「風に吹かれて 2006」の記事

 12月に欠かせないもの・・・それはクリスマスに年賀状書き、年越し蕎麦に紅白歌合戦。それと、何故かは知らねどベートーヴェンの「交響曲第九番・合唱」
 私は、クリスマスソングを聴きながら、友人や新旧の彼女達・・・当然のことであるが、これって、文字とおり彼女のことであって、いわゆる彼女ではない・・・に年賀状を書く。そして、年越し蕎麦を食べながら紅白歌合戦・・・当然のことであるが、ミニのスカートをはいたピチピチプリンの歌手が出てくると、目をランランと光らせて身を乗り出す訳ではない・・・を見る。これって、ミイハアの正しい12月の過ごし方。
 しかし、私は音楽的にもミイハアなので、「交響曲第九番・合唱」を聴かねば沽券にかかわると思っている。だから、若い頃から「第九」の演奏会に毎年通っている。
 しかしながら、である。「第九」のチケットは、ステージいっぱいに人が溢れているせいか、普通の演奏会に比べて格段に高い。東京なら、普通のコンサートのB席の2回分に相当する。
 地方では「第九」が演奏される場合、合唱団がその都度結成されることが多い。だから、合唱団に入ればチケットを買う必要はないということになる。
 そこで、タテマエ的には「第九」を聴いて感動したので合唱団に入会すると云うことにするけれど、何故か、私は生まれながらのケチ。だから、ベートーヴェン様には申し訳ないが、フトコロ的に合唱団に入団することにした。聴いて歌ってタダ。なんと素晴らしい!!!
 かくして、私が入団したのは、第1次現役時代を終え東京から戻り、時間の余裕が出てきた2003年秋。九州交響楽団が「第九」を演奏するときに結成される合唱団「北九州市民フロイデコール」
 入会の手続きに行ったところ、なんと入会金2500円也。それと、ドイツ語で楽譜なしで歌うのが条件だと言う。
 私、それを聞いて驚天動地・茫然自失・・・。
 しかしながら九州交響楽団の演奏会のチケット代は3500円、だから入会した方が1000円も安い。何度も云うようだが、私は生まれながらのケチなので、1円でも安ければ幸せ気分いっぱい。それで、これは「マ、いいか」とすることにして、問題はドイツ語と楽譜なしの方である。
 大学で、私が取った第2外国語はドイツ語である。しかし、ドイツ語の授業はなんと月曜日の1時限目。九州から上京してピッカピッカの大学1年生に、「日曜日の次の日の8時半から始まる授業に出れ」って、そんな無茶なこと云っても出来る訳ないでしょ。
 かくして、他人任せが得意のわたしは、友人の庇護の下、なんとか単位を取ることが出来たが、これさえ知っておればなんとかなると思って覚えたドイツ語は唯一つ、「Ich Libe Sie」。これを英語で訳せば「I Love You」
 それと、もうひとつの問題は、楽譜なしの方である。とみに老朽化が進んで「髪の毛うっすらハゲ模様」にかてて加えて「頭もうっすらボケ模様」になりつつある私に、暗譜が出来る訳がない。
 かくして、すっかりガッカリ意気消沈。帰ろうとすると
「大丈夫。皆、初めはシロウト。6ヶ月も練習期間あるし、ベテランについて歌えばなんとかなるわよ。だから入会してね」と、受付美人がニッコリして云う。
 フーン、そうかと、他人任せが得意な上に、もともとニッコリ美人に弱い私は、すっかりガッカリ意気消沈はどこかに消えうせて、一も二もなく
「ウンウン」と云ってしまった。
 かくして、自分の退行行為は棚上げして、ありったけの勇気をかき集め、軽佻浮薄というか勇猛果敢というか「第九」に挑戦。
 すると、天は我を見捨てず。なんと「頭もうっすらボケ模様」になりつつあるにもかかわらず、ドイツ語の教授が上手に話すコツを教えてくれたことを思い出したのである。その教授、いわく
「鼻くそを相手に飛ばす位、勢いをつけて話せ。すると、なんとなくサマになる」
 かくして、顰蹙を撒き散らしながらなみだ涙の練習を重ね、今年で、私、4回目の「第九」の演奏会。一見ベテラン風、よくよく見ればシロウト風だけど、「第九」を歌うことで、1年のピリオドをうつことが出来るようになった次第である。だから、
 
 今年、ポケットに夢をいっぱい詰め込んでチャレンジしてきたあなた、
 今年、怒りと戸惑いの海に溺れ、眠れぬ夜を重ねたあなた、

 いろんなことがあったことだと思いますが、一度「第九」を聴いてみませんか。
 そうすれば、2006年にきれいさっぱりとエンドマークをうち、気分も新たに新しい年を迎えることが出来るかもしれません。


 今年1年、このコラム「夢旅人」を読んで頂き、有難うございました。来年も毎月1日と15日にお会いしましょう。
 そして、来年こそはと言うか、来年もと言うか、いずれにしろあなたの夢を、キャンバスに描くことが出来ますように、そして、壊れたハートを拾い集めるようなことは、決して起こらないように、はるか九州の空の下で祈っています。


         「第九の夕べ」
     九州交響楽団北九州巡回演奏会
 
       2006年12月22日(金)
      開演/19時  開場/18時
     ウエルシテイ小倉グランドホール
        (九州厚生年金会館)

       指  揮   秋山 和慶

       ソプラノ   木下 美穂子
       アルト    渡辺  敦子
       テノール   成田  勝美
       バリトン   成田  博之

    合    唱   北九州市民フオイデコール
    オーケストラ  九州交響楽団

 もう12月!!! 
 まだ人生を夢見ていた頃は、1年たつのがナガーーーーク感じられていたけれど、たそがれ時の人生を迎えたら、1年がアッというまにたってしまう。
 
 恋心が芽生えた10代の頃の年の取りかた
 若気の至りを発揮していた20代の頃の年の取りかた
 人生に意気を感じて燃えていた30代の頃の年の取りかた
 人生が見えてきた40代の頃の年の取りかた
 髪の毛うっすらハゲ模様の50代の頃の年の取りかた
 記憶もうっすらボケ模様の60代の頃の年の取りかた

 このように、その年代によって、私の年の取りかたも変わってきたけれど、詩人大岡信が2004年フランス政府からレジオンドヌール勲章のオフィシェ章を授与された時、詩人ポール・エリュアールの「とだえざる詩」の中の2行を引いて受賞の挨拶をしている。紹介すると

  年をとる それはおのれの青春を
  歳月の中で 組織することだ

 ウーン、年をとるということは、そういうことなのである。私 68歳。しみじみ納得。

 吉田拓郎と「かぐや姫」が9月23日掛川市の「つま恋」で35000人の観客を迎えて8時間にわたって開いた野外コンサート。このライブの模様が「今日までそして明日からー吉田拓郎・35000人の同窓会ー」と題して、10月23日にNHK総合TVのプレミアム10で放映された。
 1975年、同じ場所で5万人を集めて開かれた伝説のコンサートの再現である。集まった人たちは、ほとんどおしさん・おばさん。31年前の自分を思い出して、おじさんおばさん的風貌なれど、顔は青春!!! 
 みんな素敵にホレボレとするようないい顔。
 拓郎の歌に合わせて、涙をにじませながら歌っているのを見ると、私、ココロ的には10歳ばかり知恵遅れ気味なので、みんなに波長が合ってしまい、私まで涙してTVを見てしまった。
 年をとることは、青春を歳月の中で組織すること、そう、青春は帰ってこないけれど、青春に戻ることはできるのである。ウン、年をとるって、素敵なことなんだ!!!
 そして、最後に、拓郎と観客が繰り返して歌った歌「今日までそして明日から」
 皆、こうして31年間生きてきたんだと、この歌を歌いながら思ったのであろう。幸せはチョッピリで、辛く切ないことが多かったけれど、こうして今日まで生きてきたんだ、だから明日も生きようと・・・。
 そう、死を急ぐ子供たちに言いたい。大人だって、こうして格好悪いけれど生きてきたんだから・・・。
 君も今日まで生きてきたんだから、明日も生きて欲しいと・・・。


     「今日までそして明日から」
          作詞/作曲 吉田拓郎

     わたしは今日まで生きてみました
     時にはだれかの力をかりて
     時にはだれかにしがみついて
     そして今 わたしは思っています
     明日からも
     こうして生きていくだろうと

     わたしは今日まで生きてみました
     時にはだれかをあざ笑って
     時にはだれかにおびやかされて
     わたしは今日まで生きてみました
     そして今 わたしは思っています
     明日からも
     こうして生きていくだろうと

     わたしは今日まで生きてみました
     時にはだれかにうらぎられて
     時にはだれかと手をとりあって
     わたしは今日まで生きてみました
     そして今 わたしは思っています
     明日からも
     こうして生きていくだろうと

