

  たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。
1945年3月10日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの
中で死んでいた、私の仲間。 

 あなたはいま、
 どのような眠りを、
 眠っているのだろうか。
 そして私はどのように、さめているというのか?

 死者の記憶が遠ざかるとき、
 同じ速度で、死は私たちに近づく。
 戦争が終わって20年。もうここに並んだ使者たちのことを、
覚えている人も職場に少ない。

 死者は静かに立ち上がる。
 さみしい笑顔で
 この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

 私は呼びかける。
 西脇さん、
 水町さん、
 みんな、ここに戻って下さい。
 どのようにして戦争にまきこまれ、
 どのようにして、
 死なねばならなかったのか。
 語って
 下さい。

 戦争の記憶が遠ざかるとき、
 戦争がまた
 私たちに近づく。
 そうでなければ良い。

 8月15日。
 眠っているのは私たち。
 苦しみにさめているのは
 あなたたち。
 行かないでください 皆さん、どうかここに居て下さい。

           1968年に出版された詩集「表札など」より

※ 石垣りんーー1920年2月生まれ、2004年12月没。1934年
日本興業銀行に入社、1975年定年退職。1969年に詩集
「表札など」は日本現代詩人会第19回H氏賞を受賞した。

 私はニューミュージック信者だけれど、“いい加減にミーハー音楽好き人間”でもあるので、他に好きなミュージシャンもいる。それで、好きな歌手のBest3と言えば、小比類巻かおりに渡辺美里、あとはコロッと変わって小泉今日子。全員女性だけど、私が男だからやむを得ない。
 でも、夏というと、やっぱり渡辺美里。しかし、毎年行われる夏の西武球場でのコンサートを今年限りで止めるとのことである。
 「夏だ、祭りだ、ワッショイ!!!」がピッタリのこのコンサート。20回を迎えるのを機に止めるのは残念だけど、彼女もまた新たなる変身を遂げることだろうから、仕方あるまい。
 私は、西武球場のライブには行ったことがないが、西宮球場のライブには1993年に行ったことがある。その時、私55歳。周りにいたピチピチプリンの女性から「ヘンなおじさん」と疑惑の眼差しで見られたけれど、ヘンなおじさんだから、そんなことチラッとも気にしない。
 浴衣姿で最後に出てきた美里、良かったナァ‥‥。ン? 何? 浴衣姿とピチピチプリンが目的じゃないかって? フン、失礼な!!! 痴性と狂養ーーエート これ変換間違いーー知性と教養を誇る私が、そんなこと考える訳がないでしょ!!!
 ところで、スタジアムのコンサートは独特の雰囲気かあって、それが、美里になぜかよく似合う!!! 彼女が20回もやったという訳がよく分かる。
 私はサッカーの試合を見に行ったことはないが、彼女に言わせると、サッカー試合の雰囲気と似ていると言う。夏の夜の野外のジャズコンサートや武道館のロックコンサートにも行ったことがあるが、そこで感じる一体感とも違う。これは、スタジアムというゾーンがかもしだす空気と夏という季節がドッキングして作り出した一種の魔法のようなものにちがいない。

 渡辺美里の豪華絢爛な夏のコンサートと比べものにもならないが「夏だ、祭りだ、ワッショイ!!!」と、私の住む街、北九州市の皿倉山でも「灯篭まつり」が開かれる。そのオープニングイベントに、私たちの合唱団『北九州を歌う会』が出演することになった。
 歌う曲目は、団伊久磨が作曲した合唱組曲「北九州」の中から4曲。その中に皿倉山を歌った「九州の山は」という曲がある。それにちなんで、出演することになった訳。
 皿倉山は標高622m。頂上から見る北九州市の夜景は100万ドル‥‥ではなくって100億ドルの夜景に加えて、全国から取り寄せた数百個の幻想的な灯篭の並木。それに、かてて加えてわが合唱団のコーラス。これって、ホント 素敵な二人のためのお誂え向きコース。
 エ? 何? ラブソングを歌ってくれるのならともかく、オカタイ歌ならブチ壊しだって? ウーン そんなことってないよ。児童合唱団や小倉祇園太鼓との共演だし、「九州の山は」はコミックソング。すっごく楽しめるんだから‥‥。
 だから、オープニングイベントが開かれる8月6日(土)には、是非お出でください。
 “イベントが終わったらアアしてコウして”と期待に夢をふくらまし、手をとってお洒落なケーブルカーに乗り、肩を抱きなって我が合唱団の歌をウットリして聴き、終わったら、腕を組み101万ドルの夜景を見ながらバージンロード気分で灯篭並木をくぐり、後は素敵ムードにのって‥‥エーット、イイことしてください。
 では、素敵な夏の夜を‥‥。 
  
    合唱組曲「北九州」より
              九州の山は

    燃える高炉に股火して 皿倉山が言うたげな
    「今夜の風は 身にしみる 福智の嶺にゃ
     雪が来た 足立よ 尺よ 戸の上山よ
     風師も来んな ハクション 
     ぬかみそ煮込みで 盃交わそ」
   ハクショイ ハクショイ

    皿倉山の 大クシャミ 波は ドンとはね 響灘
    沖の藍島 腹かいち サバやイワシに言うたげな
     「九州男と九州の山は 思い立ったら
      夜も日もないけ 今夜は気をつけ 
      河豚にも知らせ」
    ハクショイ ハクショイ
               [作詞 栗原 一登]

 ※ 「灯篭まつり」の詳細は、帆柱ケーブル㈱TEL093-671-4761まで

 7月7日は七夕。遠距離恋愛の元祖である織姫と彦星が1年に1度出会う日。でも、残念、あいにくと雲模様。天の川など見える訳がない。
 松尾芭蕉が天の川が増水して逢えなくなった二人のことを、逢えたら有頂天になっただろうにと、有頂天に引っ掛けて「七夕の逢わぬ心や雨中天」と詠んだが、そのとおりの七夕になってしまった。
 今はお上品な時代になったので「タチションベン」などと言うと、顰蹙を買いそうだが、我慢に我慢を重ねたうえでジャーと実行する「タチションベン」の快感は、男性のみが得られる感覚であろう。ホント、「良くぞ男に生まれけり」と実感する瞬間である。
 まして、天の川を見上げながらする「タチションベン」ほど、気宇壮大なものはない。まるで、天の川にむかって「タチションベン」をしている心地がする。
 しかし、軽犯罪法第1条の26に
「街路及び公園の他公衆の集合する場所でたんつばを吐き、又は大小便をし若しくはこれをさせた者」は拘留又は科料に処するとある。軽犯罪法は刑法であるから「タチションベン」をした人又はさせた人は、前科のある犯罪者となる。
 だけど、である。犬を散歩させている人を見ると、犬の糞は取っていくが、犬のオシッコは拭き取ったりせづ、させ放題。オマワリさんが見ていてもそしらぬ顔である。しかし、人間の「タチションベン」はダメで犬はいいと言うのは、法の平等の精神に反するのではないか。
 だから、私は気宇壮大な「タチションベン」をしている時に、オマワリさんに捕まっても、この高尚なる理論構成のもと、トクトクと説明すれば無罪放免になると信じている。だから、遠慮なくジャーとやる。(ただし、女性が横にいる場合を除く)
 
