「風に吹かれて 2007」の記事

 街は、すっかりクリスマスを装って素敵気分。賞味期限の切れた私にも、なにかしら、幸せが舞い降りてきそうな、ときめきの季節。
 私の住む北九州市でも、都心部で「星 ひびき逢うまち 小倉」と銘打って
『小倉イルミネーション2007』が、華やかに冬を彩って光の海を演出。
 神戸のルミナリエほど有名ではないけれど、建物や川沿いの樹木などロケーションを生かしたスケールの大きいイルミネーションは、西日本随一といわれるくらいである。
 ということで、クリスマスに溢れたニッポン国の12月は、まるでキリスト教国になったみたいだけれど、 
「Merry Christmas」と云っても、キリスト教徒ならともかく.、教会に行ってお祈りする人はいないに違いない。
 ニッポンでは、クリスマスは宗教行事ではなくって、冬のお祭りみたいなものであろう。
 昔むかしその昔、私がピチピチしていた頃は、クリスマスとなれば、男性たるものクリスマスパーティ券なるものを買ってキャバレーという所に行き、ベタベタとチークダンスをしたり、アチコチ触りまくったり・・・なんてことはやらなかったことにして、まあ、言うなれば三角帽子をかぶりクラッカーを打ち鳴らしてドンチャン騒ぎをするというのが、ニッポンの正しいクリスマスの過ごし方だったのである。
 ところが、時は流れてファミリークリスマスなどと云う言葉が生まれ、主婦付の男性はクリスマスケーキを買ってスゴスゴと家に帰るようになり、彼女付の男性は、ホテルで身分不相応なるクリスマスディナーなるものを奢らされて、財布をハタクようになってしまった。
 ホント、私は早く生まれて幸せ・・・。
 そういう訳で、我がニッポンのクリスマスは、昔むかしその昔からキリストさま抜きのクリスマスとなっていたのだけれど、ウソみたいなホントの話しだが、私は、教会でクリスマスを過ごしたことがある。
 私が花の東京で華の独身生活・・・ン? 訂正・・・単身生活を送っていた時、若くしてご主人を亡くした同級の(特に名を秘す)彼女から
「そう八さん、クリスマス一緒にしない?」と電話があったことがある。
 彼女は独身、私は下心いっぱいの男性。これって、ひょっとしたら
「アアしてコウしてアアなって・・・イ、ヒヒヒ」なんてことに進展するのじゃないかと思うかもしれないけれど、とかくこの世はままならぬ。
 彼女は、独身なれどピッカピカのキリスト教バブテスト信者、私は下心付なれど女性的見地から見れば人畜無害の男性。かくして
「清く正しく美しく」という進展にならざるを得ない。ホント、神も仏もないというのは、こういうことを言うのであろう。
 ということで、彼女が所属する日野バブテスト教会にでクリスマスを祝ったことがある。
 この時の「クリスマスセレブレイション」のプログラムをご紹介すると
 
 1 前 奏
 2 賛 美  「もろびとこぞりて」   一同
 3 祈 り                 司会者
 4 聖 書  ルカ2:1~20     岡田姉妹
 5 賛 美                日野教会聖歌隊
 6 講師紹介              司会者
 7 メッセージ              アーサー・ホーランド師
 8 賛 美  「きよしこの夜」     一同
 
 我が森家には、お盆にはお寺のお坊さんが来て、有り難いお経をあげてくれるけれど、チンプンカンプン。だけど、牧師さんのお話は、神なき私にもよく分かる。「清く正しく美しく」なんてイヤダーと思っていたのに、何故か「ウン、そう。清く正しく美しく」となってしまった。
 このセレブレイションが終わると「交わりの時」。これが目的で来た訳ではないけれど、信者の皆さんが、お手製のお寿司やサンドイッチに料理などを持ち寄って、楽しくパーティ。
「そう八さんは、家庭料理に飢えてるんでしょ。沢山食べてね」と、優しく勧めてくれるけれど
「そう八さん、これを機会に信者になってね」なんて勧めなかったのは、奥ゆかしい・・・のではなくって、
「この人、云ったってムリ」と見抜いていたのかもしれぬ。
 この集いは、12月の中旬に行われたけれど、イブの夜には改めて
「クリスマスイブ・キャンドルサービス」
 これが行われたのは、教会ではなく、目黒区の信者さんのマンション。これが映画に出てくるようなスゴイ豪華マンション。
 グランドピアノが小さくみえるほどの広いリビングルームに、20人ほど集まって三々五々に座り、キャンドルの光の下で牧師さんのクリスマスメッセージを聞いたり、讃美歌を歌ったりして、サンドイッチやドーナツなどをつまみ、それぞれ持ち寄ったクリスマスプレゼントを交換。
 以来、一夜かぎりのクリスチャンとなり、3年続けて教会でクリスマスを祝ったけれど、4年目の春に
「ハイ、それまでよ」と、華の単身生活にピリオドを打ってしまった。義理と人情と女性に弱い私としては、ぼつぼつ陥落しようかと思っていたのに、すこぶる付で残念である。
「ウソばっかり! イイトコ取りして逃げるなんて、ズルイ」なんて、ドキッとするようなことを云ってもらっては困るけれど、ホント、キリストさま付のクリスマスもいいものである。だから、
 ホテルのクリスマスデイナーの予約は取ったけれど、部屋の予約を取るべきか悩んでいる君、
 イブの夜は、指折り数えてどの彼と、どこまで付き合うかと悩んでいるあなた、
 教会は、迷える羊を歓迎するところですから、手に手を取って清く正しく美しく、クリスマスを過ごしたらどうですか?
 エ、何? 「そう八さんと違って、ちゃんと清く正しく美しくやっていますよ」って・・・。


 2007年も、もうすぐTHE END。今年1年、この夢旅人を読んでいただいてありがとうございます。
 来年も、夢を織り上げ人生に恋して、明るく生きていけたらいいですね。
 どうぞ、良いお年をお迎えください。

恐怖の日

| コメント(0) | トラックバック(0)

 11月25日は、私にとって恐怖の日。「マンション管理士」の試験日である。この試験は合格率7~8%という、落ちて当たり前という恐怖の国家試験である。
 私は、これに3回受験して、なぜか不合格。この試験は民法・区分所有法・不動産登記法・都市計画法・建築基準法・その他うじゃうじゃ有る関係法案から出題されるようになっている。
 それで、私は550頁もある参考書を老眼を酷使して、いささかうんざりしながら・・・エーット訂正、一見猛勉強風を装いながら・・・パラパラのパラと精読し、次に問題集をうっすらハゲ模様の頭を酷使して、ホイホイと解き試験に備えたのものである。
 かくして、私は10%位は分からない所があるものの、ほぼ90%は理解したと自信をもって試験に臨んだところが、なんと不可解なことには、私が理解している90%の範囲からは出題されず、このわずか10%の中からほとんど出題されているのである。
「それって逆で、そう八さんの分かっている部分が10%で、分からない部分が90%じゃないの。分からないところが90%もあったら通る訳ないでしょ、パラパラのパラって精読でなくって通読。ホイホイとカンで解いただけなんでしょ」なんて、人が聞いたら信用するようなことを言ってもらっては困る。これは、試験を受けた私が云っているのだから間違いない。
 私は、もともと「あなた任せ」で「神頼み」大好き人間である。だから「あなた任せ」にして、隣に座ってもらい試験を受ければ大丈夫と思ったが、誰も
「どうして、お前の為に勉強せねばならぬ」と一緒に受験しようとする友人がいない。
 そうなると、後は「神頼み」である。落ちて当たり前の試験だから、1回目・2回目に合格しないのは仕方がない。だけど、3回目は「三度目の正直」という諺があるので、てっきり合格すると思ったけれど、何故か不合格。
「そんなことってある?」と怒ったが、よく考えて見ると「二度あることは三度ある」という諺があったのである。賢明なる私とあろうものが、迂闊であった。
 それで、今年は4回目である。いくら「神頼み」と云っても、なんの根拠もなく「神頼み」しても神様は困るに違いない。そこで神様が安心できるようにと、「三度目の正直」の続編を作ることにした。合格するって並大抵のことで出来るものではない。
 そこで、4回目は「4度目こそ本当の正直」5回目は「5回目となれば掛け目なしの正直」6回目は「6回目は何がなんでも正直」7回目は「7回目はラッキイに正直」8回目は・・・ウーン、私はそう八だし、お年寄りをいたわりましょうというボランティア精神で・・・「8回目の高齢者は合格」ということにした。これだけ、準備を整えておけば、安心して受験できるというものである。
 試験場所は、福岡市郊外にある「九州産業大学」。九州の試験場所はここだけだから、受験者がいっぱい。一見アタマ良さそうな人ばかり。
 大学のキャンバスに行くと、どこの大学でも独特の雰囲気があって、私は大好きである。よく遊びよく遊んだ学生時代を思い出し、もう一度キャンバスに帰り、よく遊びよく遊び・・・ン? 訂正、よく学びよく遊びたいと思うが、とかくこの世はままならぬ。
 私が指定された教室に入ると受験生は100人。30台~40代の人が多いが、うっすらハゲ模様の人が3人。安心した。昨年は私一人だけだったから
「イイ年して、どうせ落っこちるのが分かっているのに、アホじゃないの」とジロジロ軽蔑の眼差しで見られたような気がしたものである。
 隣には、定刻10分前に、顔に聡明感を漂わせた青年が座る。頭に透明感を漂わせた私とはエライ違いである。「あなた任せ」がピッタリ似合う青年だが、ないしろ10分前に知り合ったばかりだから、そうはいかぬ。
 試験時間は2時間。アットいう間にTHE END。正解かどうかは「神頼み」の身であるからトント分からぬが、とにもかくにも終わってヤレヤレ ニコニコ ザマーミヤガレ いい気分。
 でもね、問題は相変わらず摩訶不思議。例えばマンションの設備計画についての問題だけど、
『高層マンションにおける排水立て管の通気方式について、排水を管壁に沿って旋回させて排水の流下速度を抑え管の中心に通気を確保する機能を持つ排水用特殊継手を用いた伸頂通気方式とした』という通気方式は正しいかどうかだって・・・。
 大体、句読点のない長ったらしい文章を読むだけでも大変なのに、苦心して呼んでも、チンプンカンのプン。だから、たちまちプンプン(これは怒っているプンオプン) 
 受験予備校のホームページに模範解答が載るけれど、何問正解したら合格というのでなく、問題が易しい時は合格率が低く、難しい時は高くなるので、官報に来年1月11日発表されるまでは分からない。
 乞う、ご期待。いや、乞う 残念至極。マア、備えあれば憂いなし。8回目まで受ける準備が整っているから大丈夫デス。ご安心のほどを・・・。 