     わたしは今日まで生きてみました
     わたしは今日まで生きてみました
     わたしは今日まで生きてみました
     わたしは今日まで生きてみました

     そして今 わたしは思っています
     明日からも
     こうして生きていくだろうと

 空気に触ったこと ありますか
 川の匂いを嗅いだこと ありますか
 森の声を聴いたこと ありますか
 闇を見たこと ありますか
 大地の味を知っていますか

 あなたは地球を感じていますか
 あなたは宇宙を忘れていませんか

     富良野自然塾長 倉本 聰

 
そう、そういう訳で、男性2人と女性1人のパーティに同行して、南九州の霧島山系・韓国岳から新燃岳に縦走してきました。 
 同行した女性は、勿論、かわいさいっぱい。私と手に手をとって・・・と、云いたいところであるが残念。男性2人は甥っ子で、女性は甥っ子の嫁さん。
「どう? 一緒に登らない」と誘ってくれたものの、心の中では
「ウーン、おじさんといっても、オジーサン寸前だもんね。登れるかしら」と、疑惑の眼差し。
 東京にいる時は「目黒ハイキングクラブ」に所属してシコシコ登っていたものの、なんたってもうトシ。九州に帰って来てからは「歩こう会」に格落ちして平地スタスタばかり。もう7年も山に登っていない。不安いっぱいなれど、3人とも、槍穂高はスイスイという超ベテランではある。あなたまかせが大好きな私は、
「行くいく」と答えたのはいうまでもない。
 北九州市を10月29日5時に車で出発。九州縦貫道をブッ飛ばし、登山口である「えびの高原」に着いたのが11時。火山帯だから、石ころゴロゴロ。落ち葉の絨毯を踏みしめながら歩くのが得意なのに、歩き難くいことおびただしい。ゴロゴロ石によろめいて、横を歩くかわいさいっぱいの甥っ子の嫁さんに抱き付きそうになるが、後ろに旦那がついているので、グッと踏みとどまる。ウーン、残念。
 硫黄山の麓を硫黄の匂いをかぎながら、紅葉はいまいちだけれどミヤマキリシマやススキの群生の中を登り、お昼過ぎには無事韓国岳(1699m)に到着。登り始めの時は曇り空なれど、雲が切れて霧島山系スッポンポンの丸見え。一望千里!!!
 これって、日頃の私の行いが良いためである。念のために申し添えると、山行での天気のよしあしは、天気が良いときは私の日頃の行いが良いため、天気が悪い時は、同行の連中の日頃の行いが悪いため、ということになっている。
 ここで、南九州第1級と称される素敵な景観をおかずに昼飯。コンビニの弁当なれどウメー。コンビニなんてバカにしてはいけない。なんたって、おかずが最高。
 そこから、獅子戸岳(1429m)・新燃岳(1420m)・中岳(1332m)を経由して高千穂河原に下りる計画。一見、縦走風なので尾根歩きで下山すると思ったところが、これがコンコンチキの大間違い。3つの山の、それもガレ場の登山道を下ったと思ったら又登ったりと、まるで、3つの山を登った気分。
 韓国岳までは、まだ、ヘトヘトまでいかずにヘトどまり。これなら下山は大丈夫と安心していたところ、登ったり下ったりとまるっきり経済性無視。獅子戸岳ではヘトヘト、新燃岳ではヘトヘトのヘト、中岳ではヘトヘトのヘトヘト、高千穂河原の寸前でヘトヘトのヘトヘトのヘトヘトの極致。
 秋空、くっきりそそり立つ高千穂峰を見ながらの縦走だから、素敵コースと言えるものの、トシは取りたくないもので、私の登山暦では最高のヘトヘト新記録を樹立!!! 
 バンザイ、バンザイ!!! ウン、これって、勿論ヘトヘト新記録樹立に対する万歳ではなくって、あなたまかせだけれど、無事下山できたことに対する万歳である。
 でも、下山して泊まった霧島温泉の150,000㎡の敷地に建つ「旅行人山荘」は最高。なんたって、3戸の貸切の露天風呂が、ホテルとは離れた林の中にポツンと建っている。
 立ち入り禁止になっている木立の中の露天風呂って最高。情緒いっぱいなのに、なんと一緒に風呂に入っているのは野郎。これがムチムチプリンの若き女性だったら・・・なんてことは、これっぽちも考えたことはない。本当である。本人が言っているのだから間違いない。
 でも、身も心も、ヘトヘトとヘトヘトのヘトヘトから開放されて、すっきり爽やか。倉本聰の世界を堪能した一日でした。

気分は最低

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 私、爽やかな秋だというのに機嫌が悪い。生粋のジャイアンツファンである私は、4月15日のこのコラムで「気分は最高」と、この世の春を謳歌したというのに、いつのまにか「ゴーゴー ジャイアンツ」が「マケマケ ジャイアンツ」に変身してしまった。
 こんな信じられないようなことが起こるなんて、ホント、人生は不可解なことに満ち溢れている。
 かくして、私の今年のプロ野球シリーズは早々と5月で閉幕。以来、目をつぶって新聞のスポーツ欄の頁はめくることにしているし、TVのスポーツニュースの時間になったら、オシッコに行ったり、新聞を読み直ししたりして忙しいたらありゃしない。
 でも「気分は最高」のコラムに書いたとおり、私はジャイアンツの負けた試合のTV中継など1度も見ていないのだから、我が愛するジャイアンツは依然として「栄光のジャイアンツ」のままである。
 我が家は先祖伝来の由緒あるジャイアンツファンなので、負けたからと言って
「このジャイアンツのアホ、バカ!!!」なんてことは、いくら心で思っていても・・・ン? 訂正、チラッとも思ったりしたことはないので、外のチームに鞍替えするなんて厚顔無恥なことをする訳がない。
 でも、ジャイアンツの出ない日本シリーズなんて・・・そんな、あってはならないことが起こる時代になってしまったけれど、来年からセリーグでも上位3位のチームは、うまくいけば日本シリーズに出ることが出来るようになるらしい。
 だから、シッチャカメッチャカに力いっぱい戦って、やっと1位になれたと思っても、マアマアの戦いをして3位になったチームが、要領よく短期決戦で勝ち進めば日本一になれるのである。
 でも、こんなバカな話ってある?
 私は、我が愛するジャイアンツが3位だったのに、日本シリーズで日本一になったと言っても、ちっとも、うれしくない。3位のままで結構。選手も、3位の成績しか残せなかったのだから、納得するはずである。
 反対に、悪戦苦闘してリーグ優勝を遂げても、日本シリーズに出場出来なかったチ-ムの選手たちは可哀想。我がニッポンは、努力すれば報われる国のはずだったけれど、どうも、アメリカ流となって、努力は評価の対象にならず、結果良ければ全てよしの「結果オンリー」の国になったようである。
 1年間かかって挙げた成果を無視するなどという、そんな発想が出てくるっていうのは、これって、工場で汗水流して一生懸命働いている人たちが無視され、コンピューターをこき使って儲けることが出来る人たちが脚光を浴びるという風潮が強くなったせいかもしれぬ。 
 日本人の大半は、体に汗をかいて働く人である。額に汗をかいて働く人は、ほんの1部の人であろう。ニッポンは、身体に汗をする人たちに支えられているのに、ああそれなのに、そんな人を、ないがしろにするような国にどうしてなったの?
 それに、ジャイアンツどうして負けるの? 
 私、新聞のスポーツ欄をしみじみ読みたい。

新しい恋

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 秋。
 スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋、食欲の秋、天高く女肥える ・・・ ン? 失礼、天高く馬肥えるの秋、紅葉の秋、一日千秋の思いの秋、台風の秋、秋の七草の秋、物言えば唇寒しの秋、秋刀魚の秋、男心と秋の ・・・ ン? 訂正、女心と秋の空の秋、薄野の秋、芋堀りの秋、一葉落ちて天下の秋を知るの秋、落葉の秋、秋茄子は嫁に食わすなの秋、紅葉狩りの秋、秋桜の秋、そして失恋の秋。  
 あなたの秋はどれですか。

      手紙        川崎洋

   もしも
   愛と言う言葉がなかったら
   もしも
   好きと言う言葉がなかったら
   世界は
   どんなに寂しいだろう

   でも
   悲しみも
   嘆きも
   その分
   減るかもしれない

   きょう
   郵便受けが鳴って
   誰かへの
   一通の
   恋の終わりが届けられる

 でも、失恋したからといっても、愛があったことは真実なのですから・・・・。
 悲しみを封印して、街に出かけましょう。
 そして、井上陽水の新曲「新しい恋」にあるように
   
   新しい靴をはこう  新しい服を買って  
   新しい唄を      きっと 歌おう

   新しい人になろう  新しい夢を抱いて
   新しい花を      きっと 咲かせよう 
  
 そうすれば、あなたの愛する色を、また見つけることが出来るかもしれません。
 

 ※ 川崎洋ーー1930年生~2004年10月没。掲載した詩
は、1980年に出版された詩集「食物小屋」から。

 爽やかに 秋がきた。
 熱い夏は嫌いだし、冷たい冬はイヤだし、好きなのは春と秋である。春は華やかで、何かいいことありそうな気がする、心弾む季節。だけど、キラメキ年齢を卒業しヨレヨレ年齢に達している私にとって、言いたくはないけれどお似合いなのは、やはり秋。
 その秋の入り口の9月16日。私、とってもご機嫌!!!
 と、言うのは、北九州市を流れる紫川の川辺で開かれた「リバーサイドコンサート」に私の所属する合唱団「北九州を歌う会」が出演、團伊玖磨が作曲した合唱組曲「北九州」の中から8曲歌ったのである。
 この演奏会には、外に「爽ストリンングカルテット」と「ミュージックグループ紫音」が出演。そして、このコンサートの実行委員長は「ミュージックグループ紫音」を主宰するピアニスト谷口淑子さん。
 昔は「天は二物を与えず」と言って、美人だけれど頭が弱いというのが相場だったけれど、谷口淑子さんは華麗にしてダイナミックなピアノを弾くうえに、知的にしてかわいさいっぱい。おまけに、このコンサートを立ち上げるバイタリティの持ち主でもある。ゲネプロをはじめ、何度かの打ち合わせに来た時の彼女のテキパキした話し振りと立ち振る舞いに、魅せられてホレボレ。
 まさに天は二物どころか三物を与えたような女性である。
 彼女が率いる「ミュージックグループ紫音」は、ヴィブラホォンが岩崎雅子さん、マリンバが楢橋順子さん、パーカッションが椋尾奈穂さんとミーンナ美人の4人編成。
 ピアノと打楽器だけの演奏なんて、初めは「エ?」と思ったけれど、それがスッゴイ!!! 
 誰の編曲かは知らないけれど、最初に演奏されたド迫力のある「剣の舞」を聴いて、ビックリ、ウットリ、心ゆらめいて・・・・淑子さん。 
 私は、もともと美人に弱いうえに、その美人が演奏するんだから、見とれるやら聞き惚れるやら、タイヘンである。居眠りする暇などありゃしない。
 そして、最後は彼女たちの演奏で「ふるさと」を、会場の皆さんと一緒に大合唱。一体感に包まれて、心の音色も爽やかにコンサートはTHE END。