 ところで、私が勤めている北九州市の「南丘市民センター」は、小さな川だけど、ホタルで有名な小熊野川という川の横にある。そこで、「小熊野川を天の川に」のキャチフレーズのもと、市民センターを利用している人や子供たちに、願い事を書いてもらい、七夕だから7本の七夕飾りをすることになった。
 そこで、私も短冊に願い事を書くことにした。大人になって七夕に短冊を書くなんて風流なことをするのは初めてである。願い事なら、掌からこぼれるほどある。しかし、厳選のうえ、格調高く七夕にちなんで7つの願い事を書くことにした。
「うっすらハゲ模様がすっかりハゲ模様になりませんように」
「UFOに遭遇しますように」
「7番目の初恋の君に再会しますように」
「昨日の晩ごはんのおかずをスラスラと女房に言えますように」
「夜、オシッコに行くのは1回だけですみますように」
「美人でないフツーの女性でも、顔と名前が一致しますように」
「家の用事は“アソコ”と“アレ”と“コレ”だけで全て事たりますように」
 私、67歳。これ全て、切実な願い事ばかりである。だから、有言実行の私は、この7つの願いをかけながら天の川を見上げ気宇壮大な「タチションベン」をしたのは言うまでもない。それも、2回も‥‥。
 だって、たった1回の「タチションベン」では、7つもの願い、となえられないでしょ。

 第9回手塚治虫文化賞のマンガ大賞に浦沢直樹の「PLUTO」が選ばれたが、今回の受賞作は「鉄腕アトム」の「地上最大のロボット」をリメイクしたものだそうである。 
 こう云ちゃなんだが、私はむかし昔その昔からアトムファンである。私の息子を膝に抱えてTVのアトムを見たのがウンのつき。子供はさっさとアトムを卒業してしまったが、私だけが落ちこぼれ今だに卒業できないでいる。
 そういう訳で、あまり大きな声では言えないが、私の愛蔵書の中には、1975年に朝日ソノラマから発行された「鉄腕アトム全集21巻」と1977年に講談社から発行された「手塚治虫全集100巻」がある。
 「地上最大のロボット」は、「鉄腕アトム全集」第3巻に載っていたが、昨日の晩ごはんのおかずも覚えていないほど落ちぶれてしまっている私にとって、30年前に読んだマンガのストーリイを思い出せと言っても、夢のまた夢である。
 それで、さっそく原作を読んで、
「ウーン、古くて新しい。ヤッパ、手塚治虫!!!」と改めてファン熱をアップ。これを浦沢直樹がどう料理したのかと,「?」付で「PLUTO」を買った次第である。
 ところが、驚いたのなんのって、リメイクしたものと云えなくはないけれど、まったく新しいマンガに変身!!!
 エライものである。「PLUTO」はまだ2巻しか出版されていないけれど「乞う、ご期待」感がいっぱい。
 私がアトムが好きなのは、ストーリー性が高いのと、ほのぼのとしたユーモア、それと夢あふれるところにある。一方、浦沢作品は、アトムよりストーリィテーリングは長けているかもしれないけれど、ユーモアに欠ける。チョッピリ残念。
 手塚治虫が亡くなったのは1989年2月。その年には「手塚治虫夢ワールド」という展覧会が開かれ、最近でも2003年に展覧会が開かれているが、アニメを最後に見たのは、亡くなった年の7月に東京・高田馬場にある映画館「ATCミニ・シアター」
 この映画館は、「鉄腕アトム全作品一挙上映会」と称して1963年からTVでスタートしたモノクロ版のアニメ193話の内、残存している181話を1日に4話、1ヶ月半かけて連続上映した所である。
 映画館と言ってもは小さな小屋みたいな所で、椅子はなく板張りである。そこに30人位の人が座り込んで見る。でも、見終わったら拍手がいっぱい。私が映画館でスタンティングオベレーションをやったのは、ここが最初で最後。
 アトムが活躍していたあの時代、アトムが言っていた「愛と平和と正義」は、共感をもって受け入れられていたし、そして、それがアトムの魅力のひとつともなっていたのである。
 しかし、アトムが宇宙の彼方に消え、それと共に「愛と平和と正義」も消えてしまった。今の時代、「愛と平和と正義」と言っても、そらぞらしく空しく聞こえるばかりである。
 アトムを過去の遺物としないように、その意味から言っても、浦沢直樹の「PLUTO」は意義があるといえるかもしれない。

 『目からウロコ』とは、正にこのことである。
 
 あまり大きい声で言えないけれど、この世は分からないことがいっぱいある。
 人は精子と卵子が結びついて出来るというけれど、精子の長さって0.06ミリ。それから、どうして心臓やいろいろな働きを持つ内臓、血液、骨が出来るのか分からない。全部完成した後も髪の毛や爪が生えてくるが、何を原料にしてどうやって作くるのか分からない。花粉症で悩まされた憎いアンチクショウの大量の鼻水や涙は、どこから絞り出されてくるのだろう。
 
 TVだって、どうして写るのか分からない。映像や声が空を飛んで来るみたいであるが、空を見ても何も見えないし音も聞こえない。いっぱいウジャウジャと空中を飛び回っている映像やその色や声が、どうしてごちゃまぜにならずに、TVの画面から出てくるのだろう。おまけに、不思議なことにはぴったり口の動きに合わせて言葉も出てくる。

 電話だってそうである。ニューヨークに電話したとき、ペラペラと英語で‥‥はなく、日本語でしゃべったけれど、まるで隣の家から電話しているように、たちまち声が届く。ダイヤルしただけで太平洋をスタコラサと渡り、何億本とあるアメリカ大陸の電話線をかいくぐり、かけた家の電話に辿り着くなんてことは、とてもじゃないが、エンエンと時間がかかりそうなのに、それが瞬時に出来るなんて、どうして?