 秋。食欲の秋。天高く馬肥える秋。焼き芋の香り漂い、ついでにオナラも香る秋。
 秋。実りの秋。ピチピチプリンのオッパイが・・・ン? エーット訂正・・・ ピチピチプリンと果物が大きく弾けて実る秋。
 行楽の秋。お土産店で見本のお菓子を、片っ端からつまみ食いする秋。 
 紅葉の秋。春は「花より団子」。勿論、秋は「もみじより饅頭」
 秋。枯葉散る秋。女心と秋の空となって失恋の秋。だからヤケ食いの秋。
 秋。スポーツの秋。日本シリーズの秋。でもジャイアンツが出ないという、とんでもない秋、だからヤケ酒の秋。
 秋。芸術の秋。コンサートの秋。演奏会の途中でお腹がグウグウならないように、お腹を満たしていく秋。でも、お腹いっぱいになると居眠りしそうなので、コーヒーをガブ飲みしてしまい、途中でオシッコに行きたくなる秋。
 秋。美術の秋。美術館でおいしそうに描かれた柿の絵を見たら、連鎖反応で
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」となり、つい帰りに柿を買ってしまう秋。 
 秋。読書の秋。スナック菓子がピッタリの秋。スナック菓子を際限もなく、ポリポリ食べながら本を読む至極の秋。
 ウーン、どの秋をとっても、どうも飲んだり食べたりしなければいけないらしい。
 エ? 何? それって、ソーハチさんの秋のことでしょ。
 いくら秋とはいえ、そんなに食べたら、メタボリック症候群になっちゃうわよ。
 フーン、そうか。フツーの人は、わびしい秋を送っているんだ。おかわいそう・・・・。
 でも、そう云えばアメリカのジョークに、こんなのがあったっけ・・・。

 両親の若い頃のアルバムを見ていた娘が,母親に聞いた。
「このカッコイイ男の人は誰なの?」
「あなたのお父さんよ」
「ふーん・・・」
 娘は父親の方をそっと指さして、小声で聞いた。
「じゃ、あの禿のデブ男は誰なの?」

 ※ 俳句は、正岡子規の作。ジョ-クは井坂清編「ジョークは人生のスパイス」より

 プンプンプンのプンプン、ついでにもう一つプンプン。念のためにお断りしておくが、これは決してオナラの音ではない。
 私は、プンプンと悲憤慷慨して怒っているのである。すっごく切歯呃腕して怒っている。とにもかくにも七転八倒しながら怒っている。あたりかまわず遺憾千万と怒っている。
 かくして、素敵な秋が来たというのに、私は、すっかり意気阻喪、茫然自失・・・。
 そりゃあ、失恋して意気阻喪、茫然自失するのならまだいいよ。なんたって恋をした証拠なんだから。
 だけど、私の場合は、セ・リーグで優勝した我が愛するジャイアンツが日本シリーズには出場できないという、奇奇怪怪にして前代未聞、空前絶後で驚天動地なアホなことが起きたでしょ。四字熟語を駆使して怒るのも当然であろう。
 なにしろ、前回10月15日のコラムで「ウフフフ、オホホホ、アハハハ」と書いているのだから、私の(>_<)は倍の倍。うっすらハゲ模様の頭から湯気がほとばしり、はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星まで届くやもしれぬ。
 秋を表わす言葉は数々あれど、これからは「怒りの秋」を加えることにしよう。

 それに、最近のスポーツの世界は、野球にかかわらず、不可解な出来事が多い。ニッポン古来の格式ある相撲でも、外国人横綱が演じる土俵上のヒンのない振る舞いを
「マ、いいか」と見逃しておきながら、サッカーをしたと云って大騒ぎ。
 本人は
「マ、いいか」とカールイ気持ちでサッカーをしたのに違いないのだけれど、元はと云えば、そういうカールイ気持を持たせるような育て方をした、相撲業界のオエライさんも悪いのである。
 それと、ボクシングの亀田ナニガシ選手にしても、日頃のヒンの無い傍若無人の振る舞いを
「マ、いいか」と黙認してきたにもかかわらず、「スカット爽やかコカコーラ」的負け方をしなかったといって大騒ぎ。
 本人から言わせれば、無茶をやっても日頃から許されているので、むしゃぶりついてでも負けまいというガッツな姿勢を示しただけに過ぎないのだけれど、元はと云えば、そういう発想をさせるような育て方をした、ボクシシング業界のオエライさんも悪いのである。
 プロ野球業界のオエライさんにしても、金儲け主義のルールを作っておきながら
「出場できないのは負けたジャイアンツの選手が悪いのよ」と云っているし、相撲業界もボクシング業界のオエライさんも、自分のことは棚に上げ、
「みんなお前が悪いのよ」と、上に向かってツバをはいている。
 野球にしろ、相撲にしろ、ボクシングにしろ、スポーツ業界のオエライさんはそれなりの「見識」というものを持っていると思っていたけれど、どうも持っているのは
「金儲けの見識」らしい。
 でも、見識があると思っていた天下のソーリもプッツンするし、見識あると思っていた老舗のモロモロの会社もラベルを張り替えるし、今や「見識」なる言葉は死語となって,「金識」なる新語が使われているのかもしれぬ。
 さっそく、最近改訂版が出された広辞苑で確認してみることにしよう。そして、「怒りの秋」にもう一つ「嘆きの秋」を付け加え、プンプンホロホロ、プンプンホロホロ・・・ホント、忙しいたらありゃしない。 

 私、ご機嫌!!! 
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ、イヒヒヒ・・・」ーーエッート、イヒヒヒってHっぽい笑いだから、この笑いは止める事にして、も一度、
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ、・・・」
 エ? 何? バカの高笑いは止めた方がいいって・・・。
 ホント、失礼なんだから・・・。これって、マジ真剣なご機嫌笑いである。
 と、云うのは、なんと我が愛するジャイアンツが優勝!!! 
 そう八家は、先祖伝来の由緒あるジャイアンツファンである。2006年4月15日のコラムで「気分は最高」を書き、同年11月1日のコラムで「気分は最低」を書いた私にとって、屈辱の日々を送っていたのが、今年の秋は、しつっこいようだが、
「ウフフフ、オホホホ、ワハハハ・・・」と、 ざまァ、見やがれ、いい気分。
 だけど、である。我が愛するジャイアンツが優勝した試合のTV中継が、なかったのである。
 こんなバカなことってある? 人生は不可解なことに満ち溢れているけれど、こればかりは、訳が分からない。
 たかが、TVのことで・・・などと考えてはいけない。これって、重大な問題である。何故って云えば、はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星人から「地球に棲息しているヒト科の生物の精神構造って、理解に苦しむ」と、又もやバカにされるに違いないからである。
 ホント、これって宇宙の恥さらしである。なんと、嘆かわしい!!!
 それに、今年から、セリーグでも、上位3チームが勝ち抜き選をやって、勝ったチームが、日本シリーズに出ることが出来るって、これまた、アホなことをやるらしい。エイエイと1年間必死で戦って、やっと優勝したと思っても、そこそこに試合をやったチームが日本一になることも有り得るらしい。
 こんなバカなことってある? ホント、人生は不可解なことに満ち溢れていると分かってはいるけれど、こんなに満ち溢れていては、努力を重ねて積み上げてきた「ちょっぴりハゲ模様」が「すっかりハゲ模様」になるかもしれぬ。
 かくして、不可解なことに満ち溢れたニッポンの野球界は、「実力の世界」から「勝負は時の運」の世界に大きく変貌したらしい。
 だけど、「巨人・大鵬・玉子焼き」時代から、もっとむかし昔その昔の「青バット、赤バット」時代からの・・・・と、言っても、分からないだろうなあ・・・伝統を重んじる生粋のジャイアンツフアンである私は、そんなアホな日本シリーズなんて見る訳がない。
 といっても・・・・ウーン、我が愛するジャイアンツが優勝すれば、
「マ、いいか」

プッツン

| コメント(0) | トラックバック(0)

 先生と呼ばれている政治家と医師と教師は、むかし昔その昔、その権威は、天に向かってそそり立っていたものである。
 だから、アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識となっていても、センセイ方は我々フツーの人と違った世界に住んでいるのだから、
「マ、仕方ないか」と思っていたものである。
 ところが、時は流れ
「登校を しぶる息子は 現役教師」※と、教師もフツー人化し、医師も
「仁術から算術」となって、これまたフツーの人となり、幸か不幸か同じ世界に住む人となってしまった。
 そして、政治家も
「政治家から政治屋」と職業化してしまったので、フツーの人になったのかと思ったものの、権謀術数に長けた政治屋さんは、
「アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識」という領域は死守。依然として別世界に住んでいる。
 ところが、である。今度、天下のソーリが、突如として辞めてしまった。一同
「アゼン」として、
「何故?」と呆気にとられてしまった。
 そこで、マスコミはアアでもないけれどコウでもないと騒いでいたけれど、これって、深い訳がある訳ではない。単に
「プッツン」しただけであろう。プッツンするのに、右顧左眄・遠謀深慮など関係ある訳がない。
「モウ止めた。プッツン」である。 
 だけど、プッツンするのは若者だけと思っていたのが、なんと、天下のソーリのプッツンである。
 私だって、時折、プッツンしたいと思っても、なんたって、痴性と狂養に溢れている・・・ン? これって変換間違い。・・・エーット、知性と教養に溢れている私のことである。プッツンなど出来る訳がない。
 と、思っていたのが大間違い。天下のソーリでさえプッツンするのだから、究極の凡人である私がプッツンして悪い訳がない。
 だから、今後は、夜中にオシッコに3回も行ってアッタマにきたらプッツンし、、映画館で横に座ったカップルがイチャイチャしてアッタマにきたらプッツンし、回転焼きのアンコがいつもより少なかったのでアッタマにきたらプッツンし、写真を写してもらったら、うっすらハゲ模様がすっかりハゲ模様風に写されていたのでアッタマにきたらプッツンし・・・もう、ホント、プッツンするネタがつきることがない。
 エ? 何? 知性と教養に溢れているそう八さんが、そんなどうでもいいことで
「アベしちゃったらおかしい」って・・・。
「やはり、痴性と狂養に溢れているんじゃないの?」って・・・。
 だって、天下のソーリと究極の凡人とは、アッタマにくるレベルが違うのは当然のコンコンキチである。誤解してもらっては困る。冷静に判断してもらわなければならぬ。
 そういう訳で、天下のソーリがプッツンして、フツー人化した思ったら、これまた、大間違い。
 一般的にフツー人は、コレだけの大騒動を引き起こしたら、単に
「ごめんなさい」と謝るだけでなく、
「責任を取って議員を辞めます」と云うのが当たり前である。
 ところが、天下のソーリは、
「ごめんなさい」で終わり。責任は取らないらしい。どうも、プッツンしたからといって、フツー人になった訳ではなく、
「アチラの常識はコチラの非常識、コチラの常識はアチラの非常識」という世界に住んでいるみたいである。
 どうも、アチラの世界はプッツンしても、無責任OKという素敵な世界らしい。
 しかし、なんたって天下のソーリが身をもってお示しあそばされた行動である。見習って悪いはずがない。今後は遠慮なく
「アベする」ことにして、後はシレーットとして
「ごめんなさい」ですませることにしよう。