 そして、その日の夜、NHKBS放送で「スーパーライブ 井上陽水」が放映。8月19日に東京の昭和女子大学人見記念講堂で行われたライブを収録したものである。
 東京にある数多くのコンサートホールの中で、私の一番のお気に入りのホールは、この昭和女子大学人見記念講堂である。
 エ? 何? 「行くと、女子大生がいっぱいいるから、好きなんだろう」って?
 ウーン、それもある・・・てなことは、いくら心で思っていても、口に出して言わないことにしているから、そんなことはゼッタイない。ホントである。
 と、言うのは、ほかのコンサートホールは「それ見たことか」と豪華絢爛風を装っているけれど、このホールは、シンプルでお洒落な雰囲気がいっぱい。だから大好き。
 その大好きホールで大好き陽水のライブ。おまけに大好き楽曲がいっぱい流れて、もう大満足。「大好き」の字を続けて3つもある文章を書けるなんて、シ・ア・ワ・セ・・・・。
 秋の入り口の素敵あふれる9月16日でした。

 フンだ!!!
 冥王星ことプルートが惑星でなくなるなんて、そんなアホなことってある?
 火星とか水星とか木星とか金星とか土星とか、カレンダーじゃあるまいし、味もそっけもない名前の中で冥王星って、言葉の響きもいいし夢のある名前なのに、ホント、惑星でなくなるなんて、私は怒り狂っている!!!
 朝日新聞によれば、8月24日の夜、国際天文学連合が定めた新しい定義による「8つの惑星」のリストが「学者の国会」とも言うべき日本学術会議から、報道資料としてファクスで送られてきたそうである。
 それによると、なんとうれしいことには、8つの惑星とは「彗星・近世・地球・化成・木製・土製・天皇制・海王星」となっていたそうである。
 冥王星が消された代わりに、残りの惑星の名前も変更しますと言うのなら分かる。だけど、発信元の国立天文台も、それをコピー・ペーストしてファクスで送った日本学術会議も、入力の変換ミスではない、だけど、どうしてこういう間違った表示になったのか分からないと言っているそうである。
 フンだ。分からないなんてソラゾラしいことを言っているけれど、これって、はじき飛ばされた冥王星が、怒り狂ってトンデモハップンプンと呪文を唱えて変えたに違いないのである。
 国際天文学連合が定めた惑星の新しい定義は、太陽の周りを回っていること、自分の重力で丸い形を保っていること、それと自分の軌道の近くに他の天体がないことの3つらしいが、冥王星は3つ目の条件を満たしていないそうである。
 冥王星が発見されたのは1930年。76年間惑星と認めておりながら、新しい基準を設けたからダメだなんて、それは天下の暴論、ン? 訂正、宇宙の暴論である。
 だって、分かり易く言えば、
「明治時代の美人は、今の基準から言えば美人とは言えないので、明治時代にさかのぼって美人でなかったことにする」ってことと同じでしょ。それって、いくらなんでも明治時代の美人に失礼じゃない?
 それゃあ
「若い頃は“ミス素敵”だったけれど、シワクチャおばあちゃんになったので、今は”ミス素敵”とは言えません」と言うのなら分かる。これと同じように
「冥王星が縮んで変形したから、惑星ではなくなった」と言うのであれば、これも納得出来る。だけど、冥王星は、今も昔も変わっていないのである。だから
「惑星の新しい基準を決めたので、新しい星が発見されたら、今後はこの基準で惑星かどうか判断します」と言うべきであろう。タイムマシンでも、過去を変えることはご法度なのに、惑星の歴史を過去に遡って変えるってのは、宇宙の正義に反する。
 正義正義と言っても、地球の正義は「自称正義」が多くって、「?」と思うことが多いけれど、宇宙の正義にはインチキなどさらさらないのである。
 それに、である。これが一番大事なことであるが、太陽系の最先端にある冥王星は、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の敵の前線基地が置かれた由緒ある惑星である。
 それと、宇宙のはるか彼方のナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、地球を訪問する時の前進基地ともなるはずである。もし、冥王星が惑星でないことがバレたら、チチンプイプイ星人がバッカにして、タチションベンなどするやもしれぬ。その意味からも、冥王星は絶対に惑星であらねばならぬ。
 それに、かてて加えて、我が愛する手塚治虫の「地上最大のロボット」をリメイクした浦沢直樹の漫画が「プルート」。プルートといえば冥王星の英語名。
 浦沢直樹の「プルート」の単行本は3巻まで出ているけれど、私と同じように、怒り狂った浦沢直樹が
「本家のプルートが惑星でなくなりましたので、連載止めます」なんて、ヤケクソになるのではないかと心配で心配で・・・・・。
 エ? 何? 浦沢直樹は、ソーハチさんのようにアホじゃないから、大丈夫だって?
 ちがう! 違う!! アホなのは、夢のない地球の天文学者だって!!! ホント、分かっていないんだから・・・・。

 私の好きな“さだまさし”が毎年8月6日に長崎で開いていたコンサート『夏 長崎から さだまさし』が、20回目となる今年、最終回を迎えることになった。
 ウーン、残念!!!
 このコンサートは、広島に原爆が落とされた8月6日に
「1年に1度は平和について考えてもいいんじゃない」と、平和を祈ってさだまさしが長崎の稲佐山の野外ステージで、1987年から入場料無料で開いていたものである。
 この20年間で、全国から約50万人を動員したこのコンサートを、どういう理由で止めるようにしたのか知らないが、さだまさしが伝えようとしたメッセージは、コンサートに来た人たちには届いているのかもしれないけれど、それだけで終わっているのではないか、というもどかしさを感じたのかもしれない。
 それとも、誰もが「戦争反対、平和賛成」と唱え「戦争賛成、平和反対」と主張する人はいないというのに、この地球という星のどこかで、絶え間なく戦争や内乱やテロが起こり、コンサートを始めた20年前よりも悪くなっているという現実に、むなしさを感じたのかもしれない。
 このコンサートの模様は、毎年TVで放映されているのを見ているものの、とっくの昔のそのまた昔に、夢見る頃を卒業してしまった私は、稲佐山のコンサートには行ったことがない。
 でも、今年、最後のコンサートということならば・・・と思ったものの、今年の夏はアツくってあつくって暑くって熱くってアーーーーーーーツくって、とてもじやないが、外に出るとヨレヨレになりそうなので、断念することにした。
 さだまさしのコンサートには4~5回しか行ったことがないので、稲佐山に20回も通ったファンからみれば、ファンとは言えないのかも知れないが、私のファン暦は長いのである。
 最初聴いたのは、今から25年前。当時高校生だった長男がよく聴いていたレコードが、さだまさしと中島みゆき。
 子供が、親の聴いている歌に影響されて・・・という話はよく聞く話であるが、我が家は反対で、子供が聴く歌に影響されて、親の私がファンになってしまった。長男は、さっさと、さだまさしと中島みゆきを卒業してロックにはまってしまったが、落ちこぼれ常習犯の私は卒業できず、依然としてさだまさしと中島みゆきのファンのままでいる。
 今年はファイナルコンサートとあって、全国から約3万人も集まったそうで、8月27日NHKTVでその模様が放映された。
 その中で、ゲストとして出演した大竹しのぶが涙を浮かべながら「ありがとう」と挨拶した姿がとっても印象的で、私も胸が熱くなってしまった。
 そして、さだまさしは
「みなさんの胸に20年間、種をまいてきた。これからは、皆さんが、この会場を埋め尽くすような沢山の花を咲かせください。そして、あなたの大切な人の笑顔を守るために、何が出来るか分かったら、自分の力を使って“動いてくさい”」と言ってコンサートを終えた。
 さだまさしの歌を聴き続けて25年、私の好きな歌も、年を経るごとに変わってきたが、老朽化して情緒過剰となってくると、好きな歌は『防人の歌』とか『道化師のソネット』に変わってしまった。さだまさしの歌の根底にある“やさしさ”が伝わってくるこの歌に、私の心は涙してしまう。
 作家辻邦生は
『先日、久々で「防人の歌」を聞き、魂が星空にのぼっていくような気持ちを味わった。それは、たしかに悲しみの感情に違いなかったが、試験に落ちたり、友達と喧嘩したり、財布をとられたりする悲しみではなく、もっと深い人間がこの世に在ることから生まれる悲しみなのだった』と書いているが、人生の残り時間のカウントダウンが始まった今、私もこの歌の持つ悲しみが分かるような気がする。
 

    防人の歌    作詞・作曲 さだまさし

おしえてください この世に生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば
 海は死にますか 山は死にますか
 風はどうですか 空もそうですか おしえてください

私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく 抱いた悲しみについて
 生きる悲しみと 老いてゆく悲しみと
 病の苦しみと 死にゆく悲しみと 現在の自分と

答えてください この世のありとあらゆるものの
すべての生命に 約束があるのなら
 春は死にますか 秋は死にますか
 夏が去る様に 冬が来る様に みんな逝くのですか

わずかな生命の きらめきを信じていいですか
言葉で見えない 望みといったものを
 去る人があれば 来る人もあって
 欠けてゆく月も やがて満ちて来る なりわいの中で

おしえてください この世の生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば
 海は死にますか 山は死にますか
 春は死にますか 秋は死にますか
 愛は死にますか 心は死にますか
 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか

 海は死にますか 山は死にますか
 春は死にますか 秋は死にますか
 愛は死にますか 心は死にますか
 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか

 私が一番きれいだったとき         茨木 のり子

 私が一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 私が一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

 私が一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 私が一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 私が一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争に負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
 
 私が一番きれいだったとき
 ラジオからジャズが溢れた
 禁煙を破った時のようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 私が一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
                    ね

※ 茨木のり子・・・・1926年~2006年  標題の詩は1958年発刊詩集「見えない配達夫」から

ああ 雨情

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 ようやく、ながーーーくって、つらーーーい梅雨が終わった。
 全国あちこちで被害が続出。その地区の長老が異口同音に
「こんな水害は生まれて初めて・・・」と絶句。被害に合われた方々の絶望感を思うと、心が痛む。
 しかし、ここ数年というもの、雨や雪や台風の被害が、毎年大きくなっていくようである。
 かって、雨は「しとしと・・・」と、雪は「しんしん・・・」と音もなく降っていたものである。ところが、いまや雨は「バシャバシャ!!!」と、雪は「ドカドカ!!!」と情け容赦なく降るようになってしまった。
 そして、詩人 八木重吉が書いた詩「雨」のように、静寂でいて心がきらめくような世界は、幻となりつつある。
   