 携帯電話だってそうである。線もないのに、まして動いている相手に、空中は携帯の声で満ち溢れているのに声が届く。それに「愛している」と言ったのが、どうして誰かが話した「あなたって嫌い」に取って変わったりしないのだろう。

 これは、ほんの数例であるが、それぞれの専門家に言わすれば、それなりの理屈があるらしい。しかし、ヘイへい凡人たる私にとってはチンプンカン、不可解の一語につきる。よって、この世は訳の分からないことに満ち溢れて、私は悩み多き一生を送くらざるを得ない。
 それなのに、誰も平気な顔をしてノホホンと生きておられるものだと感心する。でも、そんなことで悩んでいるなんて言うと
「アホか」と言われそうだから、黙っている。

 ところがである。ハリー・ポッターの翻訳者であり出版元でもある松岡佑子さんの「夢と言葉と魔法を少し」と題した講演会の内容を読んだ時、この訳の分からないことだらけの悩みが一挙に解決したのである。
 作家C.W.ニコルが、ある時松岡裕子さんに
「魔法は本当にある」と言ったそうである。
「春になって川の水がゆるんで、カエルの卵がオタマジャクシになる。これは、魔法だよ。そして、そのオタマジャクシの尻尾が取れて、カエルになる。これも魔法だよ」と。
 
 ホント、『目からウロコ』である。私の訳の分からないことって「魔法なんだ」と思えばすべて解決する。
「目に見えないほどの精子から人間が出来る。これって魔法!」
「TVから動く絵や声か聞こえる。これって魔法!!」
「その他、アレコレ訳の分からない物がいっぱいあるけれど、これって魔法!!!」
 スッゴイ!!!!

 私はたちまち納得したが、彼女はこれを聞いて、
「自然を信じる心を持つということは、魔法を知るということなんだ」と思ったそうである。そして、幼い頃から自然に親しんでいた彼女は「その魔法のおかげでハリーポッターの版権を取ることが出来た」と。

 そう、魔法は夢の中だけのことではないのである。あなたも自然に親しみ、魔法を信じる心を持つことが出来たら、魔法のおかげで夢が叶うかも‥‥。

 私は、ミーハー的音楽大好き人間である。そもそもの馴れそめは、1954年の映画「暴力教室」の主題歌で、ビル・ヘンリーとコメッツが歌う「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を聴いたとき。
 「これは何だ!!!」と青春なりたてホヤホヤの私は、この曲でたちまちミーハー音楽派に開眼。以来、アメリカンポップスからエルビスに、それからビートルズをチョッピリ聞きかじってモダンジャズに変身。
 しかし、なぜかカタカナ語の音楽に飽きて、フォークからニュミージックと心変わりしたところが、そこでストップ。どうも、中年となり頭の鈍化に伴い、歌への遍歴も止まってしまったらしい。今では、オールディーズ愛好家として足跡を残すのみである。
 そこで、今でも大好きなニューミュージックは、陽水を筆頭に、ミーンナ好きだけれど、歌詞の語彙の豊かさについては、さだまさしの右に出るものはないと思っている。
 そのさだまさしが、5月28日朝日新聞朝刊の「さだまさしからあなたへ」というコラム欄に『哀しい大人 反面教師に未来を作って』と題してエッセイを載せた。
 さだまさし、53歳。私に比べて13歳も若いのに、彼の歌詞、メロディラインには心に触れるものが多く、今度新聞に掲載されたコラムにも
「ウーン、実感!!!」と心動かされてしまった。
 と言うのは、私も
「こんな時代に誰がした!!!」ではなく
「こんな時代に俺がした!!!」と内心忸怩たる思いをしていたのである。そこで、まだ読んでいない方のために、少し長いが彼のメッセージをここで紹介したい。

 こんな情けない大人たちに育てられた若き君の無念を思うとき僕は絶句する。
‥‥カラオケやヨン様に夢中で家庭を置き去りにしたかのようなオバサンたちも、若き日は未来を夢見、子育てに、理想の家庭を作るために、と努力した。無念にも世の中の壁に打ち砕かれ、志を失ったり諦めたりしてしまったが、かっては君たちと同じように夢を抱いていた。
 一方、粗大ゴミ扱いのオジサンたちだって、かって勇敢に国の不正義と戦おうとした人も多く、その敗北感や挫折感から自信を失い人生に迷った。そして虚脱感と虚無感と戦い、そこから抜け出すために仕事に命を捧げた。だがバルプが弾け、「終身雇用」「年功序列」という「信仰」まで奪われた。
 こうして、いつの間にか、恥や礼儀を何処かに置き忘れたように見えるオバサンたちと、不完全燃焼のまま夢や情熱をなくしたように見えるオジサンたちがこの国の最多数派となった。
 かくして日本は世界で有数の幼稚で、恥知らずで、軽薄で、不人情で正義と夢のない国になった。
 これを率直に詫びて、お願いする。私たちと同じ轍を踏まぬように生き抜いて欲しい。今の大人たちとすべて反対のことをすればよい。難しくとも、だ。
 よく人の話を聞き、人と話すこと。「国とは国語なり」だ。友人を大切にし、礼節を重んじ、学歴を盲信せず、きちんと人の心を見つめ、年寄りを大切にし、子供を守り、男女は互いを尊重し、譲り合い、愛し合う。
 諍う時でも決して暴力に頼らず、相手の身になって考え、夢を捨てず、いつも笑顔を絶やさず、力を惜しまない。これだけのことで君の未来は強く、大きく、明るく拓けるだろう。
 挫けそうになった時こそ私たちを思い出してほしい。私たちの後悔を君に味あわせたくない。以上、切実に膝を折って若き君にこいねがうばかりである。
 お願いだ。お願いだ。お願いだ。

 パンパカパーン!!! 花火がドーンパチパチ。
 だって、5月15日は不動産コンサルタント開業1周年記念日。お祝いです。
「カンパーイ!!!」と一人で盛り上がっています。
 ウーン、でもコンサルタント業はいまいち。だけど、夢旅人はあっちフラフラこっちフラフラと道草ばかりだけど、元気に旅を重ねています。あなたの心に届いたら、やさしく迎えてやってください。

 4月25日、JR福知山線脱線事故。天災は運が悪かったとあきらめることも出来る。しかし、人災は申し訳ないではすまされない。亡くなった方の「どうして」という無念な思い、遺族の方々の「命を返してくれ」という言葉の重みは、はかることが出来ない。

 どうして、運転手は1分30秒の遅れを取り戻すことだけしか、頭に浮かばなかったのか、私には分からない。
 どうして、乗り合わせていた2人のJR社員が救助活動をしなかったのか、私には分からない。 
 どうして、あの夜、多くの人たちが少しでも生存者がいるようにと、祈る気持ちでTVを見守っていたのに、JR社員には「喪に服する」という気さえ起こらなかったのか、私には分からない。