 ※第一生命が2007年に募集した「私が選ぶサラ川柳100句」に選ばれたスクールカウンセラーさんの川柳

秋は遠く・・・

| コメント(0) | トラックバック(0)

 朝夕は少し涼しくなったけれど、日中はいまだに30度以上を維持して夏模様。とても秋気分にはなれそうもない。
 どうも、私たちの住む星は壊れかけ始めているらしい。だから、夏はギラギラと太陽が燃え冬はドカドカと雪が降り梅雨にはバシャバシャと雨が降り台風はドカドカと来襲する。
 これって、異常気象という人がいるけれど、それは大間違いのコンコンチキであろう。これは、壊れかけたこの星にあっては、当然の現象である。
 夏はキラキラと太陽が輝き冬はシンシンと雪が降り梅雨はシトシトと雨が降り台風はトキドキ来襲したというのは、古き良き時代の話である。
 はるか宇宙の彼方のチチンプイプイ星人が、
「地球という星に生息するヒト科の生物って、なんたるアホ!!!」と嘆いていたように、これって自業自得だから仕方がないことであろう。
 という訳で、夏と冬が長くなり、春と秋はこみやられてしまったらしく、わが愛する秋はなかなかやってこない。
 夏のようにスッポンポンのささやかな服を着た女性はいなくなるけれど、ピチピチプリンを誇示したセーターを着て、颯爽と街を闊歩する女性は健在だし、ピチピチプリンのスポーツウエアーを来て、テニスコートやグランドを飛び回る女性を見ていると、
「ウーン、秋って素敵!!!」と、なってしまう。
 だけど、なんたって枯葉散る秋でもある。ハラハラと散る枯葉を見てハラハラと涙する人もいるに違いない。
 残念ながら、賞味期限の切れた私にとっては関係のないことだけど、ピチピチプリンの君でも、春に恋して夏に燃え秋に失恋する・・・というドッキリ現象が起こるかもしれないのである。
 ウン、そう考えれば、秋は来ない方がいいかも・・・。

 真青なる太陽昇れ秋という季節に君を失う予感
                   ー 俵 万智 ー

ヘトヘト

| コメント(0) | トラックバック(0)

あつーーーーーい夏が、お・・・・わらないんですね、まだ。これが。残暑の季節なのに、気分は夏、真っ盛り。
 でも、まあいいこともあるんですね。だって、女性、冬はまんまるに着込んでしまって、出るべき所もホンワリほのか。
 ところが、夏になると、出るべき所がボインボイーンと突出。そんな女性を見ると私のマナコは乳房でいっぱい。おまけに水着そっくりの服をささやかに着ていたりしていると、私のココロはH度いっぱい、幸せいっぱい。ホント、夏って素敵!!!
 そして、このクソ暑い最中に・・・エーット、「クソ暑い」ってのは品格のない言葉ですね。ここはお上品に・・・このおクソ暑いのに、「小倉歩こう会」の8月26日の例会に参加することにした。すると、
「この暑いのに・・・」と、アホじゃないかと軽蔑の眼差。、
「この暑いのに、スゴイわね」と尊敬の眼差しで見る人は誰もいない。フンだ!!!
 歩いた所は、北九州市のJR小倉駅から電車で約1時間の所にある福岡県小竹町。そこにある「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれた‘長崎街道・歴史探訪のみち’
 普通、例会には60~70人は参加しているけれど、今回は39人。軽蔑の眼差しを跳ね返してきた勇気ある人ばかり。
 「小竹町歩こう会」の会長さんとまちの歴史に詳しい長老のおじいさんが、説明しながら案内してくれるということで、9時40分にJR小竹駅を出発。、
 「歴史探訪のみち」の名に恥じず、長老の説明を聞きながら、途中立寄ったのは10ケ所の由緒ある神社・仏閣・観音堂と古墳。私のお賽銭の相場は金10円也となっているものの、最後の3ケ所の神社は10円玉切れで金100円也のお賽銭となった。ウーン、残念などと云ってはいけない。ニコニコしながら金100円也のお賽銭をあげる。ホントである。きっといいことがあるに違いない。
 途中に武富戦争資料館に立ち寄る。地元の故武富登己男氏が第2次大戦中の兵士の武器・服装・飯ごうなど身の回りのものを主に収集したもので、今や、時代が変わると、貴重な資料となっているようである。でも、ここに展示されているものを見るだけで、
「戦争ってイヤ」って気持ちにさせられる。
 太陽はギンギラギンに輝き、自然扇風機も、エネルギー不足らしくソヨとも吹かない。おまけに、山を歩けば森林浴だけれど、田舎道と言えども舗装してある道ばかりだからコンクリート浴。これって三重苦のウオーキング。
 かくして、暑い暑いと言いながら飲んだ飲んだ・・・飲料水。身体がポンコツ化すると、寒い時期なら「飲んだらすぐ出るオシッコ」だけれど、今回のウオーキングでは誰もトイレに行かない。
 どうも、飲んだ水はアソコまで行き着かず、途中下車して身体のアチコチから放出されてしまうらしい。使い古しのアソコを酷使しなくってすむなんて、とっても素敵!!! いいことだってあるんだ。
 かくして、贅沢に汗を振りまきながら歩いたものの「ヘトヘトのヘトヘトのヘトヘト」(2006年11月15日のコラム参照のこと)の権威者であるにもかかわらず、「ヘトヘト」どまりで15時10分に終点のJRあかじ駅に到着。このクソ・・・アッ 訂正、おクソ暑い中を歩いた距離エンエン6.5キロ。
 まるで、タダでサウナに5回位行った気分である。生まれながらのケチである私は、すっかり満足。それに、10ケ所の神社とお寺をお参りしてアレコレ盛り沢山のお願いも出来たし、おまけに「ヘトヘト」どまりでしょ。三重苦のウオーキング変じて、メデタシめでたし目出度しの三重奏のウオーキング。シアワセ!!!
 それと、暑い中、案内して頂いた小竹町歩こう会の会長さんと、長老のおじいさん、それに、途中立ち寄っておいしいお茶を頂いた川原さん、皆さんの優しさにうたれて小竹町、すっかり好きになりました。どうも有難うございました。

挨拶

| コメント(0) | トラックバック(0)

 挨拶ーー原爆の写真に寄せてーー     石垣 りん

 あ、
 この焼けただれた顔は
 1945年8月6日
 その時広島にいた人
 25万の焼けただれのひとつ

 すでに此の世にないもの

 とはいえ
 友よ
 向き合った互いの顔を
 も一度見直そう
 戦火の跡もとどめぬ
 すこやかな今日の顔
 すがすがしい朝の顔を

 その顔の中に明日の表情をさがすとき
 私はりつぜんとするのだ

 地球が原爆を数百個所持して
 生と死のきわどい淵を歩くとき
 なぜそんなにも安らかに
 あなたは美しいのか
 
 しずかに耳を澄ませ
 何かが近づいてきはしないか
 見きわけなければならないものは目の前に
 えり分けなければならないものは
 手の中にある
 午前8時15分は
 毎朝やってくる