    雨がふってゐる
    雨がふってゐるけれど
    すこしもきこえない

    雨はみえるきりだ
    雨をみゐると
    こころが かがやいてくる
 
 また、1953年に上映されたミュージカル映画の傑作「雨に唄えば」で、ジーン・ケリーが雨の中を傘をさして踊りながら唄った主題歌「Singin’the Rain」のように

    雨に唄えば
    弾む心 よみがえる幸せ
    黒い雲に笑いかければ
    心には太陽 愛が芽生える

 と、雨に歌い踊って、心華やかになっていた時代もあったのである。
 ところが、時代は進み、科学の進歩に比例して、自然もそれに抵抗するために進化し、今や、雨は獰猛に人間に襲いかかるようになってしまった。
 地球が誕生したのは46億年前。この46億年前から現在までを1年と考えて作られた地球カレンダーを見ると、恐竜が出現したのが約2億5000年前、地球カレンダーでいうと12月13日頃。現生人類といえるホモ・サビエンスの出現が12月31日23時37分頃ということで、人類が誕生して、まだ、たったの23分しかたっていないのである。
 地球が、46億年という途方もない年月をかけて営々と築き上げた資源や自然を、地球カレンダーで言えばたったの23分で、人類は浪費し破壊しつつあるのである。
 だから、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人から
「宇宙の貴重な星・地球を、自ら住めなくなるようにしているヒト科の生物は、なんたるアホ!!! 生かしてはおけぬ」と啖呵をきられても、致し方ないかもしれぬ。 
 だけど、時計の針を巻き戻すことは不可能だから、今から出来るのは、地球が悪化していくスピードを遅くする位であろう。
 しかし、人間が、なんとか地球と折り合いをつけて生き永らえたとしても、太陽はあと50億年後・・・地球カレンダーで言えば、あと1年後にはその命を終えるそうである。そして、残念ながら、地球も今から早くて10億年後・・・地球カレンダーで言えば、あと3ヶ月後には、太陽の温度が上がり人間が住めなくなるそうである。
 そうなりゃ、大変である。しかし、その頃は、カシコイ地球人のことだから、アカチパラチー星雲のスカンピン星にでも引っ越すことになるであろう。
 しかし、地球人全員を引越しさせるのは難しいだろうから、当然、人選しなければならぬ。そうなると、コンピューターで無作為に選ぶといっても、アタマのいいハッカーが出てきて、自分が選ばれるようにインチキするだろうから、公平を期するために、インチキが絶対に出来ないようにジャンケンの勝ち抜き戦か、アミダ籤で選ぶことになるに違いない。
 しかし、私は勝負事に弱いから、ジャンケンの勝ち抜き戦には負けるような気がしてならない。そうかと言って、クジ運も悪いから、アミダ籤にも当たらないかもしれない。そうなると、ホント、心配で、心配で・・・・・・。
 エッ? 何? お前はその頃は死んでいるのだから、何も心配することはないだろうって?
 ウーン、そうか、3ヶ月後というのは地球カレンダーで、実際は10億年後か・・・。そう言われれば、生きている訳ないよな。ウン、心配しなくってもいいんだ。ヤレヤレ・・・・。

※ 八木重吉 ーー 1898年~1927年。「雨」は詩稿「木と ものの音」に掲載された。

 私 スポーツ音痴だけれど、それでも出来る運動がある。それは歩くこと。
 それで、趣味は一応登山ということになっており、九州から東京に単身赴任していた現役時代は「目黒ハイキングクラブ」という山岳会に入会していた。
 このクラブは、1974年に設立されたという名門のクラブだが、各人のレベルに合わせて毎月いくつものコースが用意されていたので、私は、もっぱらレベルの低い山行の方に参加、シコシコとアッチコッチの関東近郊の山に登っていたものである。
 ここで念の為にお断りするが、レベルの高い山行は、むくつけき山男がいっぱい、低い山行は女性がいっぱい参加するはずだから、きっとイイことありそうな・・・という下心付きで低いレベルの山行を選んだわけではない。あくまでも、スポーツ音痴にふさわしい山行を選んだだけである。
 そして、アアしたりコウしたりして楽しい山行 ・・・ ン? 訂正、スポーツ精神に徹して山行を行い、60歳の定年を迎え「亭主元気で留守がいい」をモットーとするうちのかみさんの元にオソルおそる・・・ではなく、ニコニコと戻ってきたのである。
 そして、どこかのクラブに入会しようかと思ったものだが、うちのかみさんに
「あなたって、もうトシ。他人から見れば立派な年寄り。山に登るのは止して、歩こう会の方がピッタりよ」と言われてしまった。
 私、年寄りの自覚症状に欠けているものの、うちのかみさんに逆らえば、老後の平和が脅かされる恐れがあるので、ウン、そうする、そうすると答えてしまった。
 ここで念の為にお断りするが、うちのかみさんの言いつけに従ったふりをして、ホントのところは、山岳会と違って歩こう会ならば、若い女性がいっぱいて、きっとイイことありそうな・・・という下心付きで選んだ訳ではない。そんなことは、さらさら考えたこともない。誤解してもらっては困る。
 そこで、九州に帰ってから嘱託となって就職した職場の歩こう会に加わり、女性が多いのでニヤニヤ・・・なんて、どうでもいいことは、うちのかみさんに言う必要もないので話さなかったけれど、歩くコースには、いつも500m前後の山行がセットされていたので、ささやかな登山気分を味わったものである。
 そして、その職場でも嘱託定年を迎え、歩くのにエンが切れていたが、去る5月に「小倉歩こう会」に入会したらと勧められたのである。この「小倉歩こう会」は、今年創立45周年を迎えるという由緒ある会だが、入会したところ、約100名のメンバーの内、2/3は女性だけれど、ナント、現美人はちらほら、前美人、元美人、旧美人がいっぱい。
 でも、前美人、元美人、旧美人といっても、イタリアの諺にあるように
『20代の女はアフリカだ。どこもかしこも熱い。30代の女はインドだ。神秘な謎がいたる所にある。40代の女はアメリカだ。テクニシャン。50代の女はヨーロッパだ。いたる所に廃墟がある。60代の女はシベリアだ。ある所は知っているけど、だれもそこには行きたがらない』なんて思ったことはまったくない。ホントである。
 ン? 何? 「それってセクハラじゃないか」って? でも、これは私が言っているのではなくてイタリアの諺。 私は、そんな失礼なこと、思っていても言う訳ない・・・ではなくって、思ったりする訳ないでしょ。
 「だったら、書かなきゃいいでしょ」って・・・。ウーン、そうか。ここで、女性のヒンシュクをかったらコワイので、本文中に書いてある『20代の女はアフリカだ。どこもかしこも熱い。30代の女はインドだ。神秘な謎がいたる所にある。40代の女はアメリカだ。テクニシャン。50代の女はヨーロッパだ。いたる所に廃墟がある。60代の女はシベリアだ。ある所は知っているけど、だれもそこには行きたがらない』という所は、削除することにしよう。
 エ? 何? 「そんなにしっつこく、大きく書くな」って? だって、はっきり書かないと、削除する箇所が分らなくって困るでしょ。ホント、女性の機嫌をとるのもタイヘンなんだから!!!
 でも、ホントのところピチピチプリンの女性を見ると、眩しくきらめいて溜息、それなりの年齢を重ねた女性を見ると、成熟した美しさにうっとりと、年齢に関係なく見とれてしまう。おまけに、老いも若きも、元気いっぱい!!!
 女性ってイイですね。それに比べると,我ら男性は、オジサンになったらオシマイ。ダメ親父とかバカ親父とかスケベ親父とかハゲ親父とか脂テカテカ親父とかデバカメ親父とかデブ親父とか言われた挙句、行き着く先はヌレ落ち葉。とにもかくにもロクな呼び方しかされない。これって、男に対するセクハラじゃないの? ホント不公平!!!
 今度、生まれ変わってくる時は、女になるとしよう。

 世間はサッカー一色。いや訂正、サッカー万色。
 私は、生粋のスポーツ音痴なので、するのは勿論見るのも苦手である。だから、TVのスポーツ中継で見るのは、ジャイアンツが勝っている試合だけ。サッカーにしろマラソンにしろゴルフにしろ、その他もろもろのスポーツの試合は見たことがない。
 大体、サッカーはウロウロ、アッチコッチ走り廻って忙しいことこのうえもない。アッチでウロチョロしていると思ったら、アッという間に、コッチに来て、アレヨアレヨという間にボールが入ってしまう。チットも目が離なせないので、油断も隙も出来ない。私は油断も隙もある人間なので、とてもじゃないがサッカーは体質的に合う訳がない。
 それに、TVなどで作戦がどうのこうのと言っているが、試合が始まったら、作戦なんて考える暇もありやしない。選手のその瞬間、瞬間の判断力・瞬発力が、試合を左右しているのではないかと思われる。それに比べると、野球は監督の作戦が大いに試合を左右する。我々もエラそうな顔をして、アアでもないけどコウでもないとヘ理屈をこねて、監督の真似事さえできる。
 そう考えると、野球はサッカーと違って、なんでも有りの余裕のスポーツである。チョット目を離しても、試合の流れは分かる。だから、何かほかの事をしながら試合を見ることができる。まして、敵が打つ順番の時は、うまくいっても0点、下手すれば敵に点が入るので、そういうイヤなシーンは見たくない。だから、オシッコに行ったり、新聞を読んだりして、有意義に時を過ごすことが出来る。
 余裕のない人生を生きているのだから、せめて、スポーツ鑑賞位は余裕のある見方をしたいものである。と、まあ、私はかくも高尚な哲学を有しているけれど、年はとってもミイハー。世間の話題にヒケをとらないように、ニッポンが出る時のワールドカップだけは見ることにしている。
 私は、サッカーのルールは敵の陣地にボールを入れたら勝ちということぐらいしか知らない。しかし、あまり大きな声で言いたくはないが、私は、ニッポンは、負けてもともと、勝てばラッキイと思っているのである。
 だって、なんたって、ヨーロッパ人や、アフリカ人、南米人は肉食人種である。アジヤ人は草食人種。ナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、ニッポンの選手にチチンプイプイと呪文を唱えて、スーパーマンの爪の垢を煎じて飲ませてくれるならともかく、彼らの身体・体力・スタミナ・スピード・瞬発力にかなう訳がない。
 それに、ワールドカップが始まったのは1930年。サッカー協会の川渕会長が
「1960年にドイツのスポーツ学校に行ったら、芝のグランドが8面もあって、子供が玉を蹴っていた。ジャイアンツの多摩川グランドさえ土のグランドだった時代なので、すごくショックを受けた」と書いているように、ヨーロッパ人は、スポーツと言えばサッカー。子供の頃からズーッと、づーっと、サッカーまみれになっていると言っても過言ではない。
 ニッポンでJリーグが始まり、サッカーが認知され始めたのは1993年。なんと60年あまりのハンデイがある。この60年という歳月はづっしりと重く大きく、なかなか取り返しがつかないのも当然といえよう。
 そんな訳で、我がニッポンは、負けてもともとなのである。そして、ヨーロッパ人が、我がニッポンのことを相撲と野球の国、世界に冠たるサッカー後進国と思っているのも当然であろう。
 だけど、『愛国心』論争なんてカタイ話はさしおいて、「ニッポン頑張れ、ニッポン頑張れ」と、ニッポン国中一丸となって盛り上がるってことは素敵なことである。・・・ などと思って、試合には負けたけれど、
「マ、イイカ」とヤセ我慢して早く寝ましょうね。