 JRの人の心は壊れかけているのではないかと思う。しかし、JRを非難することはたやすいが、壊れかけているのはJRだけだろうか。今は、親が子を殺し、子が親を殺し、人が意味もなく子供を殺し、通りすがりの人を殺す。
 そして、私もこの壊れかけた世の中を作っている一人である。

 他人がどうなろうと、自分さえ良ければかまわないという考えを持たなかったであろうか。高速道路で制限速度をオーバーして走ったことはなかっただろうか。それ等のことが当たり前の社会になった時、JRのような会社が生まれ、その空気の中で仕事をせざるを得ない運転手が事故を起こしてしまった。

 だから、この事故は一運転手・JRが引き起こしたものではなく、人の心が壊れかけた今の時代が引き起こした事故「人心事故」ではないか。
 原因が追究され、それにより対策が講じられ、「もう2度と引き起こしません」と心に誓って1件落着するのが事故というものである。しかし、今を生きる私たち人の心が引き起こした「人心事故」であるとすれば、過去の大事故と異なって、今回は1件落着とさせてはいけない。
 
 そういう意味では、「もう2度と引き起こしません」で終わらせる事故ではなく、アメリカでの「9.11テロ事件」と同じように、「決して忘れません」と誓う「4.25人心事件」と言うべきであろう。

 だが、しばらくたつと人の口にものぼらなくなり、年末の10大ニュースに取り上げられる位で、2~3年もたつと風化して2005年の出来事に一つになるだけであろう。

 だが、決して忘れてはならない。私たちは、この事件を契機に時代のあり方を見直し、「どうして?」と心に問わなければならない事件など、なくなるような時代にしなければならない。そして壊れた心を取り戻した時こそ「1件落着」となるのであろう。

 詩人谷川俊太郎が1962年~63年にかけて機知と風刺にとんだ詩「落首九十九」を「週間朝日」に掲載した。その中に「事件」という詩がある。私は、今回初めて最終行に書かれた意味を理解できたように思う。


      事  件         谷川俊太郎

           事件だ!
           記者は報道する
           評論家は分析する
           一言居士は批判する
           無関係な人は興奮する
           すべての人が話題にする
           だが死者だけが黙っている---
           やがて一言居士は忘れる
           評論家も記者も忘れる
           すべての人が忘れる
           事件を忘れる
           死を忘れる
           忘れることは事件にはならない


 

 私の道楽は映画である。月に1~2本は見るが,こんなに安くつく道楽はない。なんたって、60歳になったらシニア料金となり、金1800円也のところが金1000円也で見られる。
 私は、こう云ちゃあなんだが、いつも若く見られる。それで60歳になった時、私はシニアと云ってもきっと信用してもらえないだろうと思い、健康保険証(私は運転免許証もケイタイも持っていない貴重な人種である)を持って、いそいそと映画館に行ったものである。そして
 「シニアで」と言ったところ
 「ハイ、お年寄りですね」といとも簡単にチケットをくれた。私が「シニア」と格好よく言ったのに、わざわざ日本語に訳して「お年寄り」と云わなくっても良かろうと思ったが、きっと800円も値引きをするんだから、イヤミな言い方をしたくなるのも無理からぬことであろう。
 しかし、年齢を証明するものを見せてくださいとも云わないのである。
 「若く見えるでしょうけど、ホント云うと60歳なんですよ」と喜色満面の笑みを漂わせて、いそいそと健康保険証を見せようと思っていたのに、ホント残念。
 その後も、何故か疑惑の眼差しで見られることもなく、シニアと云うだけでパスする。信じられないような話だが、どうも、私は見ただけでお年寄りと判断出来るらしい。
 「エッ、もう60歳? とってもそうは思えない!!!」と、初対面の方々が云ってくれたのはお世辞だったのである。以来、私は人間不信感に満ち満ちている。
 ところで、私は、映画好きといっても、むやみとクズみたいな映画を見る訳ではない。知性と教養にあふれている私は、私のおめがねに叶った映画しか見ない。
 それで、どんな種類の映画を見るかというと、私は、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲にチチンプイプイ星人がいると信じている。だから、何がなんでも見に行くのはまずSF映画。特に宇宙物がだい大好き!!! 
 空飛ぶ円盤などが襲来して、地球が滅びそうになるのを、生きている内に見ることが出来るなんて、こんな素敵な出来事が他にあるだろうか。
 次に好きなのはハッチャカメッチャカ、ドンドンパチパチと撃って撃って撃ちまくる大活劇映画である。それも、敵は幾万ありとても、我がヒーローには1発も当たらず、反対に我がヒーローが撃てば、百発百中、敵はバタバタ倒れるような映画でなくてはならぬ。そして、敵に弾が当たっても、血などガバァーと出さず、死の形相なども浮かべずに、さっさと死ぬのが望ましい。こういう映画なら、ストレス解消、さわやか気分で映画館を後にすることができる。
 大体、見るのは以上のような洋画だけだが、邦画は、3種類だけ見ることにしている。私は生まれながらのサユリストなので、吉永小百合さん(さん付けで呼ぶこの奥ゆかしさ!!!)の出演する映画。次にゴジラ。なんたって、あのゴジラって、本物そっくり。いくらアメリカがSFXを駆使しても、こうはいくまい。でも、昨年の「ゴジラ FINAL WARS」で、ゴジラ映画は50年の幕を閉じることとなった。残念至極である。
 しかし、ゴジラを見に行った時、エライ目にあったことがある。九州では大体ゴジラはアニメとの2本立てである。一昨年、ゴジラを見に行った時は「とっとこハム太郎」。あいにくこの時は、前後左右、小ちゃい子供たちばかり。それでハム太郎の歌が流れ出したとたん、いっせいにそれにあわせて歌いだした。そして歌い終わったとたん、隣の女の子が
「オジチャン、ドウシテ ハムタロウノウタ ウタワナイノ」と詰問する。いやはや、こんな小さい子から叱られたのは初めてである。私、ドッキリ
「ハム太郎の歌、知らない」と言ったら
「ドウシテ シラナイノ」と追求する。そのとき、横からお母さんの声あり
「シーッ、黙って見なさい」 助かった!!!
 しかし、いくら可愛い女の子から文句を言われても、ハム太郎系統のTVアニメは、孫を膝に乗せて見るのならともかく、一人でポカンと口を開けて見たりすると、うちのかみさんから
「ついに来たか」と思われそうなので止めることにしている。 
 でも、アニメは好きである。特にガンダムのようなSFアニメ。でも、最近はSFアニメは製作されることが少なくなったので、仕方なく宮崎アニメなどを見ている。
 反対に苦手なのは、恋愛映画。私は生まれがら「ホレっぽくてフラれっぽくってワスれっぽく」出来ているので、ああでもないけどこうでもないとウダウダするのは性に合わない。まして、他人のホレたのハレたのを見たって、ちっとも面白くもなんともない。
 次にホラー映画も見ない。ホラーと語尾を延ばして発音するのは間違いである。あれは「ホラー」でなく「ホラ」映画である。おまけに血などガバガバ出るから見ないことにしている。
 それに、シリアスな映画も苦手である。深刻なものはむろん、しみじみ人生を感じさせるというような映画も見ない。ミステリイ作家スー・グラフトンが「証拠のE」で
「元気だなんて、あなた、私たちは苦痛に満ちた世界に生きているのよ」と、書いたとおり、シリアスな世界に生きているのに、わざわざ、映画で再確認することもないのであろう。
 このように、「知性と教養」にあふれた私は、壊れやすい繊細な人生を生きているのだから、せめて現実離れした世界に浸りたくて映画を見ている訳で ‥‥ エッ、何? もっともらしいことを言っているけど、それって単に「痴性と狂養」の間違いじゃないかって?
 フン、そうじゃないんだって!!! 
 