 1945年8月6日の朝
 一瞬にして死んだ25万人の人すべて
 いま在る
 あなたの如く 私の如く
 やすらかに 美しく 油断していた。

 ※ 石垣りん・・・1920年生まれ、2004年12月逝去。表題の詩は1952年8月にアメリカが原爆被害者の写真の公表を許可した時に作られたものである。

 海の日の7月16日にNHKBS放送で「黄金の映画音楽館」が放映された。洋画全盛時代の1950年代~1960年代の映画音楽が、当時の予告編の映像と共に流されたのである。
 出演した歌手の中に、私のとびっきり大好きな歌手が4人・・・ジャズの阿川泰子にピアノの国府弘子、オペラの塩田美奈子、ポップスの伊東ゆかり。みーんな、昔むかしからのファン。チョッピリ、オバサン化しているけれど、私だってオジーーサン化しているから仕方あるまい。
 エ? 何? みんな女性ばかりって? 髪の毛うっすらハゲ模様になっても、私は男性。本能的に女性が好きになるのは当然である。
 1950年代~1960年代といえば、私も青春全盛時代。当時、アアしてコウしてアアなった思い出が画面からよみがえって、懐かしさ溢れ気分はハッピイ。
 映画の主題歌を聴くと映画のストーリイを思い出すし、映画の題名を聞くと主題歌を思い出すように、当時、映画と音楽は結びついていたものである。
 「ティファニーで朝食を」とか「慕情」「愛情物語」「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」と・・・挙げればきりがない。
 でも、今は、映画音楽と云えば、ミュージカル映画だけになってしまった。そりゃ、エンド・クレジットの画面で音楽が流れてはいるけれど、ENDマークが出れば、それっきりこれっきりでハイおわり。映画音楽として心に残るようなものは、ありゃしない。
 私が今年見た映画は「硫黄島からの手紙」「ラッキーナンバー7」「デバーテッド」「デジャヴ」「ドリームガールズ」「「ブラッド・ダイヤモンド」「ハンニバル・ライジング」「ザ・シューター」「バベル」「ロッキイ・ザ・ファイナル」「守護神」「ラブソングができるまで」「「ソディアック」「ダイ・ハード4.0」。邦画では「犬神家の一族」「武士の一分」。合計16本。
 私は、“ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れるけれど、わがヒイローは何故か無傷”という「スカット爽やかB級映画」愛好者だけれど、こうやって挙げてみると、ほとんど、どんなストーリイだったのか思い出せない。
 「スカット爽やかB級映画」は、「スカット忘れるB級映画」なのかもしれない。
 エ? 何? もう忘れるなんておかしい、それって、そーはちさんの「アホ化症候群」が悪化しつつある証拠じゃないの・・・だって?
 とんでもない。大体映画の題名がカタカナ語なのが悪いのデス。昔は、映画を見なくても題名を見ただけで、どんな映画か予想できたのに、私がズラズラーットと挙げた映画のカタカナ題名見て、どんな映画のなのか分かる? 分かる訳ないよね。映画を見た私が分からない位だから、分かる訳がない。
 題名さえチンプン・カンプンなのに、おまけに「スカット忘れるB級映画」でしょ。思い出せと云う方が無理である。フンだ!! ニッポンで上映する時は、日本語の題名を付けろ!!ってんだ。
 ところで、今年見た映画の中で、主題歌があったのは 「ドリームガールズ」の主題歌と「ラブソングができるまで」の主題歌「愛に戻る道」の2本だけ。これって、音楽映画だから当たり前と云えるけれど、それにしても「映画音楽が素敵」などという話しは聞いたことがない。「スクリ-ン・ミュージック」という言葉は、死語になってしまったらしい。
 こうなったら『スクリ-ン・ミュージックをはげます会』でも作って・・・ン? はげます会? ・・・ハゲ増す会・・・エーット、訂正することにしましょう。
『スクリ-ン・ミュージックをはげますことは止めて称える会』
 でも、これって、長すぎ?
 
 

Rain

| コメント(1) | トラックバック(0)

 梅雨。私は雨が嫌いである。特に雨に濡れるのが大嫌いである。
 何故って云うと、傘もささずに歩いていると、私のなけなしの髪の毛が、今は亡き落語家の柳家金語楼風になる。ン? 柳家金語楼風って何って? ウーン、そうか。若い人は知らないんだ、金語楼のハゲ具合。では、今風に言うと髪の毛がバーコード模様となる。
 これって、最低!!! 私は、毎朝「うっすらハゲ模様」の髪の毛を、フンワリ仕上げて「一見ハゲなし模様」にしようと、健気にもはかない努力を重ねているのに、雨に濡れるとフンワリがペチャンコ!!!
 なんと、見るも哀れなバーコード模様。だから、雨に濡れるのは大嫌い。
 と、云うと、誰もが同情の眼差しながら「ウン、納得」
 だから勿論、雨降る梅雨も大嫌いであるのは云うまでもない。
 ところで、この大嫌いな梅雨という言葉は、「梅の熟す時期の雨」からきているらしいが、梅は、作家林望によると百樹中の聖賢で、梅には八徳あるそうである。それによれば
 
 1 衆樹に先駆けて咲き、目を楽しませる。
 2 芳香、能く鼻を楽しませる。
 3 風姿美しく、庭を飾るに宣し。
 4 鶯鳥囀々、耳を楽しませる。
 5 実り豊かに、口を楽しませる。
 6 梅干となりては、体を養う。
 7 魚と共に煮る時は、その毒を消して生臭さを去る。
 8 核仁また良薬にして煩熱を除き目を明らかにす。 

 ウーン、梅が良いのはよく分かったけれど、この梅に雨が付くとロクでもない奴に変身する。
 そりゃまあ、昔、梅雨の雨はシトシト降って田やダムを潤わせ、恵みの雨となっていたけれど、最近は雨事情が変わってしまって、台風の雨と同じように、梅雨なのに見境もなくドカドカと雨が降る。
 おまけに、「All or Nothing」 で、カラ梅雨か、ドカ梅雨。どうも、この地球という星は壊れかけているらしい。
 私は、雨に濡れるのは大嫌いだけれど、家の中で窓からシトシトと降る雨を、ウッスウラ・ボンヤリ・ホンワカと見るのは好きである。なんだか心静まる気がする。
 でも、シトシト雨が姿を消してしまい、ウッスウラ・ボンヤリ・ホンワカ時間がなくなってしまった。ところが、
 「雨の日には雨の歌」というキャチフレーズで「Rain song」というアルバムが発売されたのである。
 そらりゃ、何にもせずにウッスラ・ボンヤリ・ホンワカしてたら、うちのかみさんが
 「アホ化症候群が悪化した」と、危機感をつのらせるかもしれないが、音楽を聴きながらのウッスラ・ボンヤリ・ホンワカは、
 「アホ化症候群が良くなりつつある」という、美しき誤解が生じるかもしれぬ。
 そこで、さっそく「雨の日には雨の歌を」と、この「Rain song」を買ったのは云うまでもない。
 このアルバムには、昔懐かしい小林麻美の「雨音はショパンの調べ」や八神純子の「みずいろの雨」それに徳永英明の「レイニーブルー」など、雨にちなんだ曲ばかりCDの2枚組で30曲。
 このアルバムを聴くと、ほとんど恋に破れた曲ばかり。ハッピイなのは、さだまさしの「雨やどり」ぐらいである。どうも、恋は雨に弱いらしい。
 それで、今日も梅雨なのにドカドカ雨だけれど、鈴木祥子の「優しい雨」を聴いていると、シトシト雨の雰囲気がいっぱい。
 この曲は、わが愛する小泉今日子も歌っているけれど、アコーステック・ギターの弾き語りで歌う鈴木祥子の歌も、心に沁みるようでバーコード模様の髪の毛の悪夢も忘れてしまいそうである。
 ウーン、雨の日は雨の歌を聴くのが最高!!!

 優しい雨   作詞 小泉今日子 : 作曲 鈴木祥子

 心の隙間に 優しい雨が降る
 疲れた背中をそっと湿らせてく

 群れをなす魚たち
 少し楽し気に
 駅に向かって走ってく

 こんなに普通の毎日の中で
 出会ってしまった二人
 降りしきる雨の中にすべてを流して
 しまえたらいいけれど・・・
 
 ・・・ 以下 略 ・・・

心に虹を・・・

| コメント(0) | トラックバック(0)

 梅雨の晴れ間に虹を見ました。
 ほんの束の間の虹でした。
 くっきりとすっきりと鮮やかに・・・・。
 Over The Rainbow、虹の彼方に青い鳥は飛んでいるので
 しょうか。
 心に虹をかけられるでしょうか。


     虹     おぞね としこ

 土砂降りの
 雨がやんだら
 東の空に
 虹がかかった
 
 紅色の
 あじさいの茂みを
 時が
 静かに
 静かに
 過ぎて行く

 ほんの小さな
 わたしの愛よ
 遠くはるかな
 私の夢よ

 いくたび
 虹を見ただろう
 いくたび
 虹を見るだろう 

小曽根俊子・・・1954年生まれ、2005年3月逝去。重度の
脳性麻痺に負けず愛に生きた車椅子の詩人。
            

 今日、15日は大安。そして6月はジューンブライド。
 ローマ神話で、結婚生活の守護神とされているジュピターの妻ジュノーの月が6月と云われていることから、6月に結婚する花嫁は幸せになれると伝説が生まれて・・・ウン、今日の結婚式場はきっと大入満員。
 と、思ったら大間違い。6月は雨が多くって“晴ればれ気分”にはほど遠く、曇りだったとしても心は“どんよりブルー気分”、おまけにむし暑くって“ジメジメ不快気分”・・・てな訳で
「ジューンブライドって格好いいこと云われても、やっぱ ヤメター」
 だから、人口動態統計で見ると、結婚する月は一番多いのが11月、次いで3月、10月の順らしい。
 かくして、夢を飾って生まれたカップルのそもそもの出会いというのは、国立社会保障・人口問題研究所の全国調査によると、
「友人や兄弟姉妹の紹介」が一番で、1982年以来トップだった
「職場結婚」は2位に転落したそうである。そして過去、ほとんどの割合を占めていた
「お見合い結婚」は、たったの6.2%で、いまや希少価値。ウーン、なるほどと納得。
 職場結婚なら、相手の良い所も悪い所もミエミエなので、結婚してイロイロあっても適当に折り合いを付けられるに違いない。だけど、友人や兄弟姉妹の紹介なら、ホッカホッカ恋愛中の“あばたもえくぼ”状態は、結婚したらやがては“えくぼもあばた”に大変貌する恐れがある。
「そうなると大変!!!」と思うかもしれないけれど、結婚しても依然として“あばたもえくぼ”状態が続いたら
「それも大変!!!」のようである。

『問題は、妻がわたしを心から愛しているという点にある。・・・さらに云えば、愛しているだけでなく、尊敬もしている。わたしが利口で、有能で、性格的にも非の打ちどころがないと考えていて、つねに良き伴侶であろうと心がけている。それで、わたしは気が狂いそうになる』
           パーネル・ホール作「探偵になりたい」より

 
 
 