 ホント、イギリス国防省という役所って、まったくアホじゃないかと思う。
 と、云うのは、BBCの報道によると、イギリス国防省が、先月未に未確認飛行物体(UFO)に関するエンエン400頁にわたる報告書を公表したそうである。
 この“Secret:UK Eyes Only”というスタンプが押されている機密書類によると、なんと『空とぶ円盤が存在する証拠はない』というものである。
 イギリスで目撃された4年間にわたるUFOの情報を検証したところ、空中に現れる異常現象は大気現象や電磁的影響、流星群による影響によるものであり
『自然現象以外の、何者かにコントロ-ルされていると考えられるものはない』と結論づけているのである。
 まして、宇宙人やUFOと接近遭遇したという証言については、プラズマなどが人間の脳に与えた影響によるものであり、宇宙人などいる訳がないと云っているらしい。
 フーンだ。私は、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲に、私の名前の荘八にちなんだタコの八ちゃん風の八本足のチチンプイプイ星人がいると信じている。大体「ない」ことを証明するのは、いわゆる「悪魔の証明」といわれるほど、きわめて難しいのに、よくも簡単に
『UFOは存在しない』なんて、言えたものである。
 かの有名な物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士が、講演会で
「宇宙に地球ほどの進んだ文明を持つ惑星は幾つぐらいあるだろうか」という質問に対し、迷うことなく
「200万ほどの惑星がある」と断言し、さらに
「そんなにあるのだったら、他の惑星の宇宙船が地球に来ているはずではないか」という質問がなされたが、これに対しホーキング博士は
「地球ほどの文明を持ってしまうと、その惑星は自ら正当な正当な循環を狂わせ、環境を破壊しつくしてしまう。そして、文明の主体者である生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたし滅亡してしまう。だから、地球もその惑星も、宇宙の時間の総体に比べれば、ほとんど瞬間的にしか存在していないことになるので、瞬間的にしか存在していない惑星同士が、コンタクトできる可能性はゼロに近い」と答えたそうである。
 そう、ちゃんと、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲にチチンプイプイ星人は存在しており、そしてゼロに近い確率で地球を訪問しているのである。なにしろ、はるか彼方の宇宙からUFOに乗ってくるくらいだから、地球星人からは、想像も出来ないような科学を持っている。そして、大気現象や電磁的な影響、流星群による影響と勘違いさせるようにUFOをカモフラージュさせて、地球を訪れているのである。
 ああ、それなのに、それなのに、そんな簡単なことも分からないイギリス国防省って、バッカじゃなかろうか。
 だから、チチンプイプイ星人が地球を訪問する度に
「地球に生息しているヒト科の生物ってどうもアホみたい。あいも変わらず、同じ種族同士で殺し合いはしているし、この星の貴重な資源は使いっぱなし、環境も破壊しっぱなし。この分でいくと、ヒト科の生物のために、他の生物も絶滅させられることになるから、我々が乗り込んで、悪の根源たるヒト科の生物を駆逐し、ヒト科以外の生物や植物を絶滅から救うようにしよう」と、思っているなんて考えてもいないのであろう。
 ホント、ヒト科の生物って楽天家なんだ。きっと。絶滅する運命にあるというのに・・・・。

 6月はジューンブライド。
 6月に結婚するあつあつのカップルに、そして、もうすぐ結婚しようかなと考えているときめきのカップルに、それから、いい人いたら・・・と結婚を夢見る可憐なシングルに、はたまた、幸せ賞味期限を過ぎて7年目の浮気をしているドキドキのカップルに、それと、老後は自由とほくそ笑んで熟年離婚を目論んでいる恐怖のカップルに、次の詩を捧げます。


    祝婚歌    吉野 弘

 二人で睦ましくいる為には、愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは、長持ちしないことだと、
 気づいているほうがいい。
 完璧を目指さないほうがいい。
 完璧なんて不自然なことだと、
 うそぶいているほうがいい。
 二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい。
 ずっこけているほうがいい。
 互いに非難することがあっても非難できる資格が
 自分にあったかどうか後で疑わしくなるほうがいい。
 正しいことを言うときは、少し控えめにするほうがいい。
 正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと
 気づいているほうがいい。
 立派でありたいとか、正しくありたいとかいう
 無理な緊張には、色目を使わず、ゆったりゆたかに
 光を浴びているほうがいい。
 健康で風に吹かれながら、
 生きていることの懐かしさに、ふと、胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして、なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても、二人にはわかるのであってほしい。

 
 そうなんです。アメリカのミステリー作家ラリー・バインハートも『最後に笑うのは誰だ』という本の中でこう書いています。
 「(女房の)マリー・ロールは俺が風呂と、アスピリンと、眠ることと、かしずかれることにしか興味がない、と言って非難した。つんけんしている彼女に腹を立てた俺も気に食わなかった。要するに何もかも気に入らなかったわけだが、これで俺たちも恋人同士から本物の夫婦になれたようなものだ」と・・・。

  

 5月5日22時からNHKのBS放送「フォークの達人」にフォークの元祖ともいえる小室等が出演した。ゲストで懐かしの「六文銭」のメンバーである及川恒平と四角桂子も出演。3人で昔の雰囲気そのままに「面影橋から」など歌って、もう、気分は30年前にタイムスリップ。年はとっても心は昔のままで、すっかりオドロキ。
 最後に、詩人谷川俊太郎の息子でジャズピアニストである谷川賢作が出てきた。小室等は、若いころから、谷川俊太郎や、作曲家武満徹、役者の唐十郎たちと仲が良かったらしく、谷川俊太郎の詩に武満徹が曲をつけ小室等が歌ったり、唐十郎の芝居の音楽を小室等が作曲したりする間柄のようである。
 そういう関係もあって、谷川俊太郎の息子である賢作の演奏で、小室等が歌うこともあるらしいが、ジャズピアノとフォークって、異質の取り合わせと思はれるかもしれないけれど、これが、なんとピタリ。
 昨年の11月に、やはりNHKBS放送で「井上陽水 空想ハイウエイACTⅣ Duet」が放映されたが、この番組で、陽水がギターの押尾コータロー、ジャズピアノの山下洋輔、ウクレレのジェイク・シマブクロ、ペタルスティールの高田漣、サックスの菊池成孔といった一流のミュージシャンの演奏でそれぞれ2曲ずつ歌ったことがある。
 演奏家と歌手の1対1の対決と思ったところが、それが大違い。お互いに相手の領域を犯すことなく、しかし、自分の持分を譲ることもなく共鳴しあって、あの独特な陽水の世界に、新天地が切り開かれた気がしたものである。
 その時、一番ハマッタような気がしたのがジャズピアノの山下洋輔。私がジャズが好きなせいかもしれないが、ニューミュージックにジャズピアノが似合うと、その時、認識を新たにしたものである。
 そして、思ったとおり、この日の小室等&賢作の演奏もホレボレ。「だれかが風のなかで」とか「おまえが死んだあとで」など数曲を、賢作のジャズタッチのピアノで小室等が歌ったが、これが良かった!!!
 このとき歌った「おまえが死んだあとで」は、谷川俊太郎が、30年前のベトナム戦争のころに作った反戦詩に、小室等が勝手に曲をつけて歌ったものであるが、今のこのイヤな時代に触発されて、谷川俊太郎が新たな反戦歌を作ったそうである。
 その詩に、また、小室等が曲をつけて弾き語りで歌いだした曲が、この番組でも賢作の演奏で歌われた。曲名は「おしっこ」
 だけど、オシッコといえば、私が悪戦苦闘している憎くき相手である。
 なししろ、老朽化が進んでいる私にとって、おしっこが近くなった。特に、私の大好きなコオヒイなど飲むとすぐオシッコに行きたくなる。折角のおいしいコオヒイがたちまちオシッコ化して出て行くなんてことは、生まれながらのケチである私にとって、こんな耐えられないことはない。
 それに、夜、夢の中で美人とアアしてコウしてアアなって、口をとんがらかしたその瞬間、オシッコに行きたくなって、目が覚めてしまうことがある。こんなアホなことって、ある?
 おまけに、オシッコするのに時間のかかること、おびただしい。人生の残り時間のカウントダウンが始まっているというのに、タラタラとチョロチョロと流れ出るオシッコに時間を浪費するなんて、こんな理不尽なことはない。
 それに、である。生殖器官のなれの果てから出るオシッコの描く放物線が、なんと短くなったこと!!! 今までの立ち位置からはオシッコが便器にとどかないので、便器の前に立ったら、兵隊さんのように
「一歩前進、捧げ銃(つつ)」と号令しなければならぬ。
 かくの如く、私はオシッコに悩まされ続けているというのに、谷川俊太郎は、なんとオシッコを反戦歌にしてしまった。私の「オシッコ」と谷川俊太郎の「おしっこ」とのなんたる違い!!! 
 谷川俊太郎は天才である。
 
     おしっこ     詩  谷川俊太郎
               曲  小室等

    大統領がおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    戦争なんかしたくないんだ
    石油がたっぷりありさえすれば

    テロリストもおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    自爆なんかしたくないんだ
    恋人残して死にたくないもの
    
    兵隊さんもおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    殺すのっていやなもんだぜ
    殺されるのはもっといやなもんだが

    男の子もおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    マシンガンを撃ってみたいな
    きっと気持ちがすっきりするから

    武器商人がおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    銃がなければ平和が守れぬ
    金がなければ自由も買えぬ

    道で野良犬おしっこしている
    おしっこしながら考えている
    敵もいなけりゃ味方もいない
    ただの命を生きているだけ

 ウーン、私も、私の「オシッコ」を「おしっこ」に昇格させることにしよう。
   
    荘八さんもおしっこしている
    おしっこしながら考えている
    生殖器官のなれの果て
    元に戻らなきゃつまんない

なんと、切実感あふれる詩!!! どう? 感動した?