桜満開。春爛漫。華やかにときめいてお花見の季節。と、言っても
「エ? 何の花を見るの?」なんてトンマなことを聞く日本人はいない。
 花の名前は数々あれど、「花見」というと梅や桃ではなく桜のことだし、「花より団子」の『花』も桜であるのは言うまでもない。
 このように、日本人にとって『花』といえば桜を連想することが多い。
 美人を表す言葉に、昔風にいえば「彼女には花がある」という言い方がある。これは、今風にいうと「彼女はオーラがある」ということになるが、この場合、イメージしている『花』はバラやチューリップではなく桜である。
  また、林芙美子が
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」といった『花』も桜である。
 このように、花といえば桜という意識は、日本人のすぐれた感性のひとつであり、外国人には理解できないことであろう。外国人にはFlower=FlowerであってFlower=Cherry Blossomには決してならないはずである。 
 それにパッと咲いてパッと散るという、潔いよい咲き方が潔いよい生き方を好む日本人の感覚にあっているのであろう。
 今年の桜は、開花が遅く桜前線が駆け抜けていったが、私は豪華絢爛に咲き誇る桜より、ハラハラと散る花吹雪の方が好きである。
 1190年没した西行法師は、桜はその散る姿が一番美しいと
「春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなり」という歌を作ったが、桜散る樹の下での花見もいいものである。
 しかし、『花』がある彼女と肩寄せあって、桜散る樹の下で酔っ払い「あなたの花を散らしてみたい」なんてことは、いくら心で思っていても口に出してはいけない。
 ここは、やはり酒など飲まず、みたらし団子など食べながら「花散る姿は妖しく美しく、まるで君のようだ」などとキザっぽく言はなければならないであろう。
 また、西行法師は
「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」とも歌っているが、こんな人生の閉じ方が出来たらいいなと思う。
 そうすれば、はらはらと桜散る樹の下で、ひっそりと『花』ある女性(個人情報保護条例に基づき氏名は未公開とする)が、はらはらと涙を流すに違いないのである。ウーン、これって最高!!!

 世に怖いものは「地震・雷・火事・ナントカ‥‥ナントカは賞味期限切れになっているので割愛‥‥」だそうである。
 東京に転勤して、仕事中に震度3の地震に初めて遭遇した時のことである。私はビックリ仰天。机にしがみ付いたところ、周りの東京人は平気でソシラヌ顔をして仕事をしているではないか。
 なにしろ私の住んでいた北九州では、身体に感じるほどの地震はあまりない。なんとまあ、東京人は肝っ玉が太いと感心したものだったが、よく聞くと、この位の地震なんてしょ中だという。どうも、東京人は、震度3位の地震には不感症になっているらしい。
 以来、ジタバタしたいけれど、ヅブトイ九州人が、センサイ東京人に負けては恥なので、私も地震不感症になることにした。かくして、A型にして体制順応型の私は、たちまちにして震度3位の地震にはびくともしないようになったのである。
 それに大地震とか雷や火事なんぞは、私の周りでは起きないと信じているので、私にとって恐ろしいものは「地震雷火事なんとか」ではなくって「花粉かみさんハゲなんとか」になっていたのである。
 ところがでる。3月21日11時前、こたつに入ってノホホンとTVを見ていたら「ドン」と地響きがして、家がゆれだした。
「アレッ、地震?」と、地震不感症の私は平気の平左、余裕しゃくしゃく。ところが1度揺れたら収まるはずの地震が止まらずに、次第に大きくなってきて
「ワーッツ、地震!!!」とあたふた。立ち上がろうとしたら、酔ってもいないのにフラフラする。
「ア、ア、ア、アッ‥‥地震ダア!!!!」と絶句。2階建ての我が家はギシギシ音を立て、一瞬、ブッ壊れるのではないかと気がする。
 ホント、「地震雷火事‥‥なんて、ちっとも怖くなんかないよ」などと、オオソレタことは口が裂けても言ってはならない。どうもバチがあたったような気がする。
 かくの如く、私は驚天動地したものの、我が家は泰然自若。物が落ちてくることもなく治まってしまった。どうも主人公が頼りないので、家がその分踏ん張ってくれたらしい。
 しかし、地震が治まって、すぐNHKにチャンネルを変えたら、もう画面が切り替わってアナウンサーが「今、地震が発生しました。津波に用心してください」と言っている。
 私が「ア、ア、ア、アッ‥‥地震ダア!!!!」と叫んでいる間に、NHKは
「スーパーを流す準備をして局内と街頭のTVが収録したテープを取り出し北部九州の地図に各地の震度と津波の予想地帯を入力しアンウンサーをカメラの前に立たせてハイスタート」とやっていたのである。
 こんな時だから、アナウンサーもネクタイの結び目もほどけ、髪など振り乱だし息をきらしてアナウンスしているのかと思ったら、さすがに天下のNHKである。一向に動じた風ではない。
 ホント感心した。地震が起こらないと思われていた地方のTV局が、一瞬にしてリハーサルなしで、ブッツケ本番をこれだけ瞬時にしてやれるなんて、凄いことである。
 これからは『皆さまの(お金をポケットに入れる)NHK』となどと言ってはならない。
『皆様のNHK』と括弧抜きで言わないといけないであろう。
 本物の地震に遭遇して、初めてTVやラジオの威力を知った次第であるが、おかげで、多くの友人知人からお見舞いの電話やメール、お手紙を頂いた。
 私の家の被害が0だったので、ノホホンとしていたら、皆さんの方から心配していただいたようである。
 とってもうれしくありがたく、改めてお礼を申し上げる次第です。もう一度、どうもありがとう。