 こう云ちゃあなんだが、侘びとか寂びの世界にエンのない私だけれど、1年に1回だけ、私は表千家のお師匠さんの自宅の庭に建てられた茶室で、茶道にのっとって抹茶を飲むことが出来るようになっている。
 ところが、茶道にのっとってやるのはお師匠さんだけで、お茶を頂く私は、なぜか茶道にのっとらずに飲んでもいいようになっている。
 だから、正座していて痺れが切れたらどうしようかとか、小さな茶菓子を二つに割って楚々と食べるなんて芸当は出来ないので一口でガブリと食べて良いのかとか、お茶碗を左に廻してから飲むのか右に廻してから飲むのか、それも何回廻したらいいのかとか、お茶を何回に分けて飲むべきかとか、ずずーと音を出して飲んでいいと聞いたことがあるがそれって無作法ではないかとか、お茶碗をシゲシゲ見て何と云って褒めたらいいのかとか、飲み終わってから云うセリフは「ご馳走さま」でいいのかとか、茶碗はそのまま返していいのかとか、人が飲んでいる時にペチャクチャ喋っていいのかとか、鼻が痒くなった時掻いてもいいのかとか・・・以下エンエンと続くが紙面の都合により略・・・などと悩まなくてよいのである。なんと、ステキなお茶会!!!
 このステキお茶会は、私が卒業した福岡県行橋市にある京都高校の同級生男性4人、女性4人で作っている「おちゃちゃの会」。
 この会の発起人は短歌『牙』の同人だった今は亡き安光隆子さん。
「あなた達、飲むといったらお酒ばかり。正式のお茶席でお抹茶、飲んだことないでしょ。イイ年をして、恥をかかないようにしてあげる」と云って、表千家のお茶の師範をしているやはり同級生の福田頴子さんに呼びかけて始まったものである。
 ところが、なんたって男性4人組は、粗野にして軽佻浮薄。そんなヤヤッコシイことが出来る訳がない。当然のことながら、恥のかきっ放しには慣れているので、作法を覚えるなんてムダな努力をするはずがない。
 かくして、お師匠の頴子さん、3回目のお茶会で
「まあ、おいしいお茶を飲んでもらって、お互いに楽しんで、心が通いあったらいいのよ」と優しいお言葉。かくして作法より無罪放免になった次第である。
 とは云うものの、お茶会の時は「草履」に履き替え「潜り」を潜って「路地」に入り「待合の腰掛」に座って案内を待ちそれから「飛石」を伝わって茶室の手前に置かれてある「つくばい」で手水を使い60センチ四方の小さな「にじり口」と称する入り口からようやく茶室に入る。この茶室に辿り着くまでの行程は、真っ直ぐ歩けば10m位だけれど、遠回りして行かねばならぬ。ヤレヤレなどと云ってはいけない。おいしいお茶にたどり着くためには、イロイロ努力せねばならぬ。
 茶室は、小さな障子窓があるだけ。明かりはそれだけだから、ボンヤリ薄暗い。
「昔の人はさすがにエライ。女性がみんな美人に見える仕掛けになっている」と言ったら、師匠曰く
「茶事に集中出来るように、うす暗くしてあるの」
 フーン、そうか。ものは云いようである。昔の人はやっぱりエライ。
 
 今年の「おちゃちゃの会」は5月19日、14時から。
 茶室に入ると、まず目に入るのは床の間に飾ってある『古風今情』の掛け軸。
「今日の掛け軸は、亡くなった隆子さんを偲んで選んだの。分かりやすい言葉でしょ」と師匠は云うけれど、こちとら、なんたって粗野にして軽佻浮薄。
「?」と思ったけれど、分かった振りをするのは得意だから
「うん、なるほど」と一見マジメ顔で頷く。ダテに年をとった訳ではない。
 それからお茶会。おいしい抹茶を頂く。師匠は侘びとか寂びを漂わせ「表千家の作法」にのっとり、私は詫びとか恥を漂わせ「そうはち家の作法」にのっとりお茶を頂く。
 ウン、ウマイ!!! と、云う訳で 
「もう一杯」と頂く。おまけに、私は生まれながらのケチときているので
「もう一杯」と頂く。それに、2度あることは3度あるという諺に従って
「もう一杯」と頂く。なんとステキなお茶会!!!
 かくして、2時に始まったお茶会は片手落ちの作法にのっとり、スムーズに終了。たちまち室町時代から現代にタイムスリップして、それからは恒例の大パーティ。
 師匠の頴子さんとは同級生だが、そのダンナも同級生である。二人は博多に住んでいるので、そのダンナが博多の有名店を駆け巡って調達してきたナントカワイン2本にカントカチーズ3種類にお洒落な名前が付けられた5種類のフランスパン、後は女性組手作りのオードブルがジャジャーンと登場。
 二人以外は北九州の田舎ッペだから、それっとばかり飲みながら食べながらワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤ。
 そのワイガヤの中で、
「あのA先生、昨年亡くなったの。私達と10歳位しか違わないはずなのに、もう亡くなられたんだって・・・。おかわいそう」と、話したものだから、一同シュンとなって
「ウン、気の毒だなあ。いい先生だったのに・・・」と、先生の思い出に耽っていると
「今の話だけれど、私達だって来年はもう70歳でしょ。だからA先生が亡くなったのは80歳。早く亡くなられた訳じゃないよ」
「エッツ、僕たち、もうそんな年なんだ」と愕然。
 どうも「おちゃちゃの会」のメンバーは、年寄りの自覚症状がまったくなく、60歳位から年を取るのを忘れているみたいである。だから、ワイワイガヤガヤワイワイガヤガヤで盛り上がり、気がついたらなんと21時。
 エンエン7時間に亘る大パーテイを繰リ広げたものの、ワインは2本だけだから酔っ払った訳でもないのに、それに政治とか文学とか人生とか高尚な話をした訳でもないのに、7時間も何を話したのか一向に分からない。
 どうも、ワイワイガヤガヤのムダ話しをエンエン7時間もしたみたいだが、これって、誰にも出来る芸当ではないから、
「アホみたい」ではなく、ひょっとしたら
「エライ」のじゃなかろうかと思って、帰ってからうちのかみさんに話すと
「そうね、アホみたいじゃなくって、アホまるだし」だって・・・。
ウーン、がっかり!!!
 ところで、このお茶会は、この会の発起人で2003年5月に早すぎる死を迎えた安光隆子さんを偲ぶ会もかねている。そこで、今年は彼女の遺歌集「蒼馬」の中から、自分の好きな歌を3首選んできてみんなに披露することとなった。
 この会のメンバーはワイワイガヤガヤのムダ話しは得意だけれど、短歌の世界とはほど遠い人間ばかりである。だから、上手だとか下手とか分かる訳はないけれど、好きな歌というのはある。
 そこで、着物がよく似合ってウイットとユーモアに富み、きりりとした感性を持っていた彼女に想いをのせて、メンバーが選んだ「私の好きな歌」の中から10首を選び披露したい。
 なお、最初の一首は、彼女が生前「一番好き」と云っていた歌であり、遺稿集「蒼馬」の題名もこの短歌から取っている。
 
      安光隆子さんの歌、大好きです
 
 父の乗る蒼き馬はも海に降る雪のはたてに消えてゆきたり
 
あの人は切ってもいいと決めて立つ踏切の鐘鳴りやまぬ前
三十五年の刻経て君に逢しかど変若(オ)ちかえるべき術のあらなく
十六の恋を包みし花柄の浴衣を出せど行く所なし
火は風を抱き込みながら捲き上がり野焼の山を駆けのぼりゆく
手を垂れてくちづけ受けし古里の櫟林に雪は降りいん
論争の場に臨まんと締め上げし帯の横面叩きて出ずる
お種柿一つ垂らして柿の木は入陽に赤く染まりて立てリ
長雨の上りし後の向山にああ追伸の如き虹立つ
古里に置き忘れたる恋ひとつ狐花咲く畦のあたりか
しゃっきりと筑前博多帯締めて逢いにもゆかな病癒えなば

 なお、この夢旅人2005年10月1日号のコラム「逝く夏の・・・」も、彼女の短歌を引用して書きました。是非、読んでください。

※ 安光隆子・・・1939年生まれ、2003年5月逝去。福岡県立京都高校卒。『牙』同人。

ラブレター

| コメント(0) | トラックバック(0)

 5月23日はラブレターの日。何故って云うと、こい(5)ふみ(23)だって・・・・。
 だけど、今やメール時代。手紙を書くなんてメンドウなことはやらなくなってしまったようである。だから、メールで
『好き、好き、好きの大好き(^。^)』か
『嫌い!嫌い!!嫌い!!!の大嫌い!!!!』かで終わり。
 なんとも素っ気ない話しである。
 むかし昔、渋谷に『恋文横丁』があって、パット・ブーンの『砂に書いたラブレター』やエルヴィスの『心のとどかぬラブレター』がラジオから流れていた古き良き時代に
「恋しい恋しいナントカさま」と書くところを「変しい変しいナントカさま」と、間違って書いたあの遠い日が懐かしい。
 万年筆が骨董的存在になり、手紙は手書きからプリントアウトされた字に変わってしまったけれど、印刷されたラブレターを読んだって小説を読むみたいなものであろう。
 私などは、まづ顔に惚れ目に惚れ唇に惚れ声に惚れオッパイに惚れ脚に惚れ・・・以下エンエンと続くので略・・・と、惚れる所は数々あって、どれかその一つにでも該当すれば好きになることになっているけれど、
「字に惚れて」というのもそのひとつである。だから、きれいな字で書かれた手紙など貰うと、顔や目や唇や声やオッパイや脚・・・以下エンエンと続くので略・・・に惚れる所がなくっても、
「好き、好き、大好き」となって・・・・
 エ? 何? 「それって、女であれば見境もなく好きになるってこと? 浮気っぽいんだ、ソーハチさん」だって・・・。
 ウーン、そうじゃないんだって!!! エーット、だから、ラブレターはやはり万年筆の手書きの方が効果があると云いたいのである。
 そして、5月23日は『ラブレターの日』
 一方通行の片思いの恋をしている人いれば、メールではなく手紙を書いてみませんか。
『好き、好き、好きの大好き(^。^)』のメールよりも、手紙だったら、さまよえる心に橋が架けられるかもしれません。
 もし、恋を終わらせようとしている人いれば、メールではなく手紙を書いてみませんか。
 『嫌い!嫌い!!嫌い!!!の大嫌い!!!!』のメールよりも、手紙だったら、悲しみも純化され素敵な思い出だけを、心に残こすことが出来るかもしれません。
         
        手紙    川崎 洋

 もしも
 愛という言葉がなかったら
 もしも
 好きと言う言葉がなかったら
 世界は
 どんなに寂しいだろう

 でも
 悲しみも
 嘆きも
 その分
 減るかもしれない

 きょう
 郵便受けが鳴って
 誰かへ
 一通の
 恋の終わりが届けられる

 今日はゴールデンウイークの中日。9連休のアソビ人間も無連休のシゴト人間も毎日が日曜日のオヒマ人間も、気分はチョッピリ中休み。 
 TVのニュースを見ていると、国内をウロウロする人は、どうも実家に帰るというのが多いようである。
 故郷は遠きにありて思うものというように、父や母についても、一緒に住んでいる時はうとましく思っていても、離れると初めてその『ありがたさ』が分かってくるような気がする。
 だから、歌謡曲で母を歌った曲が多いのは当然だけれど、ニューミュージックの世界でも井上陽水の「人生が二度あれば」とか、さだまさしの「無縁坂」や「秋桜」、海援隊の「母に捧げるバラード」に加藤登紀子の「帰りたい帰れない」等の名曲がいっぱいある。
 ところが、この陽水の「人生が二度あれば」という曲にちなんだ特集が、小説新潮の5月号に組まれ、井上陽水とのロングインタビューと浅田次郎など5人の作家の短編小説が掲載されていた。
 この曲は、陽水がアンドレ・カンドレから名前を陽水と変えて35年前に再デビューした時の曲である。
 