5月の別れ

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 5月。そして待ちに待ったゴールデンウイーク。そして、今年、2日休んだらなんと9連休・・・なんて言える人はシアワセ。
 サービス業や休むことが出来ない会社に勤めている人にとっては、所詮ブルーなウイークになってしまうけれど、働きたくっても毎日が日曜日の人のことを思えば、それでもシアワセ。
 でも、暇もお金もないけれど、緑が目が覚めるように美しい季節だからと、5月の風に染められて心薫らせ、ときめき感じる人はすっごくシアワセ。
 そう、5月はみんなシアワセになれる季節。
 だから、別れというフシアワセなことがあっても、5月の別れは、秋と違ってメソメソしない。私の好きな井上陽水の『5月の別れ』の歌のように、爽やかに心ゆらめいて、想いをはぐくむことができる。
 
   風の言葉に諭されながら
   別れゆくふたりが5月を歩く
   木々の若葉は強がりだから
   風の行く流れに逆らうばかり

   鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
   残された青空が夢をひとつだけ
   あなたに叶えてくれる

   いつか遊びに行きたいなんて
   微笑を浮かべて5月の別れ
   月と鏡はおにあいだから
   それぞれにあこがれ夜空をながめ
   
   星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて
   眠りから醒めながら夢をひとつだけ
   あなたに叶えてくれる
   
   果てしなく星達が訳もなく流れ去り
   愛された思い出に夢をひとつだけ
   あなたに残してくれる

 このイメージあふれる素敵な詞と5月の風を感じさせる爽やかなメロデイ。
 この曲を聴くと、こんな素敵な別れをしたいと思うけれど、残念ながら先立つ人がいない。
 そこで、「別れを惜しむための恋人」募集!!! ウーン、これってちょっぴり変?
 じゃあ、「別れを惜しむフリだけする恋人」募集!!! どう? これもダメ?
 エエィ、では、ここはボカシて「とにもかくにも恋人」募集!!!
 エ? 何? 「イイ年をして、アホなことを云うな」って・・・。
 チェッ、それを云っちゃあ、おしまいよ。
 フンだ、恋に定年はないのですから。

気分は最高

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 今年、私は春から機嫌がいい。なんたって、我が愛するジャイアンツは第1位!!! 
 開幕カード4試合連続勝ち越しなんて大快挙は、1971年以来35年ぶり。これがウハウハと有頂天にならずにいらりょうか。
 私は、生まれながらのスポーツ音痴だから、スポーツは、するのも見るのも苦手だけれど、何故か生まれながら純粋のジャイアンツファンなので、プロ野球、それもジャイアンツの試合だけは見る。
 それも、TVのスイッチを入れた時、ジャイアンツが勝っている時だけ見る。途中で同点になったら、たちまちスイッチ・オフ。でも、気になるから、15分おき位にスイッチを入れて逆転していたら、また見始める。忙しいたらありゃしないが、おかげでさまで、ジャイアンツの負けた試合など見たことがない。
 無論負けた時は、TVのスポーツニュースなども見ないし、翌日の新聞のスポーツ欄も見る訳がない。だから、いつも「ゴーゴー ジャイアンツ」、常勝ジャイアンツである。
 エ? 何? 負けていないのなら、どうして優勝しないのかって? 
 エーット、1+1=2にならないのが人生のおもしろいところである。そういう些細なことは詮索しない方がいい。ウン、人生なんて説明のつかないことばかりでしょ。
 ところで、ジャイアンツが勝った時は、TVのスポーツニュースを3本ハシゴして見て、スヤスヤのスヤと眠り、翌日はスカッと爽やか、ご機嫌で出勤する。
 でも、勝っている試合でも、1・2点差の試合だと逆転されるのではないかと、ハラドキ心配でならない。精神衛生上よろしくない。クロウト筋は、7対6位の試合が面白いと言っているが、とんでもない話である。私にとって、10対0ぐらいの試合が、はなはだ痛快、面白い試合となる。
 ジャイアンツ以外で私が好きなチームは、無論ジャイアンツに負けこしているチーム。嫌いなチームはジャイアンツに勝ったチーム。だから、嫌いなチームは日替わりで変わる。
 現役の頃 毎日オフイスにヤクルトを売りに来る可愛い女の子がいたが、ジャイアンツがヤクルトに負けた時は、いくらニッコリ笑って「モリさん、気にしない気にしない。ジャイアンツ今度勝つわよ」とお世辞を言っても、絶対に買わない。
 しかし、ジャイアンツが勝った時は無論買う。バカ勝ちした時は、バカ高いヨーグルトなど買い、僅少差で勝ったときはヤクルト1本だけ買う。私はスジを通す男でもあるが、ケチでもある。ヤクルトはどうせ負けるのであれば、営業政策上、バカ負けした方が得策であろう。
 阪神や中日などに負けたときは、何かカタキを取りたいが、ヤクルトと違ってカタキを取るものがない。仕方ないから、住まいが九州なので、東の方に足を向けて寝て、寝ぼけながら蹴飛ばそうと思うけれど、我が家はベッドで、足の方は北向き。ベッドを動かす訳にもいかず、かえすがえすも残念である。 
 パリーグで私が嫌いなチ-ムは、西武である。1958年、日本シリーズでジャイアンツと西鉄が対戦。3試合連続してジャイアンツが勝ち、あと1勝で優勝というときに4連敗して負けてしまったことがある。そんなあってはならないことが起きて、以来、西鉄は恨み骨髄、ダイッ嫌いとなった。だから、その西鉄のなれの果てである西武は嫌いである。私は、こと、ジャイアンツに関してはシッツコク、とても執念深い。48年前の出来事とはいえ、時効などありえない。
 堀内監督就任以来、私は屈辱的な敗北よれよれの生活を送ってきたが、今年、初詣に行った時に引いたお御籤が、なんと大吉。それって、このことだったんだ。もう、気分は今期優勝!!!

 IT業界の異端児として知られるUSO800-NETWORKのホームペイジを覗いていたら、びっくりするようなニュースが掲載されていたので、その一部を紹介したい。
 なお、この情報の裏づけはUSO800-NETWARKUの記者しか、取れないということであり、その記者の名前は情報源保護の立場により、公表で出来ないとのことである。 
 
 ・ 小泉首相は、平成15年6月16日(日)に新国立劇場でオペラ「オテロ」を観劇した時に紹介された女性と昵懇になり、その後お互いに秘密裏に設けたE-mailで意思の疎通を図っていたが、このたび結婚することとなった。正式の婚約発表は、首相退陣の日。首相が続投しない理由の一つは、彼女の強い要請によるものである。

 ・ WBCで敗退したアメリカは、アメリカの威信にかけて、3年後の大会の優勝に向け、プロ野球の強化を図ることとなった。そのため、外国でプレーしているプロ野球選手は、希望すればその在籍している国から出場できるように野球協定を改定すると共に、3年間の内に、ニッポンの有力なプロ野球選手を大金を払って引き抜くことにした。無論、ニッポンの選手がアメリカのチームから出場すれば高額の報奨金が支払われることになるが、3年後、愛国心が勝つか、アメリカの金力が勝つか、今から興味を呼んでいる。
 
 ・ 厚生労働省は、80歳以上の元気な高齢者1000人を対象に、非公式にアンケートを取った結果、92.82%の人が、意識なく寝ったきり病人になった時や認知症になった時には、安楽死を望んでいることが判明した。厚生労働省は、この調査を踏まえ、医師の立会いの上、印鑑証明を付して本人及び二親等内の親族2人の押印をした「安楽死の同意書」を予め提出していた時は、意識なく寝ったきり病人になった時と認知症で末期症状になった時に限り、安楽死を認める法律を来年度に上程することになっている。

 ・ 日本相撲協会は、アメリカ合衆国出身の黒人から出されていた「力士検査」を受理すかどうか、慎重に検討していたが、肌の色で差別することは出来ないという結論に達した。この黒人は新弟子採用検査には合格すると思われているので、近く黒人の力士が誕生することになる。

 今日は4月1日、4月馬鹿の日。「私は生まれてこのかた、1度もウソをついたことがない」てなことを胸をはって正々堂々と言える素敵な日である。
 
 昔むかし、「うそつきは泥棒の始まり」と言ったものであるが、今や死語となり、これに代わって「ウソは方便」というのが大手を振ってまかり通る時代となった。
 「今夜も残業があってね・・・」というセリフは、今や慣例句となっているが、ここでジョークを一つ。

 小さな子が母親に聞いた。「おとぎ話って、“昔々”で始まるものなの」
 母親はちょっと肩をすくめてから考えた。
 「いいえ、今日は残業があってねえ、で始まることもあるのよ」

 これって、ウソのようなホントの話であるが、男はなるべく多くの子孫を残そうとして、たくさんの女に精子を注入したがる。女はなるべく丈夫な子孫を残そうと夫より強い男性と関係したがるそうである。
 したがって、一夫一婦制となっても、夫と妻の騙しあい、見破りあいは綿々と続き、そのテクニックは進歩してきているけれど、女の方が猜疑心が強いので、浮気を見破るのも、妻の方が多いそうである。そこで、もう一つジョーク。
 