 今年の3月は、我が生涯最悪の月。なんたって、気象庁が1985年観測を始めて以来、最大の花粉だそうである。
 私は、自慢じゃないが、20数年前気象庁が観測を始める前から、花粉症にかかっている。いつも時代の後端を走っている私なのに、なんと時代の先端を切って花粉症にかかってしまた。
 その花粉症のベテランを任じている私であるが、20数年にわたる花粉症との健気な闘いのなかで、今年は最悪。特に目と鼻に攻撃をかけられ、
「目ン玉をほじくり返したいほどに痒く」
「水道の栓が壊れたように鼻水たれ流れ」という有様である。
ホント、空前絶後に阿鼻叫喚。完全にお手上げである。
 1C㎡に花粉が50個以上ある時に「花粉が非常に多い」と気象庁は表現しているが、まことに手ぬるい。そんなオ上品な言い方だと,非花粉症人からは「ア、ソー」とか「フーン」とか位の反応ですまされてしまう。
 言いたくないが「1C㎡に50個」である。私から言わせれば
「花粉が非常に多い」ではなくて
「花粉がギュウギュウと積み重なって降っている」位の表現をしてもらわなければ、立つ瀬がない。「豪雪」という表現があるように、これは「豪粉」である。
 ああ、それなのにである。この恐怖の季節の真っ只中である3月13日に、私が所属する合唱団「北九州を歌う会」の演奏会が厚生年金ホールであった。合唱組曲『北九州』の演奏会である。
 毎年、病院から貰っている花粉症の薬は、飲み薬1種類に目と鼻と喉の薬はそれぞれ2種類。そこで、この目鼻喉の3種の神器を駆使して演奏会に望んだら、当日は雪模様。豪粉は雪とともに去ってしまった。
 これも、やっぱり日頃の私の行いが良かったせいであろう。と言ったら、うちのかみさんいわく
「それって自己チュウ。あなたの日頃の行いが悪いから雪になって、お客さん大迷惑。」
 フーン、ヘンな考え方。とかく、うちのかみさんはヘ理屈っぽくていけない。
 かくして、私もなんとか歌い終え、合唱組曲「北九州」の演奏会は無事終了。皆さんのご協力のお陰で 満員!!! 感動の嵐‥‥と、拍手の大きさから勝手に解釈する。
 私は、当然ながら目をウルウルさせて、‥‥念のため断っておくが、これは感動のためのウルウルであって、花粉症のウルウルではない。‥‥すこぶる付きでイイ気分になってしまった。
 なんという『快感!!!』 歌うことで、こんな痴的快感‥‥ン? 訂正、知的快感を感じることが出来るなんて最高である。
 それに
 「ソーちゃん、歌いだしの時、口の開け方がワンテンポ遅れていたぞ」とか
 「歌ってない時に下を向いたらダメよ。ソー八さんのうっすらハゲ模様が丸見え」なんてことは、皆さん紳士淑女の方ばかりだから、いくら心で思っていても口に出しては言わない。友は持つべきものである。だから、しっつこいようだが、すこぶる付きでイイ気分である。
 私くらいの年になると、切なくて涙することはあっても、心さび付いて感動のあまり涙ぐむなんてことはまずない。そんな私でさえも、心あふれ揺さぶられる。
 だけど、これって合唱団で歌ってこそ、初めて得られる快感!!!
 そこでコマーシャル。
『歌ってストレス解消。肺活量が増えて声が良くなるうえに顔つきも生き生きしてきて姿勢も良くなり歌詞を覚えてアホ化症候群も防げ素敵な仲間も増えカラオケではなくてフルオーケストラの演奏でステージに立てる合唱団に入会しましょう。ホント、イイことばかりなんだから‥‥。』
 アー ‥‥ 疲れた。売込みってタイヘン!!!

   「北九州を歌う会」合唱団員募集
  
    1.練習日--------毎週月曜日 18時30分~21時
    2.場所----------北九州市小倉北区大手町ムーブ
    3.会費----------前期・後期各3000円
    4.合唱指導------中山 敦(梅光女学院大学教授)
    5.ピアノ 伴奏----松本 郁子

※ お問い合わせは事務局三宅まで(℡093-581-3295)

 1998年、定年を迎え花の東京での13年間にわたる独身生活‥‥ン? 訂正、単身生活にピリオドを打ち
「亭主元気で留守がいい」をモットーとするかみさんのいる北九州市に戻ってきた。
 すると「うちの合唱団、シロウトでもいいの。女性ばっかりで男性チラホラ。入会してよ」と知り合いの女性から誘われたのである。
 私は合唱経験0だけど、女性への抵抗力も0。それで「ウン、入る、入る」と答えてしまった。
 無論、こりゃモテルかもと下心付で参加したのは言うまでもない。ところが、女性は多かったのだけれど‥‥エーット、前美人に元美人に旧美人がいっぱい。でも、こちとら、髪の毛うっすらハゲ模様だから、贅沢は言えぬ。
 とこらが、練習するのを聞いてビックリ!!! 私は筋金入りの「ド・シロウト」。メンバーは、素敵に「ジ・クロウト」。話が違うと言ったら
「大丈夫。みんな初めはシロウト」
 どうも、みんなシロウトからクロウトに華麗なる変身を遂げたらしいが、私はシロウトのなれの果てで終わり「永遠の新人」と謳われるかもしれぬ。
 この合唱団の名前は「北九州を歌う会」。今は亡き團伊玖摩先生が、北九州市政15周年を記念して合唱組曲「北九州」を作曲。この曲を歌うために、1992年に結成された150人からなる合唱団である。
 毎年3月に九州交響楽団の演奏でこの組曲「北九州」の定期演奏会が開かれるが、最初に出たステージでは、うまく歌えたはずもないのに、何故か、老朽化したよれよれのハートが、鮮やかに甦り涙してしまった。
 この合唱組曲は,児童合唱や小倉祇園太鼓なども組み込んだオーケストラのための組曲で、北九州という街が持つさまざまな顔を、あるときはやさしくしっとりと、ある時は楽しく勇壮にイメージ豊かに表現し、最後に
「北九州 北九州 ふるさとやよし」と歌って終わる。演奏時間約40分。 
 私は、父が転勤族であったため、高校卒業までに17回も引越しを繰り返し、自慢じゃないが故郷と言えるものがない。ところが、この曲をステージで歌った途端、
「ああ、北九州がふるさとなんだ」と、たちまちにしてふるさとが誕生してしまった。
 ホント、この曲は摩訶不思議な魔力を持っていて、この最後のフレーズの「ふるさとやよし」と歌うと、賞味期限の切れた私の心でも、胸キュンとなるのである。
 てなことを、いくら力説しても「フーン」とか「ア、ソー」とか疑惑の眼差しである。そうなりゃ、これは聴いてみなければこの曲の凄さは分からない。
 そこで コマーシャル。
『すこぶる付の素敵なひとと、アアしてコウしてアアなって、まずはめでたしめでたしとなる以上の豪華絢爛な幸せを感じるうえに、演奏会が終わった後、隣のシートに座ったすこぶる付の素敵なひとと、アアしてコウしてアアなって、まずはめでたしめでたしとなるかもしれないコンサートにどうぞ』
 アー‥‥疲れた。売込みってタイヘン!!!