   人生が二度あれば  作詞・作曲 井上陽水

 父は今年二月で六十五
 顔のシワはふえてゆくばかり
 仕事に追われ
 このごろやっと ゆとりが出来た

 父の湯呑み茶碗は欠けている
 それにお茶を入れて飲んでいる
 湯呑みに写る
 自分の顔をじっと見ている
 人生が二度あれば この人生が二度あれば

 母は今年九月で六十四
 子供だけの為に年とった
 母の細い手
 つけもの石を持ち上げている

 そんな母を見てると人生が
 だれの為にあるのかわからない
 子供を育て
 家族の為に年老いた母
 人生が二度あれば この人生が二度あれば

 父と母がこたつでお茶を飲み
 若い頃の事を話し合う
 想い出してる
 夢見るように 夢見るように
 人生が二度あれば この人生が二度あれば

 このインタビューをした編集者は「父と母がこたつのでお茶を飲み・・・」のフレーズの所で、涙が止まらなくなったことがあったそうである。
 陽水自身もコンサートでこの曲を歌った時、込み上げてくるものがあって、歌えなくなったことがあったようであるが、この曲を聴いて感情が揺すぶられるのは、五十代・六十代の人に多いそうである。
 私が、この曲を初めて聴いた時は、私の父も母も生きていて、官吏だった父は額と頭の境界がなくて・・・まあ、要するにハゲていた訳だけど・・・いかにも年老いた父にピッタリの曲だったものだから、
「ウーン、そうなんだ」とジーンときたものである。そして、この曲を聴くたびに父や母のことを思い浮かべた訳だけれど、このインタビューを読んでいる内に、重大な事実に気がつき愕然として驚天動地・茫然自失・・・。
 と云うのは、私、言いたくはないが、今年69歳。この曲に歌われている父より、なんと4歳も年寄り!!!
「親父も、そうだったなぁ・・・」なんて感慨に耽っている場合ではないのである。湯呑みなど覗いて、自分の顔をじっと見ているのは私の父ではなく、私でなければならなぬ。「うっすらハゲ模様」の私だけれど「すっかりハゲ模様」の父と同じ年代になってしまっているのである。
 ウーン もうトシ!!!なんだ。
 しかし、まだ湯呑みを覗いたことはないが「人生が二度あれば」と夢見たことはある。
 私、大学4年生の時、東京の大手の会社に就職が内定していたけれど、入社する前に行われた身体検査で結核に罹っていることが判明、採用が取り消されてしまった。それで休学して泣くなく九州に戻り入院、その後、病気が良くなって復学し卒業はしたものの、東京での就職は難しく九州で就職することにしたのである。
 もしもあの時、結核に罹っていなかったら、東京で
「部長から気に入られて、そのビジーンの娘と結婚し出世街道をホイホイ」とか
「職場のビジーンの恋人の父は、会社の社長。是非にと乞われて会社を辞め、社長を継いでホイホイ」とか
「ビジーンの恋人の実家は、中央区にビルを幾つも持つ資産家。結婚したら、家賃収入ガッポリ貰ってホイホイ」と、うちのかみさんには内緒だが、どうころんでもバラ色のホイホイ人生が繰り広げられていたに違いないのである。
 ホント、残念である。「人生が二度あれば」もう一度、22歳のあの日に戻りたい。

 私の従姉のひとり娘に、女の赤ちゃんが生まれた。何しろ、娘が結婚して3年目、おまけに高年齢出産である。従姉73歳にして、待望の初孫。いとこ夫婦の喜びようは
スゴーーーーーーーーーーーーイ!!!!!!!

「生まれたてなのに、目はパッチリと黒目がち」
「フーン」ーーー目がつぶれていたら大変でしょ。
「おまけに鼻も高いの」
「フーン」ーーー団子鼻か・・・。
「口はおちょぼ口でかわいい」
「フーン」---口裂け女でなくて良かったね。
「指先も長くってピアニスト向き」
「フーン」ーーー指が長けりゃピアニスト?
「色白で肌はスベスベ」
「フーン」ーーーニキビがある訳ないでしょ。
「そして、私を見てニッコリ笑うの」
「フーン」ーーーそしてワンワン泣いたりして・・・。
「こんなに可愛いと、将来、男に追いかけられそうで心配」
「フーン」ーーーエ? そんなに長生きするつもり・・・

 と、まあ手に負えない。しかし、我が家の孫は、日本一可愛いということになっているので、世のジイ・バア族が何と言おうと、私は
「フーン」と受け流し、いささかも動じることがない。
 そして、出産の時の写真を見せてもらった。ダンナさんが出産に立ち会って写したという。
 時代は変われば変わるものである。私の時代では、子どもが生まれる時に、立ち会うどころか、病院の廊下などウロウロしたら、オトコの沽券にかかわると思っていた位である。現に、私などは出張していて電話で結果を聞いただけである。
 だから、出産シーンなど想像もつかないけれど、アメリカのミステリー作家ラリー・バインハートの「最後に笑うのは誰だ」に、出産シーンが書かれてある。きっと、従姉の娘婿も、こんな気持ちになったんだろうと思うとうれしくなってしまう。

 すると俺の赤ん坊の頭が出てきた。ひゃー、なんて醜い顔だ。男の目に醜く映る新生児の顔が女に美しく見えるのは不思議だ。これも男と女の生物学的相違だな、とつくづく思いながら俺は数えていた。耳が二つ(確認)、目が二つ(少なくとも目の痕跡らしきものが一対あるが、これはつぶっているんだな。確認)、鼻が一つに穴が2個(確認、確認)。産婆のフロイライン・グリュッツが俺の視線を遮って赤ん坊の腋の下に手をかけ
「イズ・グッド、イズ・グッド」と云って俺の方にうなずいて見せた。すると、オッセンボーデン医師が彼女の肩越しにのぞき、やましさを伴わずに出産料が取れることを確認した。
 医師と産婆が二人がかりで、へその緒がついた赤ん坊を引きずり出した。腕が2本(確認、確認)、指が束になり、親指がそれぞれ1本ずつ(確認)、胸と腹がひとつずつ(確認、確認)、脚が2本(確認)。
 それから俺は股ぐらに目をやった。俺は見た。
「ひゃー、大変だ」なんてえこった。恐れていたものがついにやって来た。とっさに未来が、恐怖映画の果てしない廊下か何かのように閃いた。ああ俺たちの欠陥児。非難にくれるマリー。不具ゆえに、なおさら可愛い我が子を抱いて医者巡り・・・行く先々で説明の必要に迫られ・・・。
「ああ、なんという悲劇だ。ベニスのない息子が生まれるなんて!」
「ま、作り方が間違ったんだろうな」とオッセンボーデン医師が言った。
「女の子だから」
「イズ・グッド、イズ・グッド」とフロイラリン・グリュッツ。
「なんだ」と俺は言った。
「そういうことか」
 

 IT業界の異端児として知られるUSO800ーNETWORKのホームページを覗いていたら、びっくりするようなニュースが掲載されていたのでご紹介したい。

 世界保健機関(WHO)は現在「国際電磁界(EMF)プロジェクト」を進めており、2008年には電磁波の健康へのリスク評価を完了させる予定である。同プロジェクトでは、周波数300GHzまでの電磁界が人体に及ぼす影響を調べているが、3月8日にその緊急性にかんがみ中間報告がなされた。
 それによると、電子レンジで調理された肉類を暖める場合、肉の主成分であるタンパク質を構成するメラターデに電磁波が1分以上放射されると、ソウナキテースが破壊され胃ガン発生の可能性が高まるということである。
 しがって、電子レンジでは調理された肉類を温めるのは危険ということで、緊急に発表されたものである。
 なお、現時点では、携帯電話で使用されている電波による脳への生物学的影響については、発表できる段階ではないとのことである。

 日本消費者連盟・主婦連合会・日本生活協同組合連合会の3団体は、一向に後を絶たない企業の不祥事にさいし、当該企業にお灸をすえると共に今後の不祥事を防ぐ対策として
『頭ツルツル運動』を、全国規模で進めると発表した。
 それによると、詫びをいれる場合の日本古来の「頭をそって謝罪する」という慣習にのっとり、社長だけは頭をそって謝罪会見に望むように要求するということである。
 今までの謝罪会見を見ると、しれっとした顔で謝罪。「これにて1件落着」とし、
「俺が起こした事件ではないのに、どうして俺が頭を下げなければいけないのか」という態度がミエミエなので、頭をそって謝罪してもらえば、その犯した罪の大きさが実感できるだろうということから考えられた運動である。
 もし、頭を剃らなかった場合は、日本消費者連盟・主婦連合会・日本生活協同組合連合会がその会社の住所・電話番号・ファックス番号・メールアドレスなどを公表し、市民に抗議の声をその会社に届かせ日常業務が滞るようになる迄、運動を盛り上げたいとのことである。
 そうして、この頭を剃って謝罪する社長を見て、まだ不祥事を起こしていない会社の社長も
「俺に恥をかかすようなことをするな」と厳命し、不祥事が減少することを期待している。