 酒場で二人の男が話していた。
 「この間、珍しいものを見たぜ。ウソ発見機ってやつだ」
 相手は吐き出すように言った。
 「俺はそういう機械と結婚しているよ」

   ※ 引用したjジョ-クは、井坂清編「Jokes Are Spices For Life」から

 私の好きな詩人、茨木のり子さんが2月19日亡くなった。79歳だった。
 彼女の代表的な詩「自分の感受性くらい」は

      自分の感受性くらい
      自分で守れ
      ばかものよ

という言葉で終わっているが、私はこの詩を読んだとき、さびついた心をドカーンと殴られたような気がしたものである。でも、時すでに遅し。私の心のさびはパラパラとしか落ちず「反省だけなら猿でも出来る」で終わってしまった。
 詩人、大岡信は彼女の訃報を聞いて
「日本の女性詩人で一番スケールが大きく、姿勢がすっきりと立った詩を書いた人だった」と話したとおり、りんとして感性がはじけるような詩が多いけれど、やさしく愛を伝える詩も書いている。
  
 ところで、昨日は全国的に満月でホワイトデイ。本命チョコのお返しで、倍返しのチョコ・・・・・いや、心返しのチョコをもらいましたか。
 そんな「ヤッタァ!!!」と、幸せいっぱいのあなたに、彼女の詩をどうぞ・・・・。

           
     私のカメラ

     眼
     それはレンズ

     まばたき
     それは わたしの シャッター

     髪でかこまれた
     小さな 小さな 暗室もあって

     だから わたし
     カメラなんかぶらさげない

     ごぞんじ? わたしのなかに
     あなたのフィルムが沢山しまってあるのを

     木漏れ陽のしたで笑うあなた
     波を切る栗色の眩しいからだ

     煙草に火をつける 子供のように眠る
     蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

     世界にたったひとつ だあれも知らない
     わたしのフィルム・ライブラリイ

     ---1965年刊行 詩集「鎮魂歌」よりーーー

 1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言うけれど、アレヨあれよと時は駆け抜けてもう3月。
 私にとって3月はタイヘン忙しい時期である。まずなんたって花粉症。「目ン玉を穿りだす心意気」で目を掻かなきゃならないし、12月でもないのに「赤鼻のトナカイ」になるまでティシュを大量に消費して鼻をかまなければならないし、「ハスキイボイス×ハスキイボイス」になるくらいセキ&クシャミをしなきゃならぬ。
 おまけに、下心付のホワイトチョコも選ばなきゃいけないし、ビンボー人から税金を取ることはなかろうと、なけなしの金を取り戻すべく確定申告もしなければならないし、年度末なのでアレやこれや余計な仕事もしなけりゃならぬうえに、弾丸飛び交うドンパチ映画「アサルト13」や「ダイヤモンドィンパラダイス」を見てスカッと爽やかにならなければならないし、洋画専科なのにミイハーなので話題作の邦画「THE 有頂天ホテル」も見なきゃならないし、2ヶ月分も読まずにほったらかしにしてある月刊誌「ミステリマガジン」も少しは読まなきゃならないし、ホント忙しい。
 それにである。わが合唱団「北九州を歌う会」の毎年恒例の演奏会があるので、チケットも売らねばならぬ。
 この世の最高の贅沢は、ウン10万円也のオペラのチケットを買って、演奏会でグウグウ寝ることと言った人がいるが、わが合唱団の演奏会のチケットは、なんと格安で金2000円也。
「ウーン、最高の贅沢は味わえなくっても、2000円見当のささやかな贅沢が味わえたらいいさ」と、昨年、義理と人情にほだされてチケットを買ってくれたクラッシク音痴の友人がいたけれど、終わって
「ホント凄い、オーケストラだけでも音がデカイのに、何百人の歌がガンガン、おまけに祇園太鼓がドンドン。ありゃ、やかましっくって眠むるどころじゃなかった」と文句を言われた。
 でも、居眠りできずに最後まで聴いて
「クラッシクのコンサート、初めてだったけど、港の歌のところでは何故か目がウルウルした」と、うれしいお言葉。
 ウン、そうだ、今年も、あいつにチケットの押し売りをしよう。
 という訳で、そこで又もやコマーシャル。クラシック音痴の人でも感動するコンサートにどうぞ。演奏会の詳細は主催者(財)北九州市芸術文化振興財団のホームページ(http://www.kicpac.org/)をご覧あれ。なお、チケットの申し込みは私のメール(e-mail sohachi@morrie.biz)まで。
 
合唱組曲「北九州演奏会」

  日 時    3月12日(日) 開演15時
  場 所    九州厚生年金会館(ウェルシティ小倉)
  入場料    2000円

プログラム

第1部 「森野由み アリアを歌う」
  歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ(プッチーニ) 
  歌劇「ジャンニ・スキッチ」より私のいとしいお父様
     (プッチーニ)  
  歌劇「こうもり」よりチャールダッシュ 故郷の調べほか
     (J.シュトラウス) 
 
      指  揮  増井信貴
      ソプラノ  森野由み
      演  奏  九州交響楽団

第2部  合唱組曲「北九州」
           作詞/栗原 一登   作曲/團 伊玖磨

      指   揮  増井信貴
      演   奏  九州交響楽団
      合   唱  北九州を歌う会
      児童合唱  市内少年少女合唱団
      祇園太鼓  小倉祇園太鼓保存振興会

 2月12日の朝日新聞の日曜版beに日本男性は、世界的に見て「惚れやすい」性格だという調査結果が出ていた。
 恋愛小説を出版しているハーレクインが、世界22カ国の男女を対象に一目惚れについて調べたそうである。一目惚れの経験があると答えた日本の男性は68%。世界平均は54%で、1位は中国の73%、2位はメキシコで72%、3位がイタリヤと並んで日本だそうである。ちなみに最下位はアメリカで27%。 
 日本は68%と聞いて、惚れっぽくって振られっぽい私は、自分だけじゃないんだと、まずは一安心。
 私は、街角で歩いてくるすこぶる付きの美人を見ると、私の頭の中の恋ピューターがたちまち作動。彼女とああしてこうしてああなってと、瞬時に心はバラ色ピンク色。ヤッターと思ってすれ違った途端、振り返えって見ると、彼女も振り返って「ニッコリ」ーーなんてことはないんですな。
 スタスタと後姿を見せて歩き去り「ハイ、それまでよ」
 人生は短く、美人は多い。私の恋ピューターはフル回転で、忙しい限りである。
 ところで、日本男性が惚れっぽいのは「不釣合いな相手を、恋の相手と錯覚する自己認識の甘いタイプが多いから」ということらしい。
 フーン、だ。私、背は高からず高からず、メガネ付きで、おまけに髪の毛うっすらハゲ模様だもんね。これじゃ、彼女が振り返らないのも当たり前っていう訳? でも、数打ちゃ当たるって言うでしょ。回数では、他の誰よりもヒケを取らない自信があるから、コリずに頑張ろう。
 ところで、日本女性の一目惚れ経験者は48%で男性より低い。もし、バレンタインが、男性がプレゼントする方だったら、タイヘン。惚れっぽい男性が、下心をなびかせながら鼻の下をナガーーークしてチョコ売り場に押し寄せ、大混乱を引き起こしたに違いない。

 さて、昨日はバレンタイン。あなたの想い、届きましたか。

『餌はチョコ 社内の海に 竿を垂れ』とか
『チョコ選び 愛・義理・投資と 分別す』という余裕の女性もいるでしょうけど
『賞味期限 私のチョコも 崖っぷち』の人にとっては
『今年こそ ハート射止める 刺客チョコ』と勝負。そして、めでたく
『100人の チョコより彼女の チョコ一つ』と、ハッピイバレンタインになったらいいですね。でも、
『ハート型 作ってちょっと おじけづく』ような女性が 
『義理チョコと 好きな彼氏に 言うつらさ』となってしまっても
『義理チョコが 忘れられない 人となり』となることもあるのでしょうから、メゲずにがんばりましょう。

 でも、男性にとってもドキドキなんです。
『想定の 範囲を越えて 欲しいチョコ』なんだけど
『残業の 疲れを癒す チョコの箱』ですし
『この年で 義理でも幸せ チョコがくる』なんですから
『安いチョコ 義理でそのうえ 連名で』でもいいから、プレゼントしましょうね。
 だけど、私のようにたそがれ時の人間にとっては
『義理チョコの 数と髪の毛 またも減り』なんですね。
 ウーン なみだ涙のバレンタインなのです!!!