合唱組曲「北九州」演奏会

日   時  3月13日(日)15時開演
会   場  九州厚生年金会館(北九州市小倉北区)
入 場 料  2000円
演   奏  九州交響楽団 ・ 指揮 増井信貴
合   唱  北九州を歌う会 ・ 北九州市内少年少女合唱団
祇園太鼓  小倉祇園太鼓保存振興会

 チケットの申し込みは、私のメールアドレス(sohachi@morrie.biz)までどうぞ。
 なお、インターネットで「合唱組曲北九州」と検索してもらえば、演奏会の詳しい情報がみられます。

 2月11・12日の連休に、1957年高校卒業の仲間39名と四国に行った。「第14回青春旅行」である。私、66才。エッ? 老春旅行の間違いではないのかって? とんでもない。青春旅行である。
 サムエル・ウルマンが『青春の詩』で
『青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ』と詠っているように、我々は66歳といえども、心は青春しているのである。
 参加者は女性21名、男性18名。「京都高校・いつまでも青春旅行」とレイレイしく書いたデカイ幟を先頭にデカイ顔をして歩く。すれ違う人たちは、「青春旅行」という幟と意気揚々として歩いている顔とのギャップに驚き
「ギクッ」とした顔をして、次に「フフン」とニヤニヤする。そして、九州弁で話しているのを聞いて「ン? 京都弁でない?」という顔をする。
 そう、私たちの母校「京都高校」は、福岡県行橋市にある1926年創立の由緒ある県立高校である。だけど読み方は「みやこ高校」。だから、レッキとした九州弁でしゃべる。
 毎年1回同級生ばかりで、1泊旅行に行く。修学旅行で行ったコースを辿って行ったこともあるが、どこに行くかが問題ではない。年に1回、2日間もどっぷりと高校気分に戻れることが嬉しくて参加する。
 私は、送られてくる参加メンバーを見て、今年は何度目の初恋の君に会えるかと胸をときめかす。ここだけの内緒の話だが、私は高校時代、7回も初恋をしている。初恋は一度きりというのが定説であるが、私に限っては違う。私は、ホレっぽくってフラれっぽいうえに、忘れっぽいときている。だから、フラれた途端にきれいに忘れてしまい、イソイソと美人とみれば、見境もなく初恋気分で恋をする。
 それに、わが母校は元女学校である。女性が多いから、そりゃ、モテただろうと思われるかもしれないが、それは美しき誤解である。わが母校は、当時別名「養子学校」。男など振り向きもせずに、女性が肩で風を切って歩く。だが、美人には事欠かない。何度でも初恋が出来る。
 そういう訳で、いそいそと「初恋気分よもう一度」と、バス貸切で北九州市を出発。山陽自動車道で尾道からしまなみ海道を経て松山へ。翌日は内子を散策して八幡浜からフェリーで別府に渡り帰ってきた。
 宴会では、恒例の我が青春座による余興がある。今回の出し物は松山にちなんで「坊っちゃん」。アンコールに「マツケンサンバⅡ」。なにしろ元女学校である。すべて女性が企画・演出・衣装・出演を仕切る。
 なんたってハッチャカメッチャカのメーキャップと衣装に、はしゃぎまわっての迷演技。我々男性は、アッケにとられ笑い転げるばかりである。ホント、女性って凄い!!! 66歳にして、このヴァイタリティと実行力。女性が長生きするは当然であろう。
 帰りのバスの中で、女性軍一同から、男性一人一人にバレンタインチョコレートが配られた。しかも、それぞれ異なった殺し文句が書かれたバレンタインカード付である。無作為に配られてはいるものの、私が貰ったチョコレートには、なんと
「青春旅行 あなたに会える嬉しさで 心にひとつバラが咲く」
 私、66歳にして天にも昇る気持ちである。
 今年、3度目の初恋の君と会って親しく愛を交わし‥‥なんてことにはならなかったけれど、このバレンタインカードは、彼女からもらったことにしよう。
 かくして、14回目の青春旅行はハッピイにTHE END。ホント、これだから青春はやめられない。
 でも、森田公一が『青春時代』で歌ったように、今、青春している人にとっては、
『青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり』かもしれないけれど、
『青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの』なのでしょうから、何とか青春時代、乗り切ってくださいね。

 土星探査機カッシーニから切り離された小型観測機ホイヘンスが、土星の衛星タイタンに着陸した。地球からの距離12億8000万Km。と言ってもピンと来ないが、地球と月の距離の3400倍というから、途方もなくスゲー~~~~~距離であることに間違いない。
 お祭りの射的場の的でさえ当てたことのない私にとって、途方もなくスゲー~~~~~距離にある土星に探査機を着陸させるなんて、とても信じられない。
 どうも、NASAが秘密のUSOスタジオ‥‥USAスタジオの間違いではない。あくまでもUSOスタジオが正しい。‥‥に、タイタンっぽい模型を作り、それっぽい写真を発表しているのではないかと思って、うちのかみさんに言ったら、
「今は、内部告発花盛りの時代だから、そんのことしたら、すぐバレちゃうよ」
 ウーン、そうなると、どうも本当みたいである。
 それで、世間では「ヤッター!!! 地球人はなんと賢いんだろう。」と喜んでいるらしいが、SF大好き人間の私は、ガッカリである。 
 と、言うのは、1969年に地球人が月に降り立った時、きっとチチンプイプイ星人のタチションベンの跡が発見されるだろうと思っていたのである。もし、アポロ11号のアームストロング船長があと100mばかりあっちの方角に歩いていたら、
「これは一人の人間には小さな第一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ」と宣誓する代わりに、
「これは一人の宇宙人には小さなタチションベンの跡だが、人類にとって大きな遺産だ」と迷台詞‥‥ン? 訂正、名台詞をはいたに違いないのでる。ホント、残念!!!
 それに、火星に1975年バイキング探査機が着陸したときも、私は初恋の人に再会するような胸のときめきを覚えたものである。
 私の名前がソー八であるから、ソー八の八にちなんで、火星人も八本足で一見タコの八チャン風でなければならぬ。その一見タコの八チャン風火星人が、花束‥‥エート 間違い、石束など持っていそいそと歓迎に現れるはずだったのである。
 それが、到着したのは、なんと無人の探索機。一見タコの八チャン風火星人はガッカリして
「誰も乗っていないなんてバッカみたい。地球人はなんと賢くないんだろう」と言ってスゴスゴ帰ったにちがいない。 
 そんな訳で、依然として探索機が映し出すのはミもフタもない景色ばかりで、憧れの宇宙人は一向に出てこない。探索機がたどり着くのはめでたいことであるが、その度に私の夢は失われていく。
 科学が発達すれば、今まで出来なかったことも可能になり、それにつれ人は豊かになってきたけれど、その代わり、何かが失われていくようである。
 それが、私のささやかな夢ぐらいであればいいのだけれど、自然や人の心も失われていくようで‥‥。