 ホリエモンこと堀江貴文氏が、このたび30億円を拠出し「浮動票党」を結成、今年の7月に行われる参議院選挙には全選挙区から候補者を擁立すると発表した。なお「浮動票党」が結成されたら、同氏は、同党の事務局長として党の運営にはかかわるものの、同党からの立候補は勿論、党首や党の役職につく意向はなく一切政治活動は行わないということである。
 同氏が発表した内容によると、
 1 党員は、インターネットを開設している者とし、年間会費は1000円。選挙区毎に党員から立候補希望者を募り、その選挙区の党員からのインターネットによる投票で候補者を決定し選挙に臨む。
 2 候補者が決定したら、候補者の中から互選で党首や役職者を選出する。
 3 5月から6月にかけ、TV・インターネット・携帯電話のモバイル・新聞(但し、スポーツ新聞のみ)に、巨額の宣伝費をつぎ込み「浮動票党」の宣伝及び同党の党員募集の広告を行う。
 4 選挙にあたっては、候補者個人は原則として選挙活動は行わず「浮動票党」が行なう。
 5 「浮動票党」は、政策なし、マニフェストなし。ただし選挙後、議会が始まったら各党から上程された議案については、全て 「浮動票党」のホームページに簡略にして分かり易い言葉に訳して発表。全党員は、その議題に対し意見を付してホームページ上で賛否投票をする。なお、意見を付けず投票のみでも可とする。
 3 「浮動票党」議員は、その意見に基づき議会での質問を行い、党員の投票結果に基づき賛否の投票を行う。
 4 既成政党の議員は、当選したら、選挙民の意向にかかわらず、党や自分の考えで行動するが「浮動票党」議員は、全て党員の意向に基づき行動することとなる。
 5 与党でもなく野党でもない「浮動票党」党員は、何物にも拘束されず自分の意見を直接政策に反映できるという、いわば直接民主主義の形で政治にタッチすることが出来るようになる。
 以上が堀江貴文氏が発表した内容であるが、「浮動票党」の設立により自民党・民主党に今まで流れていた浮動票・棄権者の票が、一挙に「浮動票党」に流れ込むと同党が議案成立の安否を握ることとなり、今後の日本の政治に大きな影響を与えるものと思われる。

       …………………………………………

 私には、あまり関係のないことだけれど、どうも今日の4月1日はウソをついてもいい日らしい。ウソなどついたことがない私は・・・ウソばっかり、だって? ホントだって、ホンと。エーット、ウソをついたら蕁麻疹が出るくらいで・・・それも、ウソだろうって? ホント、疑い深いんだから・・・。
 とにもかくにも、私にはあまり関係のないことだけれど、ウソをつく時はバレないように気をつけてくださいね。特に、女性に対しては・・・。


『やさしすぎるキスなんかしてくれるからあなたの嘘に気づいてしまう』 俵  万智
 

 昨日はホワイトデイ。
 海老鯛チョコに二股三股チョコ、ひょうたんから駒チョコなどの数打ちゃ当たる思惑いっぱいのチョコの波をかいくぐって、やっと届いた本命チョコ。
 本命チョコに世話チョコに癒しチョコ、チョコは数々あれど、届いたのはミエミエの義理チョコばかり。
 と、まあ、バレンタインデイにチョコを貰ったのはいいけれど、問題はホワイトデイ。
 そりゃ、本命チョコを貰った人は、
「小さいが 愛の詰まった チョコに泣き」(注1)
となって、うれし涙のホワイトデイ。めでたし目出度しだろうけれど、義理チョコを貰った人は大変である。
「義理チョコの 価格談合 女子社員」(注2)
と、やる方は、浮世の義理を果たしただけだろうけれど、甘いのが苦手の上司は、義理チョコの山を見て長恨嘆息。仕方なく家に持ち帰ったら、かみさんからは
「これってきっと500円もしないわね。きっと300円。フーン、あなたって、その程度なの」
 どうも300円か500円かの、200円の差で男の軽重を計られているよう気がしてならぬ。かくして、義理チョコは、高級チョコを食べているかみさんからも相手にされず、賞味期限切れ待ちとなって棚ざらし。ホント、もったいない。
 しかし、である。貰った方は、とにもかくにもホワイトデイになれば返さなければならぬ。ところが、ホワイトデイのチョコは、何故か無常にも倍返し。
「義理チョコは 痛し痒しの 高金利」(注3)
と、イイ年をした悩み多きオジサンが場違いなチョコレート売り場をウロウロして、なけなしの小遣いをはたかなければならぬ。かくして、ホワイトデイ変じてブルーデイ。
 バレンタインチョコは「やって嬉しい、貰って嬉しい」チョコならいいけれど、義理チョコだけは、どうもやる方も貰う方も「なければ嬉しい」チョコのようである。
 だから、ここは、お互いの幸福のために、チョコレート業界を喜ばせるだけの義理チョコなんて悪しき慣習は止めるべきであろう。
 エ? 何? ソハーチさん、エラそうなこと云ってるけれど、本当は、もうトシで義理チョコも貰えなくなったから、腹いせに言ってるだけでしょ、って?
 ウーン、エーット、そういうドキッとする話しではなく、ホントの話し、ノーベル平和賞をもらったワンガリ・マータイが唱えている「MOTTAINAI運動」に賛同して言ってる訳でして・・・。
 でも、まあ・・・そうだなぁ、誰か義理チョコでいいから、くれる人いる?


※ 引用した川柳はメリーチョコレートの「第10回バレンタインどきどき、ワクワク川柳傑作選」より
 (注1)・・・男性/32歳/会社員/奈良市)
 (注2)・・・男性/56歳/Gデザイナー/大阪府吹田市)
 (注3)・・・男性/69歳/無職/神奈川県厚木市)

 

 エ? またコマーシャルだって? どうせアレの宣伝なんでしょ。
 ウン 分かる? そう、合唱組曲「北九州」の演奏会のコマーシャル。
 
 「そこで コマーシャル」(2005.3.1)
 「そこで 再び コマーシャル」(2005.3.15)
 「そこで も一度 コマーシャル」(2005.8.1)
 「そこで 又もや コマーシャル」(2006.3.1)に引き続き、
 待望のコマーシャル第5弾
 「そこで 何度も コマーシャル」
 
 エ? 誰も期待してないんだって? ガッカリ、ションボリ、ホロホロホロリ。
 だけどね、少年少女合唱団と一緒に歌う『Ⅵ章 港』の子供の澄んだ声を聴くと、涙がにじむという人もいるし、戦争で亡くなった人を悼むレクイエム『Ⅶ章 石の羊』のアカペラを聴くと、胸がせまるという人もいるし、小倉祇園太鼓が勇壮になり響く『Ⅸ章 祭り』では、過ぎ去った遠い日が鮮やかに甦るという人もあるし、今年引退した末吉元北九州市長は、好調な時や、逆に苦境に追い込まれた時には『Ⅹ章 父祖より幼き者へ』の最後のフレーズ
 
 ふるさとよ 永久に奢らず 病むことなかれ
 わが街よ 永久に新たに 明日に拡がれ 

を、いつも心の中で口ずさんで、もって銘したと云うし、『Ⅶ章 終章』での最後のフレーズ

 北九州 北九州 ふるさとやよし
 北九州 北九州 ふるさとやよし
 
を聴くと、感動のあらし嵐で胸キュンで、ウルウルのウル!!!になると云うし・・・。
 エ? そんなこと云ったって、ゼーーーーンゼン感動しないって? 
 ホント? これだけ、一生懸命にまなじりを決して必死に賞味期限寸前の脳を振り絞り全力を挙げて華麗にして流暢な迷文・・・ン? 訂正 名文をエンエンと書き連ねているのに、感動しないって? 信じられない!!!
 もうこうなれば、コンサートに来て聴いて!!!!
  
 合唱組曲「北九州演奏会」

  日 時    3月11日(日) 開演15時
  場 所    九州厚生年金会館(ウェルシティ小倉)
  入場料    2000円

プログラム

第1部 永野栄子 ピアノコンサート
     歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ
     ---チャイコフスキイ
     バガニーニの主題による狂詩曲 作品43
     ---ラフマニノフ 
 
     指 揮    増井信貴
      ピアノ   永野栄子
     管弦楽   九州交響楽団

第2部  合唱組曲「北九州」
      作詞/栗原 一登   作曲/團 伊玖磨

     指   揮  増井信貴
     演   奏  九州交響楽団
     合   唱  北九州をうたう会・市内中学校合唱部
     児童合唱  市内少年少女合唱団
     祇園太鼓  小倉祇園太鼓保存振興会

 演奏会の詳細は主催者(財)北九州市芸術文化振興財団のホームページをご覧あれ。なお、チケットの申し込みは私のメールまで。

 昨日はバレンタイン。
 もし、14日が土曜か日曜だったら、義理チョコを買わなくてもすむので、女性はニッコリ、おじさんとチョコ屋さんはガッカリだけれど、幸か不幸か今年のバレンタインは水曜日。
 だけど、最近は平日のバレンタイデイでも
「どうして、あんな冴えないオジサン上司にチョコ, やんなきゃならないの」と、女性軍は理性に目覚め、義理チョコが減ってきているそうである。
 そこで、危機を感じたチョコ業界は陰謀をはりめぐらして、高級感あふれる「自分チョコ」や女性同士の「友チョコ」、お世話になった人への「世話チョコ」やら奥さんからダンナさんへの「ファミチョコ」に娘さんからの「パパチョコ」などを生み出し、女性心理をくすぐって商魂逞しく売り上げ減をカバー。
 ホント云えば、バレンタインデイは恋人達の愛の誓いの日であり、愛の告白をする日でもある。だから、吉川宏志の歌集「青蝉」に収録されている
『花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった』という句のように、云おうとして云えない人が、チョコレートに託して愛を告げることが出来る日がバレンタインデイなのである。
 ああそれなのに、それなのに、である。「ナントカチョコ」や「カントカチョコ」が巷にあふれた結果、「本命チョコ」の影が薄くなってしまい「本命チョコ」を渡したつもりなのに、相手は
「これって義理チョコ? それとも世話チョコ? まさか本命チョコ?」と、交通整理が必要なニブイ男性も出てくるにちがいない。
 しかし、前世から赤い糸で結ばれている相手なら、いくらニブイ男性でも、一瞬にして「本命チョコ」と感じ
「ああ、そうだったんだ!!!」と、後はハッピイウエディングにまっしぐらとなるはずである。
 そういう意味では「聖バレンチノさん」に悪いけれど、ニッポンのバレンタインデイは
「愛を告げる日」ではなく
「愛を確かめる日」となるにちがいない。
 そこで、皆さん、昨日は胸ドキのバレンタインデイ。愛を確かめることが出来ましたか?
 エ? 感度なしだって・・・。
 ウーン、そうか。だったら、歌人 俵万智も詠んでいます。
『男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴』 
 