 上記の川柳はメリーチョコレートカムパニーが募集した「第9回バレンタインどきどき、ワクワク川柳傑作選」より引用した。作者は、選んだ川柳の上から順に
 女性/30歳/会社員/金沢市:女性/72歳/主婦/横浜市:女性/66歳/主婦/甲府市:男性/52歳/会社員/板橋区:女性/21歳/アルバイト/大船渡市:女性/20歳/学生/熊本市;男性/57歳/会社員/横浜市;女性/31歳/エステ/柳井市:男性/45歳/会社員/横浜市:男性/44歳/会社員/名古屋市:男性/72歳/無職/村上市:女性/53歳/主婦/名古屋市:男性/49歳/会社員/八街市

怒り狂ってーー

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 ホント、もうびっくり!!!
 私は、聴きに行ったコンサートや見に行った映画、読んだ本など手帳に書きこむことにしている。それで、昨年どんな映画を見たのだろうと頁を捲っていたら、3月5日に映画「ボーン・スプレマシー」とある。
 ン? どんな映画だった? 覚えていない!!!
 それで、あせって、昨年見た洋画をチェックしてみると、次の通り全部で21本。ところが、まったく覚えていない映画がゴロゴロいっぱい。 
 「マイ・ボディガード」「ターミナル」「オーシャンズ12」「ボーン・スプレマシー」「ナショナル・トレジャー」「Ray/レイ」「ハイド・アンド・シーク」「ザ・インタープリンター」「ミリオンダラー・ベイビイ」「ビヨンドtheシー」「ホステージ」「スター・ウオーズ エピソード3」「アイランド」「シン・シテイ」「ステルス」「エンパイヤ・オブ・ウルフ」「Mr&Mrsスミス」「キング・コング」
 ね、これってみんなカタカナ語の洋画のタイトル。これに比べて、日本語のタイトルの映画で見たのは「オペラ座の怪人」と「五線譜のラブレター」それに「宇宙戦争」の3本だけ。
 そりゃ、まあ、私の記憶力の賞味期限は切れているけれど、せめて映画のタイトルが日本語で、例えば「愛と青春の旅たち」とか「氷の微笑」とか「羊たちの沈黙」とかつけられていれば、どういう映画だったか思い出すことができる。
 まあ「マイ・ボディーガード」や「ターミナル」など、日本語化したカタカナ語のタイトルがついた映画は、なんとか思い出すことが出来るけれど、「ボーン・スプレマシー」か「ナショナル・トレジャー」て何だ!!!
 それが何? フンだ! ここはアメリカの51番目の州ではないのだから、日本語を使え!!!
 かくして、私が映画のストーリイを覚えていないのはカタカナ語のせいである、ということが判明して、ホント、一安心したもののーーーン? 何? お前は「うっすらアホ化症候群」にかかっていたんじゃないのか、って。ーーとんでもない、それとこれとは別問題である。
 だって、我がニッポンのソーリ大臣もホリエモンの選挙応援問題で「それとこれとは別問題」と答えているでしょ。それと同じである。ホント、わが国のソーリ大臣は頭がいい。ウン、これからは「困った時は別問題」で片付けることにしよう。なんと素敵なフレーズ。
 ところで、我が家には「20世紀シネマ館」全60巻という映画の写真集がある。そこで、カタカナ語に怒り狂った私は、この写真集でカタカナ語の占める割合を調べてみることにした。すると、もうビックリ。
  1025年~1980年ーー紹介されている映画245本中カタカナ語は46本(カタカナ語率11%)
  1981年~1990年ーー紹介されている映画 50本中カタカナ語は27本(カタカナ語率54%)
  1991年~2000年ーー紹介されている映画 50本中カタカナ語は38本(カタカナ語率76%)
 昨年、私の見た映画だけで言えば、カタカナ語率86%。
 それに、映画評論家の双葉十三郎が約9000本の映画の中から選んだ20世紀の究極の映画100本というのを見ても、カタカナ語は100本の内、たった13本だけで、後の98本は、分かり易いニホン語のタイトル。
 その13本のカタカナ語のタイトルは「シェーン」とか「アマデウス」とか「モロッコ」というように、名前や固有名詞をタイトルにしているのが多いので、見ただだけで内容が分かる。
 この21世紀に入ってのカタカナ語タイトルの氾濫は、字幕翻訳者がルーズなのか、宣伝マンがヤル気ないのか知らないけれど、昔は、タイトルを見ただけで行きたくなるような映画がいっぱいあったのである。
 ちなみに、私の好きなタイトルベスト10は「理由なき反抗」「死刑台のエレベーター」「愛と喝采の日々」「明日に向かって撃て!」「悲しみよこんにちは」「俺たちに明日はない」「太陽はひとりぼっち」「誰が為に鐘は鳴る」「愛と青春の旅だち」「ティファニ-で朝食を」
 ね、すごくお洒落なタイトルでしょ。こんなタイトルだと、ウン10年前に見た映画でも、思い出すことが出来る。ああ、それなのにーーである。私は怒り狂っている。

心 輝かせて

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 お正月が終わった。今年のお正月は3日で終わり。最短のお正月休みとなった。
 1月1日は、我がニッポン国は、その名のとおり全国版で日本晴れ。素敵な幕開けと思ったけれど、後がイケナイ。ブルブルの寒さを通り越してギンギンの冷たさ。
 でも、雪国に住む人たちのことを思えば、心が痛む。
 地球は温暖化と聞いていたので、暖かい冬かと思っていたのに、とんでもハップン。温暖化とは、夏は暑く冬は寒く雨は強く風は強く台風は大きくと、とにかく季節がスケールアップすることだという。おまけに巨大な夏と冬に押されて、おとなしい春と秋が短くなるらしい。
 私は、規則正しく、春に強い代わりに夏に弱く、秋に強い代わりに冬に弱くと、季節をかわりばんこに愛してきたのに、なんたる悲劇。
  
 ところで、お正月といえば初詣。私は毎年、地元の篠崎神社に蒲生神社、妙見神社に初詣に行く。すべて霊験あらたかな由緒ある神社であるーーということになっている。神様が言うことだから、間違いないであろう。
 そして、そこでお願いをする。無論、アアしてコウしてアアなって、まずは目出度しめでたしとなりますように、と願う。
 それから、おみくじをひく。なんと、今年は大吉!!! 願い事は、すべて叶うというわけである。なんとスゲー。
 となると、今年は、一見吉永小百合風美人又はよくよく見れば田中裕子風美人それともチラッと見れば大原玲子風美人ーー以下エンエンと続くが紙面の都合により省略ーーと、アアしてコウしてアアなって、まずは目出度しめでたしということになるに違いない、ウヒヒヒヒーー、なんてことは、コレッポッチも考えたことはない。ホントである。これは、本人が言うことだから、間違いない。
 どこかの誰かが、男というものは
 「最初のキッスは魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ」と言っていたけれど、私は人畜無害ということになっているから、私に限ってそんなことはあり得ない。ホントである。これは、本人が言うことだから、間違いない。
 しかしである。私の願いをここで公表するわけにはいかない。なんたって個人情報保護法に抵触しますからね。ヤレヤレ。
 
 そして、お正月が終わると成人の日。言いたくはないけれど、私の成人は、なんと47年前。当時、私は故郷を離れて東京で学生をしていたけれど、立派な大人になったからには、これを機に、それまで吸っていたタバコを止めることにした。そして
「禁煙」と下宿の壁にレイレイしく大書したものである。
 タバコを止めるのは大変と聞いていたが ところがこれが簡単に出来たのである。それで、禁煙なんかいつでも出来ると自信を持ち、以来、タバコを吸っては
「第2次禁煙」「第3次禁煙」「続禁煙」「続続禁煙」を果敢に実行。
 それからは、禁煙のネタもつきたので、「停煙」「止煙」「無煙」「ストップ煙」「嫌煙」「捨煙」「ダメ煙」「制煙」とレイレイしくその都度、壁に貼って実行していたところ、友人がそれを見ていわく
「それって、意思が弱いってことを宣伝してるみたいだぞ」と言う。
 ウーン、ひにくれた見方をする奴だと
「何度も禁煙出来るってことを証明してるんだ。エライと思え」と立腹したものの、私は友情を大切にする男なので、忠告をきくことにした。そして以来、灰皿に
「本日の禁煙はこれまで」と書いて、壁に大書することは止めることにしたのである。
 
 私の20歳は禁煙で始まったけれど、今年、成人を迎えたあなたのスタートは何ですか。
 すべてが可能性に満ちているあなた、なんでも目の前に広がっているあなた、人生なんて説明のつかないことが多いけれど、楽な生き方には感動がないということを、そして、今、生きづいていることを疎かにしないで、心、輝かせて大人への一歩を踏み出してください。

心は夢色に‥‥

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 2006年の幕が開き、今年、私は御年68歳。だから、「おめでとう」と云われても、ひとつ年を取るということは、人生の残り時間が1年短くなったということだし、頭がますますオメデタクなったと云われているみたいだから、ちっともおめでたいなんてことはないよ。‥‥なんてニクマレ口をたたくと、
「よう、ご老人」と声をかけられそうだから、ここはおとなしく、まづは

 『明けましておめでとうございます』
 
 私にとって、お正月といえば、ゴジラが「グォアー」と怒声をあげ「ズシンズシン」と地響きを立てながらやって来たものである。
 ところが、お正月のゴジラ映画は、昨年で打ち止めとなってしまい、さびしいお正月と思っていたら、アメリカから「キングコング」がやってきた。
 1998年に上映されたハリュウッド版「GODLILLA」は、ゴジラとは似ても似つかぬ醜悪なゴジラ。だから、またお化けみたいなキングコングが出てくるのだろうと思ったけれど、ゴジラが来ないことだし、その代わりにと思って、期待もせずに見に行ったとろ、これが驚き!!!
 なにしろ、キングコングそっくりのキングコングが出てきて、本場アメリカのSFXを駆使したシーンがいっぱい。おまけに、キングコングの哀しいラブストーリーともあいまって、ゴジラをしのぐ出来映え。なんと、あの猛々しいキングコングが哀しい目つきをするんだから、ホント、ビックリ感動。
 それに、上映時間がハラドキ連続の2時間50分。私、シニア料金で入場料、金1000円也だからエラク得した気分。
 でも、あまり大きな声では言えないけれど、普通は上映時間約2時間なのに、これはエンエン2時間50分でしょ。なにしろ、オシッコに行きたくて行きたくって、ハラドキ連続、ガマン連続。連続オンパレード。
 私は生粋のケチだから、英語が読める訳でもないのに、いつもは映画の最後にエンエンと流れるエンド・クレジットのスタッフの名前を最後まで見て、場内が明るくなってから席を立つのだけれど、今回はエンド・クレジットの途中で退席。
 でも、途中退席の挫折感はあったけれど、がまん我慢のうえのシャーと出るオシッコのなんという快感!!! 
 挫折感なんてクソ食らえ、と云いたいところだが、私は、ケチなうえに見栄っ張りときているので、口が裂けてもそんなことは云わない。
 「素敵な映画を作ったスタッフの名前を最後まで見ずに退席して、失礼した。申し訳ない」と、もっともらしく云うことにしている。
 
 でも、ホント、トシなんですね。オッシコが近いってのは‥‥。
 かくなるうえは、カウントダウンが始まった人生で、老いてますます耄碌なんて云われないよう、壊れかけそうな時代だけれど、せめて、心を桃色に染め上げて‥‥アッ、間違い‥‥心を夢色に染め上げて生きていきたいと思っています。
 だって、なんたって、このコラム「夢旅人」ですから‥‥。
 では、今年もよろしくお願いします。

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