 12月31日はNHK紅白歌合戦。
 私は、昔むかしから、あきもせずにやっているこの年末恒例行事を毎年かかさず見ることにしている。何故見るかと言うと、若いころ私ミーハー。昔むかし、ミーハーは紅白を見るようになっていたのである。それで、この「ミーハーのなれの果て」である私は、慣例によって紅白を見る。
 だけど「紅白好き!!!」などと言うと、よくよく見ればインテリ風の人から軽蔑の眼差しで、若い人からはアホかという眼差しで見られるが、それでもメゲずに見る、
 今年の出場者は56組。出場する歌手の名前は知っているが、聴くのは初めてという歌もある。往年のミーハーも落ちぶれたものである。
 今年、胸キュン派の代表は我が愛するさだまさしの「遥かなるクリスマス」。このメッセージソングを、紅白というお祭りの舞台で、眼に涙して歌ったさだまさしもエライが,歌わせたNHKもさすがである。ドンチャン騒ぎをやっていても、「NHKにもまだ良識があるんだぞ」と言いたかったに違いない。
 これに対するハレバレ派の代表は松平健の豪華絢爛「マツケンサンバⅡ」。この歌は初めて聴いたが、驚いたと言うよりアッケに取られた。アラエッサーサー的歌を「寄らば切るぞ」と貫禄十分の時代劇役者が、キンキラキンの着物を着て歌う。このアンバランスの妙、ウケルはずである。
 これを聴いていると、セージが悪いとか、ケーキが悪いとかどうでもいいような気がしてくる。ありゃ、松平健より小泉ソーリが歌った方が似合うのかもしれない。
 歌のうまいのは、森山良子、和田アキ子、布施明。
 和田アキ子は今年バラードを歌ったが、ブルースを歌わせたらピカ一だと思う。彼女が聞いたら怒り狂うかもしれないが、早く年をとってオバチャンになって欲しい。オバチャンになってから歌う彼女のブルースは、サラ・ボーンに匹敵するにちがいない。
 歌手として好きなのはドリカムの吉田美和と平井堅。歌も好きだが、ひたむきで懸命な歌い方に心うたれる。
 好きな曲は平原織香の「Jupiter」、倉木麻衣の「明日へ架ける橋」、Gacktの「君に逢いたくて」、河口恭吾の「桜」。アップテンポの曲は息がきれそう。やっぱり、年相応にバラードが好き。
 無論、モーニング娘も好き。エ? 何? 歌を聴くのではなくって、チラチラムチムチプリンプリンを見るのが好きだろうって‥‥ウーン、まあテンポが早くって歌詞がよく聞き取れないでしょ、だから仕方なしに、チラチラムチムチプリンプリンを、身を乗り出して‥‥エート、身を乗り出して見ることなどせずに‥‥、ホント 仕方なしに見ているだけだって!!!
 だから「遥かなるクリスマス」と同じように、紅白が「遥かなる紅白」となっても、やっぱり好きデス。

 お正月。1月1日という日は、12月31日の次の日で1月2日の前の日。屁理屈的に云うと前日や翌日とちっとも変わらないはずだけど、目覚めると、なにやら清々しく感じられて、まずは
「明けましておめでとうございます」
 そして、新聞を広げてまず見るところは「ジャンボ宝くじ」の当選番号。
 私などは、金3000円也を払って宝くじを買うと、途端に3億円当った気になる。女房には内緒だが、私だけ一人で、まず豪華客船に乗って世界一周の旅に出かける。
 そして行く先々の国の美人にモテてモテてモテまくり ‥‥ ン? 何? お前がモテる訳ないだろうって? とんでもない。顔が悪くても金さえあればモテる。これって、万国共通の法則。
 そこで、その美人達とラブラブ気分になり、当然のことながら、ああしてこうしてああなって、まずはめでたし目出度しと、桃色気分で帰国する。
 帰国したら、残ったお金を貯金するなんてケチなことはやらない。日本国の景気回復のために、金3000円也を残して次の宝くじの発売日まで、手当たり次第に買って買って買いまくり3億円を使い切る。
 私は、かかる高尚な行為を毎年エンドレスに繰り返しているので、ホント、3億円当たっても、やることがなくて途方にくれるのでないかと心配である。
 宝くじを買うということは、夢を買うということである。実現出来そうもないから夢というのであって、実現の可能性があるものは夢ではない。目標である。
 だから、宝くじは夢だから当選しなくても、
「ヤッパ、ハズレ。今度こそ絶対当選しよう!!!」と、夢には終わりがないから、次に託してアッケラカンと終わる。
 でも、これが宝くじで当選するのが目標となると大変である。目標となれば、まなじりを決してでも達成しなければならぬ。だから当選しなかったら、お正月というのにヤケ酒を飲み、挫折感やら絶望感など織り込んで、大いに落ち込まなければならない。
 ウーン 宝くじが夢で良かった!!!
 でも、夢を持つのは大切なことではあるが、夢だけでは人は生きていけない。反対に、夢も持たず目標に追われるばかりの人生も切なくやるせない。、
 だから、せめてポケットいっぱいに夢を、そして、両手いっぱいに目標を持って‥‥ エ? 夢はいっぱい持てるけど、目標はいっぱい持てないだって‥‥ウーン そうか。それでは、持てるだけでいいから持って、今年も元気にやっていきましょう。

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