 昨年の冬はサムーーーーーイと云っていたのに、今年の冬はサムーーーーークない。
 これって、ヤッパ暖冬!!! 
 このままでいくと、南極やグリーンランドの氷がとけて、ウン万年後には、我が愛するニッポンも海の底に沈んでしまう。
 そうなりゃ、大変、どうしようと心配していたら、アメリカの科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティツ」が、地球滅亡までの残り時間を示す『終末時計』は、これまでの「残り7分」から2分進み「残り5分」になったと、1月17日に発表したのである。
 それによると、北朝鮮とイランに状況に加え、数分で発射可能な米ロの2千発の核兵器の存在やテロの増加のため、核拡散と核戦争の脅威が増大、それに加えて地球温暖化の問題も重なって「第2次核時代」に入ったと判断したそうである。
 英国のスティーブン・ホーキング博士は、この『終末時計』に関し、ロンドンで記者会見をして、
「世界の一市民として、我々は危険を警告する義務がある」と語ったけれど、警告された一市民である我々フツー人は、
「そんなこと云われたって・・・」と戸惑うばかりである。
 だって、北朝鮮やイラン、テロについては、アッチの常識はコッチの非常識だし、コッチの常識はアッチの非常識だから、まるで地球内宇宙人と話しあっているようなものでしょ。互いに理解できる訳がないのだから、ツベコベ云わず、お互い不干渉主義でいけばいいのに、アッチのエライ人とコッチのエライ人は、アアしろコウしろとヒステリックに口喧嘩。
 この問題については、我々フツー人としては、アッチやコッチのエライ人はアホでないことを信じ、口喧嘩までは許せるけれど、ピカドンのスイッチを押して終末時計の針を0分にしないように祈ることしか出来ないのである。
 それに、地球温暖化の問題も同じようなものである。これも、京都議定書に反対した超巨大国アメリカが、素知らぬ顔をして一酸化炭素をやりっ放しジャカスカ出しているのだから、我々フツー人がジタバタしたって地球温暖化は
「どうにも止まらない」ところにきているのである。
 だから、「あと5分」と警告されたって、我々フツー人は『終末時計』が進むのを手を拱いて見ているしか能がないでしょ、とヤケクソ。
 ところが、これがコンコンチキの大間違い!!!
 アンデス地方の先住民族の民話を絵本にした「ハチドリのひとしずく」を読んで、目からウロコ。我々フツー人だってアレコレ出来ることがいっぱいあったのである。

   ハチドリのひとしずく

 森が燃えていました
 森の生きものたちは
 われ先にと逃げていきました
 でもクリキンディという名の
 ハチドリだけは いったりきたり
 くちばしで水のしずくを 一滴ずつ運んでは
 火の上に落としていきます
 動物たちはそれを見て
 「そんなことをして いったい何になるんだ」
 といって笑います
 クリキンディはこう答えました
 「私は、私にできることをしているだけ」

 ね、ハチドリだってやってるんだから、地球上の賢い生物と云われているヒト科の動物である我々フツー人も、
「顔を洗う時、お湯を出しっ放しにしないように」とか
「厚着をして、暖房温度をせめて1度下げよう」とか
「レジ袋は貰わないようにしよう」とか
「TVを消すときは、リモコンのスイッチでなく、TV本体のスイッチで消そう」とか
「赤信号では、車のエンジンを止めよう」とか、やれることいっぱい。
 ムダな努力と云われても、メゲずにやっていけば、エライ人なんかほっといても、我々フツー人だけで『終末時計』を1分ぐらい遅らせることができるかも・・・。

 年末年始にかけてのNHKTVの音楽番組では、私、大満足。
 見たのは31日の「紅白歌合戦」に1日の「ウイーン・フィル・ニューイヤーコンサート」に2日は寺尾聰と小泉今日子が出演した「SONGS」。それと3日は「ニューイヤー・オペラコンサート」
 今年の紅白には、今が旬の中島美嘉や倖田來未に絢香、それに私の好きな平原綾香とか今井美樹やDREAMS COME TRUE、ブルースを歌わせたらピカイチの和田アキ子が出て熱唱。これで女性軍が勝つた思っていたら、なんと男性軍が勝ってしまった。
 私は男性なので、女性歌手の方は歌がうまいとかハスキイボイスとか美人とか可愛いとかお洒落とかピチピチプリンとかボイーンとか露出度が大きいとか足がきれいだとか足の跳ね度が大きいとかお尻のフリ度が大きいとか、好きになる理由は次から次に際限もなく出てくる。でも、男性歌手の方は、歌がうまいから好きという位で、外に好きになる理由はナーンニも出てこない。
 だから、私は男性だけれど、好きな歌手が多い女性軍が勝って欲しいと思うのも、当然であろう。でも、紅白で男性が男性を応援するのが当然というような演出になっているが、あれって、おかしいんじゃない? 
 私のように、客観的な広い視野をもって価値判断をし、しっかりと歌手を見て女性が勝ちと判断する視聴者もいるのに、である。・・・ ン? 何? 歌がうまいかどうかで決めるべきで、ソーハチさんのようにH度いっぱいの判定はおかしいって ・・・ エ? 女性ってそんな見方をするの? Hだなんてとんでもない。それって偏見。私は、ただ素直に見たことを云っているだけなのに・・・。
 そういう訳で、男性の出番の時は、マジマジ見ていないものだから、DJ OZMAのあの決定的瞬間は見のがしてしまった。ホント、残念である。
 だけど、NHKってマジメなんだ。一生懸命に「ごめんない」とお断りしていた。でも、TVを見ていたサイレント・マジョリィティは
「ヤッた!!!」とニッコリしたに違いないのである。紅白ってお祭りでしょ。日本はジョークがあまり通じない国だけれど、カターク考えずに笑い飛ばしてユルークいきましょう。
 1日は恒例のウイーンフィルのニューイヤーコンサート。お懐かしのズービン・メーターの指揮で、ニューイヤーの雰囲気がいっぱい。楽しく心も踊って、毎年、このコンサートを聴くと、「ああ お正月」って実感。
 そして、2日の「SONGS」。寺尾聰は都会の雰囲気を持つ歌手だけれど、お目当ては寺尾聰のトークの相手となった小泉今日子。実は、私、小泉今日子の大ファンである。
 和田誠の監督で「怪盗ルビー」という映画が1988年に上映されたけれど、この映画で怪盗ルビーに扮して主演したのが彼女だったのである。
 この映画は、洒脱な文章を書くミステリイ作家ヘンリィ・スレッサーの原作を映画化したもので、そのうえ、ノホホンとしてホノボノとした絵を描く私の好きなイラストレーターの和田誠が監督した映画である。だから、それにつられて見に行ったのだけれど、たちまち小泉今日子のファンになってしまた。
 この映画は、ブルーリボン賞を受賞したお洒落で素敵な映画だったが、あんなアイドル歌手を主役にするなんてと「?」付で見に行ったところ、見終わったら、逆に彼女を起用した和田誠に「さすが・・・」と感服してしまった。
 それ以来、彼女の雰囲気と歌う声のトーンが大好き!!! になってしまったけれど、彼女に曲を提供しているのが、大滝詠一・高見沢俊彦・奥田民生・井上陽水・小室哲哉等のそうそうたるメンバーが多いということを考えると、
「どうして和田誠が?」
「どうして寺尾聰が?」と、彼女を指名したのか分かるような気がする。
 この「SONGS」の番組の中で、寺尾聡が
「最近は映画ばかりに出ているけれど、歌の方もボチボチどう?」 と彼女に云っていたが、私も、いや、彼女のファンもそう思っているにちがいない。
 彼女が歌う大人の歌を聴きたいと思う。

 12月31日の「ゴーン」という108番目の除夜の鐘で、2007年もハッピイにオープン!!!
 除夜の鐘を聞いて、108の煩悩を取り除いてもらい、清らかな心で新年を迎える。
 そして、まずは
        
     『あけましておめでとうございます』

 と、云っても、人生にまだまだ先があった頃とは違い、人生のENDマークに向かってカウントダウンが始まっている私にとっては、小林一茶が詠った
 「目出度くも中位なり おらが春」の方がよく似合う。
 でも、1月1日といっても、物理的には昨日と同じフツーの日なのに、お正月って不思議な日である。
 除夜の鐘を聞くと、108の煩悩が何故かdeleteキイを叩くようにパット消えるし、
 初日の出を拝むと、何故か「バンザイ」を絶叫したくなるし、
 いつもはジーンズなのに、何故かおしとやかになって初詣には着物を着て、彼の目をトローンとさせるし、
 ケチな親が、何故か大枚のお年玉をはずむし、
 ホント、こんな不可解なことが起きるのは、あれもこれも、みんなお正月だからである。
 「物は考えよう」という諺があるけれど、人間って動物は気分次第、考え方次第で、どうにでもなる動物であるにちがいない。
 朝日新聞が昨年末にbeモニターにアンケートをして、2612人から回答を得た結果が新聞に掲載されていたが、来年はいい年になると答えた人が、なんと5割もいたそうである。
 しかし、beモニターの人達は、
 「設備投資がアアなって、貿易黒字がコウなり、その他モロモロの指標はコッチを指しているので、来年の経済成長率はキンキラキンとなる」なんて、もっともらしいことを考えて、来年はいい年になると答えた人はいないであろう。
 多分、
 「いつもニガ虫をつぶしたような顔をしている社長が、ニコニコしているから」とか
 「イブの夜、身も心も、ときめいたから」とか
 「勉強お留守の我が子が、塾に行くと言い出したから」とかいう理由で、来年はいい年になるかも、と思ったのに違いないのである。
 しかし、そうは云っても「物は考えよう」だから
 「従業員の給料を上げたら儲けが減り、イザという時に困るので、従業員は生かさず殺さずの精神でいこうと、社長は考えているに違いない」とか
 「イブの夜、あれって、ひよっとしたら最初で最後?」とか
 「私たち親のこと考えたら、塾に行ったって成績上がる訳ないわよね」とか、考えてはいけない。
 「物は考えよう」だけれど、いいことは素直に受け止めて、失敗やいやな事が起きた時はプラス思考で切り抜けて「森そーはち」さんのホームページでも開き、夢のある1年にしようではありませんか。
 何故って、このコラム「夢旅人」なんですから・・・。
 では、今年もよろしくお願いします。
 
※ このホムページの「不動産コンサルタント」の「業務案内 ・ ご挨拶」のページの末尾に、私の今年の年賀状を載せていますので、是非読んでください。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち風に吹かれて 2007カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは風に吹かれて 2006です。

次のカテゴリは風に吹かれて 2008です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。